『親の七光り』

「困ったことになりましたな、公女の許可を得て中将に会いに公国へ行こうと考えていたのですがね……」


 先の議会でのクロードの発言――〝バフォメットが公国と通敵している〟という台詞は、大きな枷としてバフォメットを拘束していた。

 理由は違えどスカーレット救出のために励むメリルたち四人は窮していた。ダズマールの助け舟もあったが、クロードの発言を信じている者が多く、一番怪しまれずに公女と話ができる立場であったバフォメットの行動に大きく制限がかかったからだ。通敵の噂が立ち込める中で公国へ渡り、そのことが知れてしまえば、此方からわざわざ噂を事実にするようなものだ。

 ミゼルが忌々しげな表情を複雑に刻みながら、謝ってくる。


「すいません、オレも何も言えなかった……親父の奴、随分余計なことして……」

「いや、お前が出るのは変だから、黙っていて正解だったと思うぞ」

「でも先輩、これでオレたちは公女に近づく方法をなくしたんですよ?」

「クロード少将の仰るとおりですわね……公国の内情や、狂言暗殺のことを引き出すのが難しくなってしまったわ」


 メリルは執務卓に片肘をついて、額を押さえる。一つ嘆息してから、バフォメットの代わりがいないという現実を顧みる。


「首席執政官が公国に行けば、それこそ罪の名をつけられて吊し上げられるだけ」

「かと言ってわたくしでは代わりに公国へ行くこともできません。エリク公が、王位を争うわたくしに対して自分が不利になるようなことを言うわけがない。まず会おうともしないでしょう……」

「ローランド大将とクロード少将が公国へ行くのも、怪しまれますわ」

「いや、殿下……クロード少将ならば、公国へ渡れましょう」

「へっ?」


 バフォメットから唐突に白羽の矢を刺されて、ミゼルは目を白黒させた。


「オレが? そんな、オレができることなんて」


 当惑するミゼルはさておいて、きょとんとしているメリルとダズマールに、バフォメットは話を続けている。


「先日公国に行った際の、公女とのやり取りの中に気になることを見つけましてね……わたしの、限りない確信です。少将にしかできない仕事だと言ってもいい」

「でもオレ、まともに外交なんて担当したことなんて……関わったこともないのに」

「構いません。ちょっと親の七光りを、中将のためと思って活用してきてほしいのですよ」


 旅人風の土色をしたマントが、風に翻る。

 軍装を解き、私服のズボンの上から革の泥除けを穿いて、ベルトに固定した銃と剣の感触を確かめる。マントのフードをぱさりと脱いで、くしゃくしゃの金髪に指を通しながら、ミゼルはたどり着いた都の入口を仰いだ。

〝百合の冠(クラウン・リリー)〟――大それた地名に目を細めて、ミゼルは門を通った。ジャケットのポケットに手を突っ込んで、市民に扮して通りを歩いて行く。都の建物や街路の造りは帝国と変わりない。石畳の道に派手な革靴が歩を刻む音が、妙によそよそしい。

 ミゼルは公都に向かいながら、バフォメットの言葉を思い出していた。ミゼルは公女ロックハーティアへの手紙と、ある任務を託されていたのである。

〝公女は、わたしと少将の父君、即ちクロード卿が結託していると思いこんでいます〟

〝少将にはクロード卿寄りの立場を強調してほしい……わたしの使者だが意見は父親寄りで、クロード卿とわたしをつないでいる存在を装ってください〟

 ミゼルはズボンのポケットから硬貨を一枚出して、新聞売りから新聞を一部買った。一面には大きく公女の写真が載せられていて、公女が暗殺未遂ののち加療していた病院から退院後初の公務を務めた旨が記事になっていた。荊の毒に我らが白百合は勝利した――そんな見出しの趣味の悪さと陳腐加減に失笑がこぼれる。ろくに目も通さないままで、ミゼルは新聞を芥箱に捨てた。写真の公女は淑女の笑みを保っているが、嘘と狂言で塗り固めた厚い面の皮を剥いだら腐臭がするに違いない。腐った百合の臭いほど、吐き気を催すものはないのだ。


(オレは親父寄りの考えで、自分の意見がない息子を装う……)


 バフォメットが何故父の名を出してきたのかが引っかかっていたが、その点に於いては、バフォメットはこう言ったのみであった。

〝わたしがクロード卿の話をした理由は、公女本人と話せば分かるかと。ご自身で確かめるといいでしょう――あなたの探しものが、一つくらいは見つかるかもしれません〟

 ――公邸に着くと、ミゼルはマントを脱いで、胸に軍章を着け、クロード家の家紋も襟に着けた。

 面会の予約など入れていない。通してもらえるのかと疑いつつ、入口にいる役人に声をかける。


「エリク公に会いに来たんだけど、取り次いでもらえる?」


 案の定役人は胡乱げな顔をする。予想していた展開である。だが次に言うことは決まっていたから、ミゼルは臆することなく、堂々と畳み掛けた。


「帝国次席執政官クロードの息子です。エリク公にそう伝えてください」


 ミゼルは丁寧に家紋の見せる。役人は何故か、急に態度を変えて、公女に取り次いだ。



「――そう言えばクロード卿から、ご子息が一人、軍にいらっしゃると伺っていました。何てお呼びしたらいいかしら?」


 父の名を出すと、ミゼルは歓待された。広い応接室に通されてからあった公女ロックハーティアの態度は驚くほど柔らかい。メリルや、スカーレットに向けるまなざしとは目の光がまるで違った。父の七光りがどうして此処で効いたのか分からないこともあり、何か裏があるのではと、ミゼルは寒くなった。

 白いワンピースを着て休暇を過ごしていたらしい公女は、ミゼルの返事を待っている。ミゼルは軽薄な優男らしい微笑みを拵える。


「ミゼルと言います、ミゼル・クロードです。家の名前だと父と区別がつかないですから、ミゼルで構いません」

「ではミゼルさんとお呼びするわ、軍では何をされているの?」

「位は少将で、戦争が仕事です」

「クロード卿も鼻が高いことでしょうね、ご子息が軍の高官だなんて」

「どうですかね……いつ父からオレのことを聞いたんです?」

「あなたが将官に昇られた話をしていただいたのよ。政治家をしているご子息の話は知っていたから、意外だと思って聞いていたからよく覚えているわ……政治に興味はなくて?」

「実はそっちの道にも誘われてて。オレの軍での地位が家を強くするためになるのならと、前向きに考えてます」

「素晴らしい発想ね」


 ミゼルはジャケットの内ポケットから封書を取り出した。公女に差し出す。どうして公女が父の話に乗ってくるのか注意はしながら、緊張の幕間をやり過ごす。


「これは、クロード卿から?」

「首席執政官からです」

「どうしてそれをあなたが?」

「父と首席執政官の関わりを水面下のものにしておくためです。今、帝国ではメリル殿下の派閥が殿下不支持の首席執政官に不審を募らせていて、首席執政官は自由に動けません。オレは父と首席執政官、エリク公をつなぐ使者としての名代ですよ。本当なら、今日来るのは首席執政官のはずでした」

「そんな動きが……」


 公女は静かに眉をひそめた。露骨に不快感を示しつつ、開封した親書を読む。


「今のオレはまだ、政治に関与していません。少将であっても、一介の軍人です。エリク公に父たちのことを伝える役にはうってつけ、一番怪しまれない。だからオレが伝令役を引き受けたんです」

「メリル殿下も往生際が悪いのね」

「父たちの動きを殿下に勘付かれないように、今回のオレの訪問はエリク公の胸にしまって他の役人に口外しないでいただきたいと伝言を預かっています。オレが無事にエリク公にお会いしたことも内密に願います。怪しまれないよう、父への報告はオレが済ませますから、父への連絡も不要です」

「確かに親子なら何を話していても見過ごされるわね……分かったわ、あたくしの身を守るためにも従いましょう」


 話に父の名を添えるとどうしてか公女には説得力を以て響き、その息子である自分への信用度や好感が上がっている気配を神経に伝せながら、ミゼルは胸のざわつきに怯えていた。何が引っかかっているのか、自分が何を怪しんでいるのか――目を背けている自分に気づく。バフォメットとの打ち合わせ通りに喋り、ことを運んでいるのに、大義ではなく極めて個人的な感情が警鐘を鳴らしている……


「ミゼルさんのお父上……クロード卿は素晴らしい政治家で、革命家だとあたくしは高く評価しているのよ」

「父を、ですか?」


 革命家――その表現に違和感を覚えて、ミゼルは呟いた。胸ポケットに何気なく触ったように見せて、何かの電源を入れる。何故公女が敵国の政治家を褒めるのか――急進の政治家一族だから、その出身である自分への手前に社交辞令を言っているのかと、ミゼルはあらゆる理由をつけて、恐ろしい憶測を殺そうと努力した。


「ミゼルさんはクロード卿か帝王製造機さんから、あたくしの暗殺未遂の件について、もう聞いていらして?」

「はい、聞いてます……ただ、エリク公がどうして危険を冒すことまでしたのかは聞いていません」

「あのお芝居には、二つ目的があったのよ」


 ミゼルが首をかしげてみせると、ロックハーティアは立ち上がって、窓辺に飾ってあった花瓶から白百合を一本抜き取った。


「一つはハークネスに暗殺企図の罪を着せて処刑すること。もう一つはハークネスの罪を帝国の罪にして王位をあたくしに譲渡させるため。前者はじきに達成される。それだけでもあたくしが傷ついた価値はある」


 ミゼルに背を向けていたロックハーティアは向き直って、白百合の花びらを一枚むしった。


「ハークネスは以前から目障りな女だったわ」


 一枚、また一枚と花びらを奪いながら、ロックハーティアは呟いた。ミゼルは感情が顔に出ないように保ちつつ、公女が暗殺未遂を狂言だったと言わない慎重さに悪辣を感じた。これから語られるであろうスカーレットへの悪罵を聞かされることに耐える心の準備だけはしておく。


「没落貴族の出身で一回の軍人のくせにメリル殿下のお気に入り。首席執政官から庇護されていることも昔から気にはなっていたけれど、ハークネスは自分の力で将官にまで昇りつめて、いよいよ強力な後ろ盾と軍での力を利用してきて、あたくしたちにとって邪魔になった」

「いつかハークネスはメリル殿下の強力な力になる…、そしてその力というのは必ず、あたくしの王位継承を妨げると思ったわ……そんなときに、帝国内でボーフォート王家をよく思っていなかった一派からの接触があった。彼らは二十年近く昔から、先帝の治世の全盛期から動いていると言っていたわ」

(反王家のことか……二十年も前から存在していただなんて)

「もうお分かりよね? 四年前にその派閥の長が、あたくしに接触してきたのよ。あなたの、お父上――クロード卿がね」

「…………」


 瞼が収斂しそうになって、こもった息が震えかけ、しかしミゼルは悪どい笑みをつくった。役者ぶりは驚嘆に値したが、身体の内側から末端が少しずつ朽ちていく……

 白む思考が淡く果てぬようにと思うも、次に言うべき台詞が弾けてしまいそうであった。寒気に心の芯が凍って、舌がもつれる気配がする。落ち着かねば、ぼろが出てしまう。その一心でミゼルは音を立てないように深呼吸した。


「四年前のベルリリーの乱でハークネスを陥れて汚名を着せた作戦の発案はあたくし。クロード卿には自分の息のかかった当時の大将に命令させて、ハークネスを死地に向かわせる命令を下したのよ……でもハークネスはしぶとい女だったわ。事実を揉み消されて虐殺者の汚名を着せられてもその悪名を利用して戦うような女だもの。今思えば、四年前に殺しておけばよかった」

「でも、今度こそハークネスは終わり」


 ロックハーティアはスカートをつまんで着席すると、肘をついて組んだ指先に顎を乗せた。


「帝国も終わるわ。クロード卿の派閥は王家と首席執政官をよく思っていなくて発足したらしいけれど、その首席執政官も今はあたくしに味方しているもの」


 ミゼルは冗談めかしく笑って注文をつけた。


「父が革命を成し遂げたら、オレも重役の椅子が欲しいですね」

「ふふ、いくらでも用意してよ? あなたは話の分かる方で、クロード卿のご子息だもの」


 安請け合いした公女に苦笑して、ミゼルは問うた。


「エリク公が即位したら、王家や帝国貴族の連中は?」

「メリル殿下は処刑するわ。帝国派を粛清して、反ボーフォート王家の方々は側近に迎えると決めてはいるのよ」

「それは楽しみですね……では、オレはそろそろ戻ります」


 ミゼルは立ち上がって会釈した。ロックハーティアはバフォメットからの手紙をたたんで、最後に少しだけ怪訝そうに言った。


「お手紙に、あなたをハークネスに会わせる許可を出してほしいと書いてあったのだけれど、何の話かしら?」

「宮廷からの追放と軍からの除籍を言い渡しに行くんです。〝帝国は、見限った〟と」

「分かったわ。お父上と帝王製造機さんによろしく」

「ええ、貴重なお時間をいただき感謝致します」


 ミゼルは部屋を出ると、役人に先導されて公邸を出た。

 胸ポケットから出した録音機の動作を止めて、しばし表情をなくして動けなかった。

 こんなときに、どんな顔をしろというのであろうか――


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