『誰の派閥でもない』
支配(しろしめ)したのは、呆然と驚愕に尽きた。ミゼルが自ら録音した公女とのやりとりが終わったところで再生を止めてからも、怒りの前に静けさに、しばらく火がつくことはなかった。驚きはあまりにも、激しく、震えていたのだ。
メリルとダズマールは国内の重鎮が公国とつながっていたことに言葉もなく青ざめている。ミゼルはいつまでも毒草を噛み続けて最早毒の味さえ感じていない無表情でいた。バフォメットだけが、妙に納得したような含みを持つ佇まいである。
ダズマールはやけに落ち着いているバフォメットを睨んだ。
「バフォメット、あんたはこの、クロード卿と公女のつながりを知っていたのか?」
「薄々、勘付いてはいました。誰が見ても明らかな証拠がなかったので黙っていましたが」
メリルは眩暈を起こしかけたものの、踏み留まって、バフォメットにすがる。
「こんな近くに、こんな側に売国奴がいたなんて……この音声を証拠にはできないのですか」
メリルの今にも咽びそうな願いに、バフォメットは首を横に振った。
「証拠としては弱いでしょう。この内容と今の状況では、しらを切られる可能性はまだありますゆえ。何より、四年前の件まで追及するには、この音声だけでは内容に乏しいと言っておきましょうか」
唇を噛んだメリルの側で、ミゼルは吐き捨てるように言った。
「親父は王家を潰そうとしてる、中将を利用して始末したら、次は首席執政官を、それからきっと……殿下さえも」
メリルの小さな手のひらに、整えられた指先が押し込まれる。肉の薄い手のひらは痺れているのに、痛みを覚えない。
「クロード少将、わたしが頼んだ仕事の方は何か手がかりはありましたか?」
「仕事だって? バフォメット、ミゼルに何をさせたんだ」
「ひと探しを頼みました。尤も、わたしとて見つけられるような材料は殆んど用意できませんでしたが……」
「そっちの件にはいい報告があります」
ミゼルは最初に、バフォメットから預かっていた古い写真を机上に置いた。白髪の少年が写っている、隅がぼろぼろの写真だ。
バフォメットはメリルとダズマールに、改まって説明する。
「この写真は十五年近く昔のものですが、これに写っている少年を探してもらいました。探していたのですが、もう調べ尽くして思い当たる場所が政治犯収容所しかなかったゆえ、中将に会う任務と共に、彼がいるかどうか見てもらったのです」
ミゼルがもう一枚、別の新しい写真を出して、古いものに並べた。メリルとダズマールは写真を比較して、あっと声を出した。バフォメットは神妙に腕を組む。新しい方の写真には、白髪の青年が写っていた。古い写真に写っている少年の面影がある。
「このひと、同じ方、ですわね……?」
「驚いた、とでも言いましょうか……クロード少将、よく写真まで手に入れましたね?」
「看守に金渡したら近影の複製をくれました」
バフォメットは二枚の写真を見比べて、頷く。
「間違いありません、わたしが探していた人物です」
バフォメットの台詞には強い確信がこめられている。白い男が生きているということ以外に何の手立てもいらぬとばかりの自信が、怪しげな白面をかすめ去る。
「公女を引きずり下ろす方法は確固たる手段となりました。そして、反王家の人々も。中将が戻れば反王家は必ず何か動き出す、そこを叩くためにも、中将を取り戻しましょう」
――バフォメットから白い男の正体と今度の動きについて説明を受けたあと、メリルは一人になった。城の中庭で、一人で過ごしていた。木陰で日差しを避けながら、枝葉を縫って注ぐ緑色の光に白いドレスを染めていた。
中庭には薔薇の花壇がある。メリルが十六歳になるまでは、スカーレットに仕事がない時間を、此処で共に過ごしていた。メリルの膝を枕にして、スカーレットは芝生に横たわり、二人でお喋りをする。それだけの、時間。しかし、スカーレットはいない。
メリルは膝を抱えて座っていた。スカーレットが日差しを遮られた収容所に閉じ込められていると考えただけで、息が苦しかった。スカーレットが見ていない空を見たくなくて、メリルは俯く。
次席執政官が公女とつながりを持っていた事実は、未だ受け入れられずに胃の中で蟠(わだかま)っていた。執政官という重役にありながら裏では自分たち王家を貶めようとしていたのだ。あまりにもメリルは正しく、無垢でいて、愚かであったのだ。国の重役たちが皆、未来を想っていると思いこんでいた。
しかし若いメリルからしたら、貴族から選出された政治家たちは、あまりにも歳を取りすぎているという怒りに近い確信があった。
メリルはまだ十六歳だが、王宮に巣食う政治家たちは五十代を過ぎた者が大多数を占めている。彼らがしている〝未来を想う行為〟は〝自分の子孫の地位と財産に限って守る行為〟であり、平たく言えば保身なのである。彼らの未来は、家の未来でしかない。
何より時代はこの一秒の間さえ変わり続けている。偉大な王は死に、これからを生きる人々で未来をつくるために政治に携わらなければいけない――思えば思うほど、議員たちの顔がふつふつと歪み思い起こされる。
父王とてそうであったのだ。死にゆく者に、未来はない。
メリルは細い指先でぐしゃりと両目を覆った。王家の権限と功績の根が、ろくに時間もない人間たちに蹂躙されていると、崩壊の未来を描く人々に侵されていると思うと、我知らず奥歯が軋る。
今や全てが、敵であった。王宮の蛆虫――次席執政官とその一派、保守派とは名ばかりの風見鶏のような一派……
メリルはうっそりと顔を上げた。あどけない表情から、疲弊と怒りが柔らかさをぼろぼろに剥ぎ取った凄絶があった。金の瞳の中心で、熾火(おきび)のような虚ろな炎が明滅した。
(同じ未来を多くの人々が共有するのは難しいというのに)
(それに比べて、崩壊を描くことは容易いのね……)
反王家の人々が公国につくことで生じる利益は不鮮明ゆえに、何を以て戦えばいいのか、メリルは思い巡らせた。
(きっと……必要なのは〝絶対となる人物〟)
象徴としての自分の力が、試されている。父王のことは好きではなかったが、国政・象徴・戦争の全てを一手に担っていた父に、メリルは己の非力を呪わんばかりであった。自分は父のようにはなれないことが、顕然とするだけであった。
国政で国内の権力者を抑え駆使する手腕、象徴としての強さと美しさ、戦争に於ける頭脳と指揮力――即ち〝絶対〟を体現できるのは、自分ではない。メリルの知る限り、それができる者は一人しかいない。
「……此処にいたんですか、殿下」
ミゼルが草のしとねを踏んでいた。メリルは据わった目だけをミゼルに向けた。身体は座り込んだまま、動くつもりはなかった。
ミゼルが唾を飲んだ気配がした。自分の顔は敵意に満ちていたのかとメリルは思ったが、逡巡の間さえ表情はぴくりともしない。ミゼルを見て思ったことと言えば、
(絶対という力を持てないわたくしは……何をするべきなのかしら……)
メリルの朧ろな思考を悟る術がないミゼルは、深々と頭を下げた。
「殿下、父の件ですが……何て詫びたらいいのか、詫びて済むのかさえ、まだ分からないけれど……」
「クロード少将、あなたが謝る必要はありません」
ゆっくりと顔を上げたミゼルに、メリルは短く言った。
「親の罪を、子に問うのはおかしいことですから」
そう返す傍らで脳裏に瞬いたのは、スカーレットの横顔であった。
「中将は、オレの恩人なんです」
「恩人……」
「中将はオレに軍人として頑張る道を示してくれた。士官学校の頃から、オレは……」
ミゼルは俯いて、そこで言葉を止めてしまう。
メリルは自分たちの協力が一枚岩でないことを分かっていたが、全ては自分の力不足であると思い知らされていた。
スカーレットは愛されているのだ。民衆や国外の軍人には〝血まみれ将校〟と恐れられているが、メリルからもダズマールからも、ミゼルからも、そしてバフォメットからさえも愛されている。だから、この奪回作戦は進んでいる。
しかし皆がスカーレットを愛するからこそ、メリルたちは一つにはなれないのだ。メリルは筆舌に尽くしがたい寂しさを金の瞳にこめて、ミゼルを見つめた。ミゼルの瞳もまた、メリルと同じことを言いたがっているようであった。
「オレは帝国派でも公国派でもない」
先にそびらを向けたのは、ミゼルの方であった。
「オレはただ、中将の味方です――多分、首席執政官も同じ」
哀しい血の匂いを漂わせるミゼルの背中に、メリルは明るい声で言った。
「奇遇ですわね」
ミゼルが振り返る。燃えるような悋気が、白く褪めた横顔に溶け出す。メリルは花が綻びるように優しい笑みを美貌にあふれさせる恣意を以て、温かい目元に鋭い棘を宿している。美しい唇は美しいまま、慈愛という甘い粉糖で飾った刃が、ミゼルの内側を裂くときを柔く待つ雅は、たおやかでさえあった。
「わたくしは、中将を愛していますから」
口の中で溶け出した甘みが去ったと同刻、ミゼルの内側を敗北感が過ぎていった。針を口に詰め込まれたように息が飲めないミゼルの横を、ドレスのスカートをつまんだメリルが通り過ぎる。
「知ってますよ……勿論」
うそ寒い背中が一瞬震えたのが悔しくて、ミゼルはかすれた声で、溜め息のように呟いた。
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