『あなたはただの略奪者』

 次席執政官クロードがその一派を率いてぞろぞろと宮廷を歩いていた。派閥に属さない古い家柄の貴族たちは、宮廷を我が物顔で歩くクロードを見て声をひそめて喋っている。まるで今最も権力がある政治家は自分だと言わんばかりの態――そこへマントを翻して歩いてきたもう一人の権力者に、その場は温度を下げて、緊張が閃いた。クロードは歩みを止める。

 首席執政官バフォメットである。マントの襟と左胸に赤薔薇のコサージュをつけたいつもの出で立ちで、何を考えているか知れぬ白面が無表情という基本を備えて悠々と歩いている。

 クロードはじっとバフォメットを見据えていたが、バフォメットは何か用事か考え事があるのか、クロードには一瞥もくれずにその横を通り過ぎる。

 交錯の刹那、運んだ風の静止と摩擦は、青い炎を噴く危うさを生んだ。


「その薔薇を、潔く百合に変えたほうがいいのでは――首席執政官?」


 バフォメットの背中を打ったクロードの言葉に、追従めいて傘下の貴族たちが責めるような視線を送る。バフォメットはクロード一派から少し離れたところで立ち止まる。

 バフォメットは襟元の薔薇の花びらを軽くつまんで、紳士的な笑みを口元に乗せた。やおら振り返り、ばさばさの長い黒髪の間で、温かみに欠ける目を細める。クロードの目と違って、微塵の敵意もない瞳である。


「姫からの贈りものが、妬ましいのですか?」


 悠揚迫らぬ態でバフォメットは意図を推し量りかねる返事をした。クロードは不審と不快を前面に押し出す。


「姫? ではその花はメリル殿下が?」

「殿下は」


 バフォメットはふっと、脱力したような苦笑を呈した。再び身を翻して、


「わたしの姫では、ない」


 気のない声は重厚で、何百年という時を閲した魔物めいた響きを備えていた。

 深い意味など無いに等しい接触であった。だがクロードは奥歯をぎりりと噛み締めて、貫禄とは異なるしなやかな威圧を前に、議会で論破されるよりも強い屈辱を苦々しく舐めたのであった。


「……悪魔め」



 首席執政官同士の緊張が高まり、貴族たちがひやひやする中、公国では反帝国勢力が武力蜂起し、帝国からダズマール率いる部隊が鎮圧、メリルが大臣を務める外務省が公国と公女に抗議をしている最中であった。

 バフォメットが執務室へ戻ると、撤退を済ませ帰国していたダズマールが待っていた。輸出入につかう中型の箱に腰掛けて腕を組んでいる。バフォメットが鍵を閉めると、ダズマールは箱の蓋を開けた。


「やあ……お久しぶりですね」


 覗いた箱の中には、猿轡をかまされた男が閉じ込められている。公国に買収されてスカーレットに公女暗殺の罪を着せた元帝国軍人だ。


「よく捕まえてくれましたね、ローランド大将。ありがとうございます」

「名を変えて公国軍の高官になっていた。呆れたものだな。鎮圧のときに衝突した公国の部隊にいたんだが、見つからないように運ぶのが大変だった」

「成程、それで荷物に紛れさせて……」

「こいつ、牢に繋いでおくわけにもいかないだろう。どうしたらいい?」

「わたしの執務室には床下に鍵付きの収納がありますゆえ、時期が来るまでわたしがしまっておきましょう」

「まるで食料だな、あんたならやりかねないが」

「場所がないので仕方がありません。ときにクロード少将はどうしていますか?」

「ミゼルはまだ公国だ。収容所であんたに頼まれた仕事をしてる」


 ミゼルは不遜な笑みを浮かべて、看守の困り顔を楽しんでいた。言葉を失いながらも確実に揺らいでいる看守の心を透かし見ながらミゼルがしていたのは、おもむろな動作で札束を積み上げる作業である。


「少将殿、こんなことをされても困りますよ」

「そう言うなよ、ちょっと頼まれてほしいんだって」


 言いつつ、持ってきた麻袋からまた無造作に札束を掴んで山の上に置く。


「白い少年の血液と、食事の成分を検査して結果を教えてほしい。それと、少年に侍医がいたらそいつの名前教えて」


 気の弱そうな看守は目を泳がせて、ミゼルの目を見ないようにしていた。そのたびにミゼルは敏く動揺を感じ取って金を弄する。


「言っとくけど、これ前金だから」

「エリク公を裏切れと言うのですか!?」

「大げさだなー」


 ミゼルは軍服のポケットに手を突っ込んだ。肩のすくめ方はわざとらしかったが、発言の内容は明晰であった。


「あんたのためにもなるんだぞ? これから未来がなくなる国での立場なんて守って何になる?」

「公国が、なくなる?」

「うん」


 ミゼルはあっけらかんと言った。目を瞬く看守にこれからの筋書きを小出しにして説明を織り交ぜ、噛んで含めるように続ける。


「オレたちの主人が公女を終わらせる。公女も公国もなくなる。今の公国は完全に帝国の属国になる」

「あんたには公国が帝国の属国になったあとの役職を用意してある」

「…………」

「収容所の役員は全員国家反逆罪で処刑の予定だ、もう決まってる」

「国家反逆罪!」

「此処で意地張ったって死ぬだけだ。金と地位を受け取ってオレの頼みを遂行することだけが、あんたの生きる道だ」

「この話を誰かに言ったら――」

「死ぬのが早くなるだけ。今オレがお前を殺したっていい。どの道処刑なんだからさ」


 看守は目を瞑り、再び開くことを何度か繰り返して、やがて札束の山に手を伸ばした。そしてがくりと項垂れて、要求をのむ。


「すぐに……少年の侍医を呼びます」

「ありがとう、話が通じてよかった」


 ミゼルは札束がまだ入っている袋を床に置いた。


「妙な真似を考えるなよ、あんたは中将に監視されてるからな?」



「エリク公はわたくしの方に謝罪がまだだと言ってきたわ」


 外相執務室では鋭い溜め息が灼けるように、可憐な唇からこぼれていた。

 公国の武力蜂起は先帝が亡くなる前にメリルと公女との間で締結されていた講和条約に反する事件であったにも拘わらず、メリルが抗議声明を発表すると公女は自作自演の暗殺未遂の剣を引き合いに出してきたのである。


「恥知らずな方!」


 メリルはこの吐息がどういった感情から来るものかと分からないほどに吐き気を覚え、親指の爪を噛んだ。メリルは傍らに用意した机で作業をしたり電話をかけていたバフォメットに問うた。


「収容所の彼の侍医は拘束できそうかしら?」

「ええ、買収した職員がいい働きをしてくれたとクロード少将から連絡が。明日の会議中には書類と一緒に提出できそうだといっていました。今拘束に向かっているそうです」

「証拠は揃ったのね」

「第一の敵と戦う用意はじきに整うかと。中将を奪回するできるのは近いでしょう」

「いよいよ、明日なのね……」

「そうです、明日がすべての分水嶺です」


 メリルはゆらりとバフォメットを見やった。不思議なくらい冷静に燃えていながら怒気滴らせる自分の姿を、バフォメットの温かみに欠ける虹彩に見る。

 バフォメットは短い沈黙を噛んでから、明日の各自の役割について話した。


「メリル殿下、公女を追い詰めるのは貴女の仕事です。臣は裏方に徹しますし、ローランド大将とクロード少将とて貴女を手伝うのに証拠の提示と演出をする程度の黒子役にしかなれません。全ては貴女の言葉と糾弾にかかっています」

「……あなたのお力には、ちても感謝していますわ。でも、そんなことは言われるまでもなく分かっています」


 バフォメットは持っていたペンを置いて、改まってメリルをしっかりと目の奥に捉えた。

 メリルの金の瞳はあらゆる夜を焼く暁のような無慈悲な輝きに満ちあふれていた。ドレスのスカートをつまんで翻して立ち上がり、バフォメットの前へ歩を進めると、机に片手を置く。バフォメットは瞬き一つしなかったが、メリルもまた不動の気色を睫毛の先にまで走らせて、声に力を含ませる。


「わたくしは中将を奪回します。あの方はわたくしの全て、わたくしが此処で生きる理由をくださった方ですから」

「あなたはまだわたくしを幼い姫だと馬鹿にしているかもしれません。でもわたくしはあの方を救うためなら何をすることも厭わない。エリク公だって、きっとこの手で殺します」

「臣は貴女を〝姫〟と馬鹿にしたことはありません――臣は貴女を〝殿下〟という血に選ばれなかった外れ者と思っているだけです」


 バフォメットは微動だにしないメリルにしれっと言い放った。胸の薔薇に手を当てて、


「わたしの〝姫〟はただ一人。貴女はただの、略奪者です」

「……わたくしたちは口が過ぎるようね。あなたの敵意とも随分親しくなったつもりでいたのですけれど」

「ふっ」


 バフォメットは失笑した。痛痒ないようであり、面白がっているようにも見えて、メリルは不愉快であった。つんけんしているわけではない愛らしい美貌が、毒を包んでいる。


「お互い頭が悪いのね。わたくしはまだ愚かにしろ、あなたがそんな感情的なことを言うだなんて」

「仰るとおりですな……」


 メリルは窓の外を見た。長かった夜をこの手で灼くと誓って、バフォメットを残した。

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