1-6 嘘という鎧

 また翌日の放課後。

 私は同じように森秋さんを中庭に呼び出した。

 重い気持ちが表情に出てしまっていたのか、私の固い声掛けに森秋さんは静かに応じてくれた。


「結論が出たってことでいいのかな。私を助けてくれるのかどうか、について」


 昨日と同じベンチに座ってしばらく。

 会話を切り出せずにいた私の代わりに森秋さんが口を開いた。


「私、助けてもらえるの?」

「……その前に、確認したいことがあるんだけれど」


 会話が始まってしまって仕方なく、私は言った。

 どうして今自分がこんなに気持ちが沈んでいるのか、よくわからない。

 ただ、確かめることが少し怖かった。


 でももう逃げてはいられない。

 香葡かほ先輩が、結果を待っている。


「森秋さん、私に嘘、ついたでしょ」

「嘘……」


 私が尋ねると、森秋さんはこちらから視線を逸らした。

 それは肯定の証か、それとも疑われて心外だからか。


「それは、どの嘘のこと?」


 森秋さんはそう、すぐに続けた。


「私がついた、どの嘘に気づいた? どれを怒ってる?」

「森秋さん、あなた……」

「先に謝っておくね、ごめんなさい。葉月さんを傷つけようとか、馬鹿にしようとか、そういう意図はなかったの」


 そう言うと、森秋さんはぺこりと深く頭を下げてきた。

 あまりの潔さに虚を突かれつつ、でも何も納得はできなかった。


「私が気づいたのは三つ、だと思う。一つは、あなたとお姉さんの関係」

「…………」


 私が言うと、森秋さんはそっと頭を上げて神妙な顔をした。

 何を言われても受け入れるといった、とても大人しい態度だ。


「あなたは私に、お姉さんにはしばらく避けられていて、まともに会話もしていないと言った。でも実際は、毎日仲良く下校しているらしいね。ベッタリと、手を繋いで」

「うん、そうだね。間違いはないよ」


 素直に肯定する森秋さん。

 わざわざ嘘をついてきた人にしては、妙に呆気ない。

 そこに違和感を覚えながら、私は続けた。


「そもそもの原因の部分が嘘なら、相談全体が嘘かもと思った。そう考えた時気になったのが、この間の虐め」

「あの時の階段のことだね」

「そう。相談内容が嘘、つまりあなたが能力を抱えているという悩み自体が嘘なら、あなたが人を避けがちになっているのもまた嘘。そうなると、虐めの原因がなくなる。でも私は現場を見た。だから、確かめた」

「…………」


 それが、私が春日部さんに頼んだこと。

 私たちのクラス、二年二組に虐めはあるのか。森秋 林檎は虐められているのか。

 それを彼女には調べてもらった。


 虐めの実態調査なんて普通は簡単じゃないかもしれないけれど。

 顔が広く社交的な春日部さんなら、いろんな人に話を聞いて情報を精査できる。

 その結果の報告が、虐めは見当たらない。森秋さんは友達と仲良くしている、というものだった。


「二つ目の嘘。森秋さんは虐めになんて遭っていなかった。そうでしょ?」

「……うん、正解。すごいね、葉月さん。探偵みたい」


 森秋さんは頷いて、苦い笑みを浮かべた。

 すごいのは私じゃない。調べたのは春日部さんで、この仮説を立てたのは香葡先輩だ。

 私は何一つしていない。


「でも、あの日階段から突き落とされたのは事実。ただ、仲のいい友達が頼んだからって突き落としてくれるとも思えない。そう考えると、あの時の状況で思い当たるのは一つだけ」

「私が、みんなを操ってあの時突き落とさせたの。葉月さんの気を引くために、タイミングを合わせてね」


 またも素直に肯定した森秋さん。

 かと思うと、不意に私の手に自らの手を重ねてきた。

 その手に手袋ははめられていない。


 二人の目が合う。

 私は森秋さんの指と自分の指絡めて、強く手を握り合わせた。

 強く、強く。確かな意思を持って。


「こういうこと」

「……うん」


 三つ目の嘘。能力のコントロールはできている。

 今のは些細だったけれど、私は彼女と手を繋ぎたいと思わされていた。

 何の抵抗もなく、当然のように、私は彼女と指を絡めていた。

 この意思の塗り替え、行動の誘導が彼女の能力なんだ。


「コントロールできてるって、自信持っては言えないけど。でも意識して使ったことはないって言ったのは嘘。私はある程度自分の意思で人を操れるし、それを自意識を持って使ってる」


 森秋さんは私から手を離して淡々と言った。


「基本的には触れている時だけ。でも手を離してからも、数分は持続させられるよ。あ、今はもう何もしてないから」


 そう説明する言葉で納得する。

 あの時森秋さんを突き飛ばした女子たちは、その命令が持続していたからこそあの状況が作れたんだ。

 もしかしたらあの時、落ちゆく彼女に私が手を伸ばしたのも、この手に彼女の手が掠めた時に能力を使われたからなのかもしれない。


「……どうして」


 ここまで香葡先輩の仮説は正しかった。

 でもその理由は、森秋さんの口から聞かないと納得はできない。


「どうしてこんなことをしたの? あなたの、目的は?」

「目的はと聞かれたら、それは元から話している通り、私の状況を何とかして欲しかったから。助けて欲しかったから。それは変わらないよ」


 私の問い掛けに森秋さんは落ち着いた笑みを浮かべる。

 そこにはどこか、自虐的な色が見えた。


「葉月さんの噂は聞いたことがあったから、相談に乗って欲しかった。でも、なかなか関わりにくい人だとも聞いてたから、正面から声をかけても聞いてもらえないかと思って。だからあんな、強制的に巻き込むような形をとっちゃった。ごめんね」


 自分が取っ付きにくい人間だという自覚はある。

 そこに関して思うところはないけれど、それにしても無茶が過ぎるやり方だ。


「何で色々嘘をついたのかは、軽蔑されるのが怖かったから、なのかな。話してみたら案外いい人だった葉月さんに、嫌われるのが怖くなっちゃったの」

「は? 私が……?」

「うん。だって思っていたよりずっと、親身になって聞いてくれたから」


 そう言ってまた笑みを浮かべる森秋さんは、やっぱりどこか自分を卑下している。

 私はそんな褒められた人間じゃないのに。

 人のために何かができる人間じゃ、ない。


「もうわかってると思うけど。私、お姉ちゃんを何度も操ってる。友達にやったのもそうだし。人を自分の都合のいいようにコントロールするような女なの。みんな私のこと、大人しくて良い子とか言ってくれるけどさ。ぜんっぜん」

「…………」


 そう言って森秋さんは俯いた。

 二つのおさげ髪を弱々しく握って、言葉を続ける。


「下校の時だけ。学校から家までの時間だけでも、優しいお姉ちゃんを取り戻したくて。一回手を握ったら、もうやめられなくなった。でも、そんなことを続けてる自分が怖くて。いつか、お姉ちゃんの手を放せなくなっちゃう時がくるんじゃないかと思うと、夜も眠れなくて」


 僅かな間だけ得られる幸福。でもすぐに戻ってくる現実。

 逃避は永遠には続けられない。

 森秋さんは誘惑に負けながらも、未来を見ようとしていた。


「だから、助けて欲しかった。こんな恐ろしい力を恐ろしい方法で使う私を……止めて欲しかったのっ……!」


 そんな叫びと共にこぼれた涙は、昨日より大きかった。

 これこそが森秋さんが抱えていた本当の悩み。

 叶わぬ恋を力尽くでなんとかしてしまおうとする、自分への恐怖と不安だ。


「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……! 勝手なことして、酷いことして……。本当のことすら言えなくて。こんな嫌な女なのに、助けてもらいたくて、ごめんなさいッ……!」


 ちょっと嘘を紐解かれただけでこうも涙が止まらないのに、自分を守るために嘘をつかざるを得なかった森秋さん。

 正直私は別に、彼女に裏切られたとか、傷付けられたとかは思っていない。

 少しショックではあったけど、色々考えたりもしたけれど。

 でも私は、森秋さんの嘘に心を痛めるほど彼女のことを知らないから。


 他人の面倒ごとに巻き込まれるのは嫌だし、首を突っ込んで痛い目を見るのは御免だ。

 それでも、無謀な恋に心を痛めている彼女の、力になれたらとは思った。

 それは香葡先輩に言われたからではなくて。自分で森秋さんに触れて、聞いて、訴えかけられて、そこから芽生えたもの。


 この気持ちは、どうしてだか今でも変わらない。

 こうなってしまうほどに追い詰められている森秋さんを、責める気持ちは全く起こらない。

 きっとそれは、彼女がしたのが攻撃ではなく防御だからだ。

 だから私はダメージを受けていない。この気持ちは変わらない。


「謝らなくていい。わかったから。もう、いいから」


 私は昨日そうしたように森秋さんの背中をポンポンと撫でた。


「あなたが望むのなら、助ける。あなたを助けると、私は決めた」

「え……?」


 顔を上げた森秋さんは、涙で泣き腫らした目で私を見つめた。


「本当、に……?」

「うん。だからまずは涙を拭いて。あなたは、笑っていた方がいい。くだらないことでよく笑う方が、森秋さんらしい」

「もう、何それ」


 そう言って眉をハの字に寄せながら、けれど森秋さんは薄く微笑んだ。

 酷いよって文句を言いながら、でも少し明るく。


「ただ確認だけど。昨日伝えたこと、わかってる?」

「えっと、能力を消すと恋も消えるってやつだよね」


 私が尋ねると、森秋さんは不安げに言った。

 涙は拭ったけれどその跡は頬にくっきり残っている。


「それは……うん。あの、それってさ。私がお姉ちゃんのこと、好きじゃなくなるって、ことだよね?」

「そうなる。恋を失えば、森秋さんがお姉さんに抱いている特別な気持ちは、無くなる」

「…………」


 森秋さん俯いて少し押し黙った。

 怖いのは当たり前だ。気持ちが消えるなんて、普通じゃない。

 でも異能力に怯える日々もまた普通じゃない。

 どっちを取るのかはその人次第だ。


「怖い、怖いね。私、ちっちゃな時からずっとお姉ちゃんが大好きだったから。お姉ちゃんを好きじゃない自分が、想像できないや」


 ようやく口を開いた森秋さんは、ポツリポツリと不安をこぼす。


「でも、勇気を持って前に進まなくちゃだよね。どの道いつかは諦めなきゃいけない恋だもん。踏ん切りのつけ時なんだと、思わなくちゃ」


 自分を奮い立たせるように森秋さんはそう言って。

 少しして顔を上げると、私の目をまっすぐに見つめてきた。


「覚悟、決めたよ。葉月さん。私の能力を、私の恋を、消してください」

「わかった」


 涙で濡れた顔。でもそこには決然とした意思が見えた。

 誘惑に負け、嘘の鎧で身を守っていた姿は、もうない。

 私はそんな彼女の覚悟に倣って頷いた。


「ところで、どうやって消すの? 何かこう、儀式みたいなものをするとか?」

「ううん。やることは単純。私があなたとキスをすれば、それで終わり」

「キ、キス!?」


 私の返答に、森秋さんは顔をカッと赤らめて大声を上げた。

 私としてはもう慣れたものだから感覚が麻痺してきたけれど、普通はこういう反応をするものか、やっぱり。


「悪いけど、こればかりはどうしようもないから。私も好きでこのやり方にしたわけじゃないし」

「えっと、は、はい。わかり、ました……」


 渋々と頷きながら森秋さんは「ファーストキスだよぉ」とこぼした。


「でもその、どうしてとかは聞いていい? 何でそれで、能力と恋が消えるの?」

「……。それが、私の能力だから」


 せめてもの抵抗なのかそう尋ねてきた森秋さんに、私は淡々と答えた。


「キスをすることで相手の恋を食べる。それが私の能力シンドローム

「っ…………」


 ハッと息を呑む森秋さん。

 私はそれに気づかないふりをして、彼女に身体の正面を向ける。


「それじゃあいくよ。覚悟はいい?」

「は、はい……!」


 私が肩を押さえると、森秋さんはひっくり返った声を上げて、そして力強く目を瞑った。

 体の震えが肩から私にも伝わってくる。それは決して、ファーストキスの緊張だけではないんだろう。


 実のお姉さんを好きになってしまった森秋さん。

 人の心を操る異能力で、すれ違った心を引き寄せて。

 でもそんな自分が怖くて、私に助けを求めてきた。

 そんな彼女の恋を今、終わらせる。


 ぎゅっと絞られた薄い唇。

 そこへ私の唇を重ね合わせる。

 森秋さんのファーストキスは、林檎の味がした。気がする。

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