『交錯は出会うことなく』

「中将の部下だった暗殺の実行犯は反王家勢力を介して広告から報酬を受け取って公女を襲い、現在は名を変えて公国軍の要人として迎えられていることが分かりました。実行犯の所在は、公女の口から直接聞き出した情報です」


 公国への調査訪問を秘密裏に終えて帰国したバフォメットは、淡々と報告する。


「暗殺未遂は、中将に濡れ衣を着せるための狂言だった……その確証が、残念な土産だと言っておきます」


 外相執務室に集まっていたメリル、ダズマール、ミゼル、バフォメット――囚われたスカーレットを救うべく集った四人。バフォメットの話を聞いて、ミゼルが吐き捨てる。自分の予想が正しかったと、忌々しげについた息が鋭い。


「やっぱりな、どいつも腐ってる」


 ミゼルの調子が軽い罵倒を、かまびすしい音が遮った。一人執務卓に向かっていたメリルが、報告を聞きながら干した硝子のカップを、皿の上に叩きつけるように置いたのだ。硝子には、ひびが入っていた。カップの持ち手にかけられた細い指は、震えて、割れた硝子が怯えていた。

 メリルは可憐な美貌を俯けて、唇を噛んでいたが、やがてこもった息を吐き出した。優しく秀麗な眉目に強張るのは、毒花の如き殺気である。


「何て姑息な女なの……殺してやるわ、絶対にこの罰で殺してやる……!」


 メリルの激昂の気迫に、ミゼルとダズマールは息を飲んだ。メリルからこのような激しい怒りの言葉を聞いた試しがなく、そんな感情にさえ無縁の姫という印象しかなかったからだ。恐怖さえ抱かせたメリルの金の瞳は硬い光を宿して、めらめらと光り沈んでいた。


「……反王家勢力についての情報は」


 バフォメットが激するメリルを目の端に置いて続けた。


「手がかりこそは掴めましたが証拠が伴わないのが現状だと言っておきましょうか。公女から聞き出せたことはあったものの、今追求してもしらを切られて終わるだけとみました」

「まだ自演の証拠を突きつける時期ではないということか」


 ダズマールが悔しげに呟く。


「暗殺未遂の自作自演を暴く方法を見つけましょう」


 淀み溜まりはじめた空気に風を差し込むように、メリルが提案する。


「実行犯の行方が掴めているのなら……捕まえられないかしら」

「そうだ、居場所と所属が分かったんならどうとでも理由をつけて引っ張れば」


 ミゼルも犯人の裏切り者を捉える案に同調した。しかしダズマールとバフォメットは難色を示した。自演の証拠としての、裏切り兵の逮捕と証言では決定力だ足りなかったからだ。


「……わたしは賛同致しかねます、犯人という何よりの証人さえ、公女の罪状を確かにする要素になり得ません」

「何で」


 言い募ったミゼルを諭すように、ダズマールがバフォメットの言わんとすることを説明した。


「名前が変わっているのはさておき、所詮は雇われ実行犯だ。舞台上の人形、首謀者にとって都合が悪い存在になれば、いつでも切り捨てられる。とかげの尻尾みたいにな。あの公女なら捨てることなんて何とも思わないだろう」

「〝首謀者にとって都合の悪い存在になる〟――それは、実行犯がわたくしたちの手に落ちて囚人となること……確かにそうですわ、エリク公なら口封じに動くでしょうね」


 メリルはすぐに次の考えを打ち出した。


「まずは中将の濡れ衣を晴らすことができれば……中将の無実が証明できれば、公国よりも先に我が国に巣食う不逞の勢力が何かしら動くはずです」

「公国との連携を強化しようとするそのつながりを暴いたらいいのではないかしら。そうすれば公国に逃げ道はなく、王家に仇なす者たちも捕らえられる」


 バフォメットが頷いた。


「中将の奪回を先決しましょう。わたしも、それには賛同致します」

「反王家と公国がつながっているなら、両方に揺さぶりをかけられるな」

「でもどうやって中将を助けるんだよ? 方法なんて何も」


 スカーレットを救う肝心の方法が思いつかないまま話が進んでいるとみたミゼルがバフォメットに問うた。


「一つ、ねたを用意してあります……些か乱暴な博打ですがね。わたしに任せていただこう」


 バフォメットは謎の残り香を置いて、部屋を出て行った。翻ったマントの胸、赤薔薇のコサージュが、朽ちそうに揺れた。

 メリルは疑問のこもったまなざしを、閉ざされた扉に消えたバフォメットの背に向けていた。メリル不支持のバフォメットが、どうしてメリル派のスカーレットを救おうとするのか、よく分からなかったのである。


 議会ではスカーレットの処遇を決めきれずにいる中で、古くからある貴族の保守的な一派からはメリルの即位は拗れるであろうとの見方を持つ者が増えているのが、無言のうちに窺えるようであった。特に意見を持たず、家を守るために王家に仕える貴族たちである。よく言えば保守的ではあるが、言葉を変えれば保身のためならばその時々でどうにでも傾く一団は、メリルにとって頭痛の種であった。ある意味では反王家よりも性質(たち)が悪く、悪意が露骨でないから窘めることも難しい。どうにでも翻るゆえに、彼らもまた危険要素には違いないのだ。


「我らの中に、公国に通敵している者がいると思われます」


 メリルの意識を現実へと帰らせたのは、クロードの発言であった。ゆっくりと美貌を持ち上げると、クロードの問題提起に貴族たちのざわめきが雑踏の影のように共鳴した。クロードは一同の反応を見て、呼吸と間を読んで、続けた。


「我が国のものだった玉座にメリル殿下をお迎えすることをよく思わない不届者がハークネス中将を焚きつけたのです」

「不届者……次席執政官、それは誰のことですの?」


 メリルが優しい弧を描いている眉を、敢えてひそめることはしなかった。誰が反王家勢力なのか不明な今は、何も知らないふりをして此方の動きを悟られないようにしながら敵の首に断罪の鎌を突きつける必要がある。国に巣食う白蟻共の存在も、連中が公国とつながっていることも、スカーレットが陥れられたことも、分かっている。分かっていないふりを演じる時間が重なるほどに、メリルの心の牙は鋭くなる。

 クロードはメリルに一礼して、発言を続けた。


「恐れながら申し上げます、メリル殿下。不届者という名の内通者は――」


 クロードが目線を向けた先にいた人物を、名指しした。


「首席執政官、否、宮廷悪魔バフォメットだと断言致します」


 議場はどうしてか、ざわめきを飲み込んだ静寂に包まれた。驚きではなく、敵意と猜疑心のこもった視線が、妙に納得したようにバフォメットを射抜く。

 バフォメットは何も言わなかった。責めるような視線の束は一顧だにしなかったが、指先で弄んでいた万年筆の蓋を手に取り、ペン先をしまう――かちり、その小さな音が短く意味深に果てると、灰色の目の奥がゆるゆると、多勢の害意を睨めつける。


「メリル殿下を次期君主に推さなかったことが、何よりの証拠です」


 ありえない――その言葉を、メリルが飲み込むのにはかなりの努力を要した。此処でクロードの発言に対して下手に返してしまえば、見えない敵に対して、メリル、バフォメット、ダズマール、ミゼルの協力が知れてしまうからだ。表面上、メリルとバフォメットは、立場が真逆、真実を知っているとはいえ、此処でメリルがバフォメットを擁護することはできなかった。あくまでもメリルとバフォメットは味方同士ではないと通さなくてはいけないために、メリルは動揺した。

 メリルが不自然にならない程度に周りを見渡せば、完全にバフォメットが黒であるという証拠がないにも拘らず、貴族たちにはクロードの発言が響いているのが分かった。

 確かにバフォメットは白薔薇と白百合を選ぶことでメリルにつくか公女につくかを示したあの場で、メリル不支持を表明している。メリル不支持、即ち公国側についているという理論が、それらしく響くのはあまりにも簡単なことであった。

 バフォメットが何故メリルに協力するのか、理由は不明だ。しかし、いつか翻る時が来ようとも、今は味方には違いない。メリルは下唇を噛んだ。


(わたくしが首席執政官を庇ったら)

(此方の結託と動きが、わたくしたちが反王家の存在を知ることが、明るみになってしまう……!)


 メリルがミゼルの様子を見ると、ミゼルも同じ考えなのか、苦虫を噛み潰したような表情で、父であるクロードを睨んでいる。クロードの息子という立場が、此処でミゼルが反論することも不審にさせてしまっていた。


「如何です、首席執政官」

「次席執政官、それはありえません」


 そこでバフォメットに代わって発言したのはダズマールであった。弁解しても怪しくなるだけの窮状に毅然として正論を並べ、一同が忘れていた大前提を述べる。


「ハークネス中将は誰よりも次期君主にメリル殿下を推す強硬な親帝国派です。そんな彼女が、首席執政官が仮に公国に加担している身であるとしたら相手になどしないでしょう。焚きつけられるどころか、そんな王家に仕える資格のない者など殺しているでしょう」


 困惑の迷宮に足を踏み入れはじめた議会は、暗雲が立ち込めるうちにまたもや幕を下すこととなった。

 貴族たちが去り、最後に残ったクロードが議場から出ると、待ち伏せていた黒影が毒づいた。扉の影からゆらりと現れたのは、マントを翻したバフォメットである。


「余程わたしを、潰したいようですな?」


 声は笑っていた。バフォメットは温かみのない、冷たい刃の瞳で、クロードを見た。今度は、クロードの方が無言になる番であった。

 見透かして全てを知る視線と、腹に含むところがある目線は、交わることなく別れた。


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