1-7 コントロール・アップル

「そういえばこの間の、林檎ちゃんだっけ。その後どうなったのか、話聞いたりした?」


 数日後のとある放課後のこと。

 いつものようにオカルト研究会の部室で先輩の膝枕に身を委ねてくつろいでいた時のこと。

 私の頭を撫でていてくれた香葡かほ先輩が不意にそう言った。


「はい。実は今日、ちょうどその話をしたところで」


 後で報告しようと思っていたんだ。

 私がそう頷くと、香葡先輩はわくわくした風にこちらを見下ろした。


「結論から言うと、姉妹仲は良好みたいですよ。むしろ、避けられる前よりも余計に関係が深まったとか」


 私によって異能力と、そして元となる恋を失った森秋さん。

 お姉さんに対する恋慕はなくなったけれど、でも根幹にある姉への親愛はなくならなかった。

 恋心がなくなったおかげで、純粋な姉妹愛を持ってお姉さんに接することができるようになったんじゃないかと、森秋さん本人はそう言っていた。


「森秋さんは、恋を失うことでお姉さんを好きじゃなくなることが怖いと、そう不安がっていましたけれど。でも小さな頃から大好きだと思っていたその想いは、しっかりと彼女の中に残っていたようです」

「恋は消えても愛は消えず、か。珍しいケースだけど、うんうん。綺麗な落とし所でいいんじゃないかな」


 香葡先輩はそう嬉しそうにニカニカと笑った。

 他人事だからお気楽に聞いているのではなく、心の底から彼女たちの幸せを喜んでいる。

 それが見てわかる、とても温かな笑顔。


 私が話を聞いた限り、しかしそこに至るまでは大変だったようだ。

 森秋さん自身が恋を失くしたとはいえ、お姉さんに気付かれ避けられていた事実は変わらない。

 だから彼女が真っ先にしたことは、お姉さんとしっかりと話し合うことだったとか。


 避け続けるお姉さんを頑として捕まえ、膝を突き合わせて気持ちをぶつけ合った。

 そうしてなんとか誤解を────誤解ではないけれど────解いて、お互いを大切に思っていることを確かめ合って。

 そうしてようやく彼女たちは、姉妹らしい関係を取り戻したと、そう言っていた。


「香葡先輩はこうなること、わかっていたんですか? 彼女たちなら、こう落ち着けるって」

「え、私? いやいやわかんないよぉ。私エスパーじゃないからね、未来なんて見えませんとも」


 私の問いにまさかと笑う香葡先輩。

 いつものことだけれど、香葡先輩は私から話を聞いただけで、今回のあらましを感じ取って予測を立てていた。

 だから彼女たちが辿ることになるその先のことも、もしかしたら予想できていたんじゃないかと、そう思ったんだけれど。


「ただ、そうだね。林檎ちゃんたちの道が開けるとしたら、それは二人が胸襟を開いた時しかない、とは思ってたけどねん」

「つまり、人を操る能力を手放して、心を剥き出しにして向き合えば、ですか」


 私が続けるとうんうんと頷く香葡先輩。

「だから柑夏かんなちゃんのサポートはバッチシだったよ」とことさら優しく頭を撫でてくれた。


「柑夏ちゃんももうよくわかってると思うけど。ガールズ・ドロップ・シンドロームによって顕れる異能力は、罹患した本人じゃなく、恋心を向けた相手が望む事柄に由来するから。人の心を操って自身に引き寄せる能力。それは、お姉さんが妹の心を欲している証なんだと、私は思ったんだ」


 香葡先輩は温かな笑みを浮かべたまま、少し遠くを見るような顔でそう言った。

 ここにはいないあの姉妹に想いを馳せるように。


「つまりそれは、お姉さんが林檎ちゃんを嫌ったわけじゃないっていう根拠になるんじゃないかって。戸惑って、どう接すればわからなくなったけど。妹を想う気持ちに変わりはなくて、むしろ求める気持ちはすごく強いんじゃないかって」

「やっぱり香葡先輩、全部見えてたんじゃないですか? ご明察ですよ」


 森秋さんの話では、その通りお姉さんは彼女を嫌ったり不快に思っていたわけでなかったようだ。

 妹が自分を姉妹以上の気持ちで見ているのではと思って、その通りには応えられない自分に罪悪感を覚えた。そんな感じだったそうで。

 でも今まで通りの、妹に対する強い愛情、執着のようなものは変わらず持っていて。

 その齟齬への不安が、妹を避けるような行動に現れてしまった、とか。


 根幹にあったのは妹の愛。シスコンともいえる執着。

 だからこそ森秋さんの能力は、他人の気持ちを引き寄せ、思い通りにするものだった。


「不思議ですよね。好きだからこそ気持ちに応えられないとか。好きだからこそ遠ざけてしまうとか。好きの種類の違いとか。どうして、ただ素直に好きと言い合えないんでしょう」

「さぁ、どーしてだろうねぇ。乙女心は複雑だっ」


 私の疑問に何だか香葡先輩はニヤニヤとしながら言った。


「私はその辺りのこと、よくはわからないけどね。でも見てるとさ、これぞ恋の醍醐味って感じ、しない?」

「他人事だからって……」

「いやいやだって、他人の恋バナ、楽しいじゃん!」

「もう、香葡先輩ってば……」


 楽しそうに笑う香葡先輩に、私も釣られて笑みをこぼす。

 私たちはいつも、人の話を聞き、少し手を出して、またその様子を見守るだけ。

 助けるだなんて言ったりもするけど、私たちはいつも他人の恋を見聞きするだけの蚊帳の外。

 でもこうして香葡先輩と人の恋の話をするのが、私は好きなんだ。


 私たちは別にこの学校の自治組織とかではないし、特殊な能力・現象に責任を持つ立場でもない。

 オカルト研究会に、ガールズ・ドロップ・シンドロームに対処しなければいけない理由はない。

 私たちはただ、恋に堕ち異能に拾われた人たちの、その話を聞きたいから首を突っ込んでいる。

 いや私たちというより、香葡先輩が、だ。


 私はそれに付き合っているだけ。

 私は結局、人のためじゃなくて香葡先輩のためにやっている。

 でもそれでいい。それがいい。


「ま、何にしても丸く収まったようで何より! 柑夏ちゃんは今回よく頑張ったね!」

「私は別に、何も……」


 だというのに、香葡先輩はそうやって私を褒める。


「私はいつも通り、香葡先輩が見立てた通りに動いて、後は彼女の希望を聞いただけ。私は何も……」

「なぁに言ってんの! 今回柑夏ちゃんは、自分の気持ちで何をするかを選んだ。自分の意思で林檎ちゃんを助けたんでしょ? それは柑夏ちゃんの功績だぞ?」


 頭をくちゃくちゃと撫でながら、香葡先輩はそう優しく言った。

 えらいえらいと、まるで子供を褒めるように。


「見せかけの嘘に惑わされず、相手が本当に望む気持ちに寄り添って、柑夏ちゃん自身の意思で助けると決めた。だからこそ今、林檎ちゃんたちは幸せなんだよ? 柑夏ちゃんがやったことはとっても立派。ちゃんと自信持って」

「そう、なんでしょうか……」


 香葡先輩が望むから動いて、香葡先輩の見立てに合わせて動いてばかりいた私。

 そんな私でも、人のためになる決断をできたんだろうか。


 何が正しかったのかなんてわからない。

 あの時私は森秋さんを助けるべきだと思ったけれど。

 この先、それが本当にベストだったとなるかはわからない。

 私は香葡先輩みたいに、多くを見渡すことなんてできないから。


「いいんだよ。最善じゃなくても。間違ってても」


 素直に賞賛を受けられない私に、香葡先輩は言った。


「相手のためにどうするべきか、どうしてあげたいか。そう考えた気持ちが大切なの。結果なんて結局、どうなるかなんて誰にもわからないんだから。ね?」

「……はい。そうなのかも、しれないですね」


 例えば、恋を失って純粋な姉妹愛になったことで、ただの重度のシスコンになってしまうとか。

 シスコン同士、共依存関係でズブズブになってしまうとか。

 森秋さん本人はそんな言い方はしなかったけれど、話を聞く限りそうとしか思えなかった。

 まさか恋を失ったはずの人から惚気話を聞かされるという、世にも奇妙な体験をさせられるなんて。


 そんな未来、誰も予測なんてできない。きっと香葡先輩だって。

 だからいいんだろう、これで。大事なのは、私がどうしたいと思ったか、なんだ。


「だーかーらっ。頑張った柑夏ちゃんには、ちゃんとご褒美をあげましょう。柑夏ちゃんが大好きな、も・の」


 何とか自分を納得させている私に、香葡先輩はそんなことを言って。

 そっと私の頬を撫で、優しく見下ろす。

 私はただ呆然と、その温かな瞳を見返すことしかできなくて。


 そして、香葡先輩の唇が、私のそれをそっと塞ぐのだった。

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