『獄中での再会』
四年前の戦で公国と組んでスカーレットを陥れたのは、自分の父親――そんな凄惨な事実という土産が心に血をしぶかせるままに、ミゼルは政治犯収容所へと歩いた。路端の小石を蹴りながら、俯いて、目深にかぶったフードの下の顔はすっかり虚脱していた。動揺しないようにと公女の前では励んでいたが、心身が磨耗していることは明らかであった。
収容所には公女がすぐにミゼルの訪問を伝えていたのか、軍人の身分証を出しただけで怪しまれることなく潜り込めた。殺風景な通路を歩き、格子でできた壁を見て唇を噛む。人気はなかった。少しばかり、肌寒い。よく見ると窓は柵が埋め込まれただけの風穴同然であった。夜はさぞかし冷えることであろう……
一番端の牢に、ミゼルは目の覚めるような赤毛を見つけて、蹌踉(そうろう)と近づいた。柵を掴んで前へのめると、長い脚を投げ出して下を向いていたスカーレットが顔を上げた。疲れた美しい声が、かすれていた。
「誰だ……?」
スカーレットは緩く波打つ長い赤髪を腰まで散らせて、灰色の囚人服を着た姿であった。日頃薄化粧を施している美貌に化粧はされておらず、スカーレットから時折垣間見える悲壮の花の香りが美しさをそのままに、哀れを誘う空気へと変えてしまっている。彫刻のように均整のとれた面長の輪郭線が、いつもより鋭く見えた。少し痩せたに違いなかった、血のような鋭い瞳は憂いの光と疲労とが明滅している。
ミゼルは掻きむしるようにフードを掴んで取った。
「中将……」
「お前、ミゼル! どうやって此処に」
スカーレットは立ち上がって、柵を隔ててミゼルの前へ進んだ。ミゼルはたどたどしく説明する。
「首席執政官の名代でオレが……公女に会って嘘ついて、此処へ入る理由をでっち上げて正面から入ってきました」
「バフォメットの名代だと?」
目を瞬いたスカーレットに、ミゼルは頷いた。察しのいいスカーレットは国の動きを気にして、言い募った。
「メリルは……バフォメットは、ダズはどうしてる?」
「皆は……」
言いたいことも、報告しないといけないこともたくさんあるのに、ミゼルは言葉を詰まらせた。父のことを思い出したら、何もかも全ての言うべきことに逆棘がといて、柔らかい喉を裂いた。口の中に、息がこもった。唇を噛みこんで俯いていた顔を上げたら、涙が一粒、ぽろっと落ちた。スカーレットが睫毛の長い目を細めて、悲しげに問うてくる。
「今の私は……お前には泣くほどみじめに見えるか?」
「違う、ちが、う……中将、オレは……!」
ミゼルは懸命に首を横に振った。言おうと思っていたことが、絞り出そうと掻き集めた台詞が、用意した片端からばらばらに崩れていく。伝えるべきことは全て情けなく落涙となっていた。スカーレットはミゼルが何を否定して泣いているのか分からずに、柳眉を困らせている。
スカーレットの名誉を汚したのが自分の父親であったやるせなさ、償う方法も分からぬ十字架で背から貫かれたような激痛、どうしようもない罪悪感――
どちらが囚人か区別がつかないような気迫で、涙に汚れた顔をぐしゃぐしゃにして、ミゼルは両手で柵を掴み握りしめた。声を上げて喚いてしまいそうであった。
一体自分は、何処まで罪深いのであろう――苦すぎる疑問に咽び、ミゼルは泣き続けた。何も知らないスカーレットは細い指先を伸ばして、そっとミゼルの頬に触れた。氷のように冷たい肌が、凍えそうな温度の涙に凍てついて、溶けることはなかった。
「殿下はお元気です。ずっと、中将の心配をされています」
ミゼルは落ち着くと、帝国の状況やメリルの様子をスカーレットに伝えた。議会は連日のようにスカーレットの処遇に紛糾し、スカーレットを切り捨てようという動きがあることも正直に話した。メリル、バフォメット、ダズマールでその裁きが下るのを阻止していることも。
「殿下は気丈に……って言うより、強くなられたと首席執政官が評価していました。中将を助けるためになら、殿下は文字通り何でもする……」
「殿下が……そうか」
「オレも甘く見てました。ああ見えて殿下は弱っちい花じゃない」
スカーレットは何か考える表情になる。ややあって、ずっと気にしていたらしいことを質問する。ミゼルの言葉の一片から、帝国の事変の前触れを敏く感じ取っていたのである。
「ミゼル、バフォメットはどうしてる? バフォメットならどうとでも理由をつけて此処まで来れるはずだ……それをお前を名代に遣うだなんて、奴に何かあったのか?」
「首席執政官は今、身動きが取れないんです」
「身動きが取れない?」
「花を選ぶ〝意思表示〟のときのことを思い出してください。首席執政官はあの場でメリル殿下への不支持を事実上宣言してます」
スカーレットは頷いた。
「殿下への不支持はつまり公女への支持。中将を処分したがってる連中が〝公女支持の首席執政官が公国と内通して殿下を陥れようとしている〟とか言い出したんです。意思表示のお遊びを真に受けた奴らまで首席執政官を疑いだした。殿下や大将が擁護したんですけれど……そんな疑いをかけられてる中で公国を訪ねるのは危険すぎる。かと言って中将に会うための訪問なのに殿下や大将が来ても怪しまれるから、オレが適任だったんです」
「そうか……私を処分したがっている奴らと言うのは?」
ミゼルは少し躊躇ってから、いつになく真剣に告げた。
「次席執政官――オレの親父の派閥の連中です。親父は元々、首席執政官をよく思っていない……オレの推測だけど、親父が首席を狙ってることも関係があると思います」
「クロード卿が? 私を陥れたのがクロード卿だと言うのか? 仮にそうだとして私とバフォメットをどうして結びつけるのか……」
ミゼルは四年前の詳細までは語ることができなかった。看守がそろそろ此方の様子を窺っている。
「すいません、今言えるのはこれだけです。最後に、首席執政官から頼まれた仕事をして、オレは戻ります」
「仕事……バフォメットは何を?」
ミゼルは声を抑えて問うた。懐から古い写真を一枚取り出して、自分の身体を盾に写真を隠しながら、スカーレットに見せる。
写真はバフォメットから預かったもので、経年劣化が激しく、四隅がぼろぼろであったものの、子供が一人写っているのがしっかりと確認できるものであった。白黒写真でも白髪なのがよく分かる、少年の写真である。
「此処に白い男がいないかと中将に訊いてほしいと、首席執政官が言ってました。この写真は十五年以上前に撮影されたものだそうですが、この写真の男の子を首席執政官はずっと探してるって言ってて……もう政治犯収容所(此処)しか可能性がないって。心当たりとか……ありますか?」
スカーレットは写真の少年を見て、不気味な戦慄に赤い目を凝らした。
「誰なのかは、教えてもらえなかったんですけど……」
スカーレットは声をひそめて答えた。秘密を帯びて来たやりとりに勘付かれぬよう、普通の会話を装って口頭でミゼルに指示を出す。
「ミゼル、牢の隅を見るんだ」
ミゼルは頷かずに、眼球だけを器用に動かして、スカーレットに従った。
ミゼルの目の端に映り込んだのは、閉口具を着けられた白髪の男であった。写真の少年の面影を見つけて、あっと声が出そうになるが、感嘆を飲み込む。驚きを隠せずにいるミゼルに、スカーレットが白い囚人のことを話した。
「私が来たときから此処にいた。話されたら誰かが不都合なのか、いつも閉口具を着けられて見張られている。なのに、高待遇……バフォメットの魂胆はよく分からないが、その写真の子供は彼だろう」
「首席執政官に伝えます」
ミゼルは写真を懐へ戻し、柵の前から離れた。別れしなに小さな声で、誓いを添える。
「必ず、中将を助けます。今はまだ無理でも、必ず」
スカーレットはこぼれた赤髪を一房耳にかけただけであった。それが、返事であった。
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