第2話

 疲れた。歩くのも、息をするのも。頭はずっと痛いし、コーヒーを流し込んだ胃もずっとキリキリする。

「何あいつ、今日休み?」

「うわぁマジかよ…最悪…今日も帰れねーじゃん」

「仕方ないって。ここでゲロったんだから」

体調を壊した仲間の心配さえしてやれない。自分の業務に皺寄せがくるから迷惑だとさえ思ってしまう自分が嫌になる。

(あー…むり…もう…)



「ここ違うって」

「す、みません…すぐ直します…」

「こんなクソ忙しい時にさぁ…こんな初歩的なミス、しないでくれる?」

すみません、って何度言っただろう。きっとこの上司もいじめたくて言っているわけではない。余裕がないのだ。栄養ドリンクの缶を捨てることも出来ないくらいに。

 チクチクチクチク。胃がずっと痛い。今日もまた、残業。明日も、明後日も。ずっとずっと。



「っは、っはぁ…」

今日がやっと終わった。電車を降りて、家まで歩く。一歩一歩が重くて、いつもの何倍もの時間がかかってしまう。今日もどうせ寝れない。ご飯もお腹が痛いから食べれない。そんなことを考えているとまた、気が滅入る。

 家に入って靴を脱いだ瞬間、もうダメだった。

 動きたくない。何にもしたくない。廊下の壁にもたれてずるずるしゃがむ。

着替えなきゃ。お風呂入らなきゃ。今日放ったらかしにしてたシーツ、どうしよう。頭の中が鈍く動く。でも、無理。ほんとに動きたくない。

(あ…といれ…)

ずっしりと重みのある下腹部の感覚。忙しすぎて、忘れてた。摩ったらまた強く、催して。

 行かなきゃ、トイレ。そう思うのに、体が動かない。

 もーどうでも良いや。力を抜くとじんわりとスーツが温かい。




「んと…けんと!!」

「ゆ…き…?」

「やっちった?とりあえず着替えてこい。風邪ひくぞ。立てるか?」

俺のほっぽらかした鞄を持ち、手を差し伸べてくれる。でも、体は言うことを聞かない。    だって、無理だもん。もう、何もしたくないもん。

「たてない…」

「でもなぁ…立ってくれないと流石にお前はおぶれねえわ」

「たてない!!」

ぼろぼろと涙が溢れてきて、泣きじゃくる。

困惑する祐樹の顔色を伺うことも、祐樹も疲れてるだろうに、なんてことも考えられない。

「お前…ほんとにどうした?具合悪い?」

「ちがう!!わざとおもらししたの!!だからこのままで良いの!!!」

頬やらおでこやらを優しく触られるのもお構いなし。困惑する祐樹を横目に泣きながら叫ぶ。

「も、なんもしたくないっ、きがえない、おれ、ここでねるからっ、」

何言ってるんだろ自分。頭がおかしすぎる。

でも、どうしようもない何かをぶつけたくて仕方がない。

「あーもーわかったわかった」

そんな俺に引いたのか、嫌気がさしたのか。そう言って俺の鞄だけ持ってリビングに入ってしまう。

「ぁ…」

(見放された…あんなこと言っちゃったから…)

そりゃそうだ。朝はあんなに当たり散らかして、家事をしないどころか作ってくれたご飯さえも残して。

 お漏らしなんてしなければ良かった。いつものように、当たり前にトイレに行って、シャワー浴びて、寝れば良かった。

 そしたら、明日も、いつも通り。

(いつも通り、会社にいって…)

心臓がドキドキする。また、皆の前で怒鳴られるんじゃないか、終電になるまで仕事しないと行けないんじゃないかって。考えれば考えるほど心細くなって、子供みたいにしゃくり上げてしまう。

「ぅ゛…う゛~…」

「まだ泣いてんのか」

「ゆ…うき…?」

何やら両手いっぱいに何かを抱えている。洗面器と、着替えのようなもの。

「上は死んでねえな。脱がすぞ」

固い背広を剥がされれば、スッと力が抜ける。

俺の下腹部に手を当てたかと思うと、2、3度そこを撫でられる。

「もー残ってないか?」

じゅうううう…

力の入らない下半身がまた、冷えたパンツを濡らす。大人の視点で考えると恥ずかしい行為。でも今はなぜかそんな感情湧いてこない。ただ、泣きたいだけ。全部どうでもいい。

「よし。じゃあ着替えるか。でもそのままだとどうにも出来ないから、ちょっとだけ立てる?」

脇の下に手を入れられて、膝立ちさせられて、自分でも外せるベルトを緩められる。

「えらいえらい。ここ捕まってな」

肩に手を乗せられて立たされる。

「うん、ちゃんとできた。右足抜いてー、そうそう。左足も」

ぶるん、と自分の性器があらわになって、裕樹の目の前にたずさえる。

「よし、良い子。拭いても?」

「ん…」

濡れた柔らかいタオルが足を滑る。水滴を拭われて綺麗になった足を見たら、子供に言うみたいにいい子いい子って背中を叩かれたら、さっきのぐちゃぐちゃな感情が少し落ち着いた。






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