5.深まる関係
「私と友達になって」
姫宮の命令に俺は少し面食らう。てっきり、何か奢ってくれとかそういう類の命令が飛んでくるとばかり思っていたから、思いのほか真剣な内容のお願いが飛んできて驚いたのだ。
「えっと……」
突然のことで俺は何も反応を示すことができなかった。その様子を見て、姫宮は断られたと思い込んだのか項垂れる。
「やっぱりダメだよね」
「いや、そんなことはなくて」
俺はどうにも姫宮のこの顔に弱い。姫宮の落ち込んだ様子を見ていると、なんとかしたくなってしまう。
「でも、鈴木さんすぐに返事してくれなかった」
「それは俺は姫宮のことを既に友達だと思っていたから反応に困っただけで」
「本当? 私のこと友達だと思ってくれてる?」
「ああ。こんな俺で良ければ友達になってくれ」
「勿論。これからよろしくね鈴木さん。あ、せっかく友達になったし、呼び方変えてもいいかな?」
「ああ、いいぞ」
「それじゃあ……真」
姫宮は俺を上目遣いで見ると、はにかみながら俺の名を呼んだ。
なんだこの破壊力は。女子に下の名前で呼ばれるなんて初めての経験だから、ぐっとくるものがある。
「なんだか照れるな」
「だね。でも、すぐに慣れるよ」
「かもな。姫宮いつの間にか敬語じゃなくなってるし」
「本当だね。真とはなんだか話しやすくて」
こんなに仲良くなった女子は今までいたことがない。これも鈴木真の持つポテンシャルなのだろうか。こいつはラブコメマンガによくある何でモテてるのかわからない典型的な主人公だったからな。やはり鈴木真に惹かれる何かがあるのだろうか。
「そうだ。真も私のこと、名前で呼んでよ」
「はぁっ!? マジで言ってる?」
「マジだよ。私も真に名前で呼ばれたい」
ピンチだ。女子の名前を呼ぶなんて、俺にはハードルが高すぎる。姫宮の期待に満ちた眼差しが痛い。
童貞男子にとって女子の名前を口にする難しさを、姫宮はわかっていない。どうにかして回避を。いや、ダメだ。姫宮が期待の眼差しを向けてくる以上、俺はその期待から逃れられない。
俺は覚悟を決めると、姫宮の目を見据えた。
「さ、咲良」
「――っ⁉」
姫宮の顔が一瞬にして茹でだこのように真っ赤になった。
「あはは、結構照れるね、これ」
「うわー、死にたい」
なんともいえない空気に耐えられず、俺は頭を抱えて蹲った。
呼んでしまった。生まれて初めて女子の名前を。気持ち悪がられていないだろうか。姫宮は引いていやしないだろうか。
俺は指の隙間から姫宮の表情を見る。
姫宮は口元に手を当てていた。その隙間から、姫宮の表情が緩んでいるのが見えた。
「姫宮。悪い。俺にはまだ女子の名前を呼ぶのはハードルが高いようだ。だから今は姫宮って呼ばせてくれ」
「うん、わかった。確かに私も男の子に名前で呼ばれるの初めてだったから、ちょっと恥ずかしかったし」
姫宮も視線を泳がせながらそう言う。
まだ俺と目を合わせるのは恥ずかしいようだ。俺も今姫宮と目を合わせるのは難しそうだから、助かるが。
姫宮は深呼吸をして呼吸を整えると、柔らかく微笑んだ。
「でも、いつかは名前で呼んでほしいな」
一瞬、視界がブラックアウトした。鈍器かなにかで殴られたような強い衝撃。
あっぶねえ。危うく卒倒するところだった。なんて顔しやがるんだ姫宮のやつ。めちゃくちゃぐっときたじゃねえか。
この可愛い顔を拝めるのなら死んでもいいかな、なんて馬鹿な考えが一瞬浮かんでしまうほどに、姫宮の笑顔の破壊力は凄まじかった。
「真? 大丈夫?」
呆然とする俺を心配し、姫宮が俺の顔の前で手を動かす。
「ああ、大丈夫だ。少しぼーっとしてた。俺はそろそろ帰るよ」
「あ、うん。今日はありがと」
玄関まで姫宮が見送りに来てくれる。
「また学校でね」
「ああ、また明日」
俺は姫宮に手を振り、帰路につく。
初めて女子の家にお呼ばれしてしまった。まだ心臓の鼓動が鳴りやまない。俺はやっぱり姫宮のことが好きなのか? 姫宮とはまだ知り合ったばかりだ。それなのに彼女にこんなに惹かれるのは、俺が鈴木真だからなのか。マンガでの真はほぼ一目惚れに近い感覚で姫宮に好意を抱いている。前世での俺は恋愛に発展するまでにそれなりの時間を要するタイプだった。少なくとも一目惚れなんてしたことがない。結局女子に告白したことも一度もないぐらいだ。そのことから考えてもこんなに早く女子のことを意識してしまうのは初めてのことだった。
「俺はやっぱり鈴木真なのか」
俺が鈴木真の身体に転生したことで、本来の鈴木真は消滅してしまったのだと思っていた。だが、心の奥底から本来の真が訴えてくるかのように、激しい鼓動で合図してくるのだ。それは俺の好きな人だと言っているかのような、そんな感覚。
俺がどう抗おうと、姫宮と惹かれ合う運命なのだとしたら。
「他のヒロインと出会ったらどうなるんだろ」
マンガの真は他のヒロインとも付き合う五股野郎のクズだ。もし俺が真の影響を受けているのだとしたら、他の女子を好きになってしまう可能性もあるかもしれない。
「耐えられるのか、俺」
この時点では、真の好きな相手は姫宮だからか、姫宮の悲しそうな表情を見ると傷つけたくないという感情が心の奥底から沸々と沸いてくる。
高校在学中は恋愛をしないという俺の決意を嘲笑うかのように、俺は姫宮と順調に関係を深めてしまっている。このペースでいけばあの世まであっという間だろう。姫宮とは、友達以上の関係に発展させないようにしなくては。
女子をあしらうには、俺の女子経験が無さすぎるのも問題かもしれない。くそ。こんなことなら前世でもっと積極的に恋愛しとくんだった。女子の悲し気な顔にはどうにも弱い。
そんなことを考えながら歩いていると、家に着く。
自分の部屋に戻った俺はベッドに横たわると天井を見つめる。
そして、薄々感じていたことを口にする。
「やばいな、これ。前世より明らかに性欲が強い」
姫宮の家にいた時からずっと思っていたことだ。ムラムラしてしかたがないのだ。前世でこんなことはなかった。これは徹底的に自己処理しなくては本当に性欲に支配されかねない。それぐらい鈴木真の身体は性欲の強さが尋常ではなった。これも鈴木真の身体の弊害か。
俺は適当におかずを用意すると、自己処理に励むのだった。
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