『指輪を携えて』

 自分が終わろうと、スカーレットが即位しようと、その道はどちらも破滅へと続くこととなる。裏を返せば自分が白薔薇の玉座を支配(しろしめ)し、スカーレットが血を浴びた荊の宝冠をこうむることがない未来こそが、絶対の選択として導けるということだ。

 ドレスをからげることも忘れて、メリルは王宮の地下階段を駆け下りていく。白い花弁を思わせる純白のドレスは硝煙を吸い埃に擦れて、朽ちゆく白薔薇の面影が隠しきれなかった。それでもメリルの金の瞳は、輝きを取り戻していたのであった。

 メリルは父王アルフレッドが死の際に残した指輪に触れた。臨終のときに聞いた言葉を頼りに向かった先は、宮廷の深部にある地下室──ボーフォート王家の秘蹟が閉じ込められた部屋である。

 うわ言だとばかりに思っていた父王の台詞が含んでいた意味を、メリルが理解したのはあまりにも遅すぎた。しかし今のメリルには、父がかすれた声で何を守ろうとしていたのかが分かる。そして遺言の遂行と共にこの国を清めるには、今が頃合いだという確信があった。


『指輪(これ)で、バフォメットを殺すんだ』

『スカーレットを、守れるのは、お前だけ、メリル』


 この言葉はメリルに、バフォメットとの距離をどのように取るべきか惑わせた。

 父王は自分の愚かさを知っていたのかもしれない。その想いを、真相を確かめる術こそないが、父王は父である自らが言祝がなかった娘スカーレットを特別視するバフォメットを危険に思っていた──その可能性は充分にある。

 父のことは、好きではなかった──そんな想いに噛まれた苦味を含んだ美貌は、地下室の扉に設けられた機械を見つめている。

 認証の装置に手のひらを置く。一つ目の鍵が外れる。次いでピアスを取ったメリルは、針を指の腹に沈めた。珠のような血を一滴、機械に垂らして読み込ませると、奥の鍵が開く音がした。メリルは固唾を飲んで扉を押した。

 地下室の中はメリルが思っていたより狭かった。遺跡めいた小部屋は、壁から土の匂いがにじみ出ている。奇妙なことに、此処最近のうちにひとが出入りした形跡があった

 他には何らかの施術に使われたと思われる寝台が、乾いた血で汚れている。酸化して久しい血痕は、恐らく数年は前のものであろう。不快な匂いはない。


(此処に、何か助けがあるはず……)


 託された指輪にあの魔物を葬るだけの力が秘められているならば、謎に差し込む鍵は此処にあるとメリルは踏んでいた。とは言え、もっと荘厳な造りの部屋を想像していたメリルは、実際の室内が狭く埃っぽくて無骨な造りの棚が並ぶ粗末さに困惑していた。

 メリルは棚に並んでいた小箱を、埃に咳き込みながら床の上に置いていった。開いてみると、歴代の王が遺した技術や戦法の記録が数多く閉じ込められている。

 資料が王の名で分けられていることに気づいたメリルは

 父王アルフレッドの関連物を保管している箱を探した。


(これは!)


 メリルはある箱を開いて、一番上に分かりやすく置かれていた封筒を掴み取った。メリルへ、と書いてある。父王の筆跡だ。メリルはすぐに封を切った。

 父王のサインと共に記された日付は、メリルの誕生日──即ち、手紙はメリルの立志式に書かれたものであった。

 手紙には今メリルの手に輝く指輪が王位と共に継承されている兵器であり、秘密である旨を明かす文章が綴られていた。その詳細はバフォメットさえ知らないことが付記されていて、メリルは息を震わせて手紙の端を握りしめる。

 指輪の花の部分を王家の血でなぞると眩い光が照射され、光を浴びたものを焼き尽くす――その記述を目に焼いて、メリルは畳んだ手紙をどれすのぽけっとにしまいこんだ。

 そしてメリルはドレスのスカートを縦に裂いた。足が動かしやすいようにすると、メリルはスカーレットの元に走った。


(わたくしは弱い姫をやめねばならない)

(わたくしは王女を捨てたい、そうしたらもう何も望まないから)

(わたくしが強く在ることを、姉さんのために許してほしい)


 メリルはスカーレットを愛していた。皆がスカーレットを愛していることも知っていた。同じ想いの人々に、メリルは希(こいねが)った。

 慣れない靴で駆けた足がもつれ、メリルは転んだ。無様に打ち付けた身体が痛かった。膝を見ると、白いタイツは破れ、醜い痣ができている。


(わたしは、王に、なるのよ)


 唇を噛み締めたメリルは、床を叩いて立ち上がる。泣きたかった。頭をよぎったのは姉の横顔であった。自分をずっと、守ってくれていたスカーレット……

 誰かを守るひとは泣かない。何より、同じ状況ならば、スカーレットはきっと泣かない。メリルは地上へ再び走り出した。

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