『薔薇たちの行方』
バフォメットが居たのは王宮の奥にある子供部屋であった。スカーレットが軍人の道を選び、士官学校の寮に入るまで閉じ込められて居た部屋だ。父王の身勝手によって存在を秘匿されていたスカーレットが、軟禁のような暮らしをしていた場所は、何もかもが昔のまま、時が止まっている。
バフォメットは鏡台の前の椅子に座っていた。目も呼吸も虚ろで、今でない時刻を遥かに見つめている杳然(ようぜん)とした吐息が、静寂のうちで不規則に撥ねている。
母親が自害した日に異母妹メリルは生まれ、その母が死亡した後──メリルの母の国葬が済んで、一人鏡に映る自らの姿に母の不遇を想うスカーレットの姿を思い出していた。
仕えている君主の娘として、次の王として、そして女性としてスカーレットを愛したのがいつのことであったかは、もう記憶が定かではなかった。孤独な花となった幼き日のスカーレットが放つ力強さと、寄る辺をなくした寂しい背中は鮮明に覚えているにも拘らず、愛のはじまりは思い出せない。
バフォメットは鏡像を頼りに胸のコサージュに触れた。ぴくりともしない眼球は、遠い日のスカーレットを見つめている。
悪魔呼ばわりされている自分に花を贈り顧みてくれた少女の影ばかり、今はもう別の形になった影の奥に睨めつけている……
(スカーレット姫こそが、万魔殿(パンデモニウム)の主人として権威と至尊の紫衣を纏うのにふさわしい)
(そしてわたしは恐怖による王の交替に伴い黒幕として汚名をこうむることを厭わない)
幼い頃から美しかったスカーレット、今も美しいスカーレットの二つが、バフォメットの内側には存在していたのである。
熱を放ちはじめた肩の傷さえ慈しむようにマントの端を掴む。バフォメットは苦い追憶に痛むものが怪我なのか胸の内かを自問しかけるが、やがて温かみのない目を熱に浮かされた者のように淀ませて一人言ちた。
「姫の不遇を破壊することが臣の使命。不世出の花よ、この国の未来を貴女ほど考えている者は、いない――」
閉ざされた子供部屋に、永久に閉ざされた扉の残響が閉じ込められた。
二度と開かれることのない日々のようで、バフォメットは一度立ち止まり後ろを見たが、すぐに前を向いて進んでいった。
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