『真相を携えたあの日の悲しみ』

 地上に戻ったメリルはスカーレットを探して走った。切り札が自分の手の内にあることを早く伝えたくて、姉の気配を血と謀略の悪意に満ち満ちた空気の中に掴もうと息を弾ませる。

 しかしメリルは立ち止まった。細い脚が凍りついたかのように動けなくなる。前方に見えた軍服の影は死者の如き虚脱の悠揚のみで歩いている。意思の抜け殻を思わせる干からびた迫力で、誰なのかはすぐに分かった。


「メリル様じゃないか」

「クロード少将……」


 寒気が身体の芯を上っていく。スカーレットと合流するつもりが、先に出くわしてしまった相手の悪さに、頭の中が白んでいく。

 ミゼルは白いドレスをぼろぼろに汚して傷つけたメリルをゆっくりと概見した。揶揄するようにぼやいて、大股に近づいてくる。


「どうしたんです、その格好? まるで城を追われたお姫様だ」


 メリルの眉間に血管が脈打ち、乾いた唇を噛み締めたとき──メリルとミゼルの間で硬直した目線の中に、靴音の高い響きが割って入った。ミゼルは足を止める。メリルは顔を上げる。顧みずとも分かる、孤高に咲く赤を見やる。


「姉さん」「……中将」


 現れたスカーレットは軍服のマントを翻して、メリルの盾となるようにミゼルと対立した。軽く握り締められた右の手のひら、その指先が柔く左胸に置かれた一秒。手袋に包まれた肉の薄い繊手はゆっくりと、何か確かめるように再度きつく握られる。

 ミゼルは幽鬼のように朧ろな目の下をしていた。綺麗な瞳の中で様々な色の感情が錯綜するあまり、澄んだ光をかつては宿していたであろう目は濁りきっている。

 スカーレットは毅然としてミゼルに対峙した。諭すように、憐れむ響きのない声で淡々と告げる。


「もうやめるんだ、ミゼル。お前が反逆をするような価値は、私にはない」


 ミゼルは複雑を噛むような表情になる。身体を支える魂がない遺骸めいて揺れているのは、身体だけではあるまい。

 悲しげな色がかすめた長い一瞬ののち、ミゼルはいつもの、スカーレットを慕う部下の顔を、酷い苦心の果てに拵えている。行方の知れなくなった心を装う脆さ、花に侵され貫かれたモルタルの腐敗が加速していた。

 メリルの目には、ミゼルがスカーレットと話すためにメリルへの侮蔑の念を飲み込んでいるのが分かった。詰まらせた喉元の苦しみを、吊り上って脈動する目尻が訴えている。スカーレットの手前、メリルへの怒りを歯軋りが殺していた。


「価値はあります……正当は、中将、貴女にある」


 ミゼルは炎を包んだ声で吐き捨てた。


「殿下は略奪者だ」

「ミゼル」

「黙りません、貴女が正当を認めるまで」


 スカーレットとミゼルのやりとりを見守っていたメリルの方へ、虚ろな視線が矢となって放たれる。スカーレットを飛び越えて、ミゼルはメリルに牙を剥いた。


「のうのうと〝王女〟でいるお前を疑うよ……親父が国王だったことを、さぞ感謝してるんだろうな」


 スカーレットの赤い瞳が険しく、圧を込めた視線を射るが、ミゼルは一切を撥ねつける。ミゼルが身を乗り出すようにメリルに踏み込もうと歩を進めたので、スカーレットは左腕を水平に伸ばしてメリルを庇う。


「耳を貸すな、メリル」

「いいえ、姉さん」


 メリルは守られることを拒んでいた。メリルの思うところなど考えようとしないミゼルは言い募る。自身とスカーレットの境遇を重ね見て、睨みつけた幼少をメリルに叩きつけた。


「その血がなけりゃあお前は一生〝泥棒猫の娘〟って貶められてみじめに生きるところだ」


 ミゼルは悲しみに双眸を凄ませた。目の光は悽愴としていた。青白い眉間は微動だにせず、熱は吐いた息にのみ宿る。


「オレは中将を王にする。お前を殺してでも」

「わたくしはわたくし……王の娘としてではなく、メリルという個人として、姉を守ります」


 メリルはミゼルに反論はせず、短く伝えてから、一歩退いた。代わるように、スカーレットが前に歩み出る。


「すまない、ミゼル」


 スカーレットはミゼルを抱きしめて詫びた。


「身を呈して私を守ってくれたお前を、私は……反逆者にしてしまった」


 今度こそ本物で、かつて聞いた死の足音を笑って迎えようとしていたミゼルの表情が変わった。頬が微動しただけの変化、だがそれは、大きな動揺であった。


「違う……オレは、そんなことを思われたいんじゃ、ない……」


 ミゼルの瞳から氷の欠片のように冷たい涙があふれた。伝えたいことばかりが格好をつけて言えない、真摯と仲違いして久しいねじ切れた純情が、涙の混ざった声をしぼった。


「オレは、優しい貴女を悪者呼ばわりする奴らが赦せなかったんだ……もう誰も、貴女を責めない、って言いたかっただけ……悲しませたかった、わけじゃ……」


 乾いた銃声が咆哮した――赤銅色の弾丸は、ミゼルの心臓に留まり、芯から身体を朽ちさせようと蝕みはじめる。秘術を受けた死体を再殺するための毒素が詰まった弾丸である。ミゼルは前に倒れかかった。呻く力もなく、そのままスカーレットの腕の中で脱力していく。

 どうしてかスカーレットの脳裏を支配したのは、自分が兵を率いて戦った四年前の戦場、その惨状であった。帝国の内部に自分を陥れたい者の謀略があったと悟るも遅く、スカーレットは自分の盾になって弾雨を浴びたミゼルの側で、泣くこともできずにいた。何からも愛されない、捨てられた王女の末路、血塗れた生涯にふさわしすぎた硝煙と死が煙る街――敗軍の将の墓標にするには、充分すぎた黙示録の地。だが、命を断とうと考えたスカーレットに、瀕死のミゼルは言ったのだ。


『死にたく、ないよ』

『オレが死んだら、この戦の真相も死ぬ』

『そうなったら……誰も貴女を守れない』


 スカーレットにとって、ミゼルは自分のしてきたことの象徴のように思えた。国のために色々なものを、奪ってきたのだ。見ようによっては、ミゼルはスカーレットの、罪の化身であった。それでもミゼルは、自分を守ろうとしてくれていた存在であったのだ。何にも守られない、血みどろになるしか生きる道がないことを共有していた寂しい温かさを分け合っていた……


「私がお前を救ってしまったばかりに……」


 ミゼルはもはや、嘆かなかった。すっかり虚ろな色に変わり果てた瞳孔が大きく開き、スカーレットはミゼルの最期の鼓動、その気配を感じて囁いた。


「もう私は充分だよ、そしてもう誰もお前を責めはしない」


 死にゆく者の鋭い聴覚が、どうかこの言葉を拾ってくれと、スカーレットは願った。

 復讐という大義名分を掲げ貴族たちをを殺したのも、全ては自分を動かすためであったように、スカーレットには思えた。救われた命をスカーレット以外の者から奪われる気はないながらも、ミゼルは己の罪深さに破れ、殺されたがっていたのかもしれない。

 しかし、真相を確かめる方法は失われた。


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