後編

 晩餐というには質素な食卓。給仕の男が控えるなか、ヴァルラムと向かい合って座った。座高が違いすぎて目が合わないが、合ったところであちらから声をかけてくることはないだろう。

 黒髪の陛下は必要以上のことはくちにしない。クールで無口なのだ。そういうところもたまらなく好きだ。


「御招待ありがとうございます。素敵な食事会になるとよいですね!」

「亜人の食事に抵抗はないと?」


 皮肉げに唇を歪めて訊ねられたが、エリュシアは首を傾げて問い返す。


「国が変われば食事も変わりますよね。風土によって使う食材も違いますし、味付けも変わります。わたくしの周囲には多様な人材が配置されておりまして、各自が自分たちの地方料理を振舞う食事会は、いろいろと盛り上がりましたよ」


 エリュシアの住む場所は閑職とされ、身分の低い者が多かった。地方から出稼ぎに来ている者も多く、情報収集にも役立ったものだ。


「陛下の国では、わたくしたちの住む大陸から食材を仕入れておりますよね。僻地の村を介しておりますが、交易が盛んであると聞いております。王宮で珍味と持て囃されているものが、実は亜人国から仕入れたものだと知れば、上位貴族はどう思うのでしょうね」


 亜人族を、野蛮人だと揶揄する者はたしかに多い。偏見もあることだろう。

 だが、王族であって王族ではないエリュシアは、それに当てはまらない。


「むしろ、こんなふうな見た目に仕上げるだなんて、陛下お抱えの料理人は優秀ですね。これなんて、とてもグロテスクです。本当の目玉っぽくて、逆に食べてみたくなります。どんなお味なのでしょう」

「……おまえ、変わってるな」

「お褒めいただき光栄ですわ!」

「褒めてねえ」


 言葉のあとに舌打ちが漏れた。壁際に控えていた給仕が噴出した音が聞こえた。ヴァルラムは彼を睨み、エリュシアは笑う。

 つつがなく食事は終わり、エリュシアはヴァルラムに伴われて庭へ出た。

 記憶のとおりであれば、ここから歩いた先に小さな四阿あずまやがある。ぐるりと周辺をまわったあとに向かえば、頃合いを見計らってお茶の準備をしてくれているのが、エルラ時代の常だった。ヴァルラムは何も言わないけれど、おそらくその心づもりなのだろう。

 こちらの足に合わせて、ゆっくりゆっくりと歩きながら、それでも引き離しそうになって時折立ち止まるさまが愛おしい。胸があたたかくなる。


「陛下はやはりお優しいですね。さっきのメニューは、わたくしが泣いて帰りたくなるように仕向けていらっしゃったのでしょうが、逆効果というやつですわ」

「逆効果だと?」

「わたくし、岩にかじりついてでも帰りませんことよ」

「それはつまり、自国には頼れぬ事情があるということなのか」


 ヴァルラムの声が変わった。

 戸惑いと憂い。

 心配してくれていることが伝わってくる。


「いいえ。追い返されたとしても、受け入れてくれる余地はあると思います」


 怖かったら帰ってきていいんだぞ。

 騎士団長はそう言ってくれた。子に恵まれなかったという彼ら夫婦は、エリュシアを娘のように扱ってくれていた。酔った団長が「うちの娘」発言をしていることを、周囲の者は知っている。

 エルラだったころと違い、エリュシアには小さな幸せというものがある。

 かつて彼は、エルラの状況に心を痛めてくれて、人間の娘を憐れんでくれた。彼の「人間観」というものを歪めてしまった自覚があるので、エリュシアは伝えたいのだ。


「わたくし、たしかに生まれには若干の問題がございますが」

「若干」

「はい。でも、幸せです」


 強く言い切る。

 赤い瞳を見上げて、力強く訴える。


「ですから陛下、もうお気になさらないでくださいませ」

「なんのことだ」

「陛下はかつて人間の娘を妻としたことがありますよね。いえ、べつにわたくし、陛下がバツイチであることは気にしておりませんのよ、ええ本当に」


 だってそれは自分だから。

 その言葉は飲み込んで、エリュシアは続ける。


「城内を歩きまわって、使用人の方々から話を聞きました。皆さま、陛下についてくわしく教えてくださいました。陛下はかつての妻を想い、ずっと独身を貫いているのだとおっしゃっていました。彼女を深く愛しておられた――」

「そ、それは……」

「ということにしてあるのですよね!」

「――は?」


 エルラに対するヴァルラムの気持ちが、決して男女のそれではなかったことを、誰よりも知っているのはエリュシアだ。

 当時の彼は人間を知らなかった。

 エルラが亜人と接したことがなかったように、ヴァルラムもまた人間と接する機会がなく、互いに異文化交流をはかっていた要素のほうが強かったと思う。

 もちろん、優しくしてくれたことにより、エルラ自身はヴァルラムに好意は持っていたけれど、はたしてそれが恋や愛なのか。劣悪な環境で育ったエルラにとって、自身の気持ちが友情なのか恋情なのか、わからなかったのだ。


 ただ、うれしかった。

 彼の役に立とうと思った。

 自主的にそんな気持ちになったはじめての相手。

 だからエルラは故国の戦士が向けた刃に立ち向かい、ヴァルラムを庇って死んだのだ。



「わたくし、あなたにお会いしたかったのです。亜人国のことを知ったときから、ずっと」

「残虐な悪魔とされる我に? おまえ、自虐的すぎないか?」

「そう噂されるからこそ、よけいにお会いしたくなりました」


 あの優しい彼が変わってしまったとしたら、それはきっとエルラのせいだ。

 己を庇って死んでしまった人間の娘。味方であるはずの、同じ国の人間に殺されてしまった憐れな娘に対して、彼は心を痛めたに違いない。

 人間に嫌気がさしていて、勝手に送りつけてきた花嫁を殺してしまう可能性だってある。

 だけど、それでもエリュシアはこの国へ来ただろう。

 自分を受け入れてくれた亜人族と、その王にもう一度会うために。


「御迷惑をおかけしていることは承知しています。これはわたくしの身勝手な想い。たしかに我儘なのでしょう。ですからどうか、使用人として雇っていただければと思います」

「……なにを」

「いろいろできます、たぶん。いささか体が付いていかない部分もありますが」


 記憶のなかにあるエルラは、神殿を清めるのも仕事だった。広い神殿をひとりで掃除するだなんて、今思い返してもひどいイビり方だと思う。肌荒れもひどくて、ヴァルラムも驚いていた。

 身体的な理由ですべて同じようにはできないと思うけれど、やってやれないことはないから。


「必要ない。子どもは寝ろ」

「寝る。つまり、閨を!?」

「お、おまえは阿呆か。なぜ私がそんな倫理観に欠く真似をっ!」


 動揺したのか言葉が乱れたヴァルラム。その背後にある木立が揺れた。



「卑しい血の王よ、死ね」



 声が響く。

 がさりとした葉音に振り向き、ヴァルラムがしゅを纏わせた手刀を放つなか、エリュシアもまた走った。

 敵の狙いは陛下――その足下。

 エリュシアは両手を広げてヴァルラムの前に立ちはだかった。


 真空の刃が枝を切り裂き、しかしそこに賊の姿はないことに目を見張ったヴァルラムだったが、目線をさげたところで、身を屈めた少年に気づいた。唸り声をあげ、苦痛に堪えている。

 肩まで伸ばした褐色の髪には見覚えがあった。王の血族のひとり。ヴァルラムを廃しようと躍起になっている集団へ属している少年だ。

 襲ってくるのは大人とはかぎらない。

 その隙を突かれた形になったが、少年がこうしてうずくまっている理由は。


「おい、おまえ。大丈夫なのか」


 ヴァルラムの声に、同じくうずくまっていたエリュシアは顔をあげた。

 しかし痛みが走って顔が歪む。


「へいきですわ」


 声が震えるが、これは聖女のちからを使ったせいだろう。

 未成熟のエリュシアの体では行使不可能な、分不相応な大きさのちからを放ったせいで脱力しているだけで、時間が経てば回復するだろうと思われたが、どうだろう。

 自分にかつての『聖女』と同じちからがあるらしいとわかってはいたが、周囲にひとがいる場所では使うわけにもいかず、エリュシアとしては生まれてはじめて行使した。一気に放出すると死ぬ可能性があるとかつては言い聞かされていたけれど、それが事実だとしたらエリュシアの寿命は危ないのかもしれない。


「まあ、あなたに会うという目的は果たせましたし、いま、この命が尽きたとしても本望というもの」

「世迷い事を」

「二度あることは三度あるそうです。だからきっとまた会えます」

「ふざけたことを。私のせいでおまえの命が尽きるなど、何度もあってたまるか。なぜ、またも私を庇うような真似をした、エルラ・・・


 膝をつき、顔の高さを合わせてそう言ったヴァルラムに、エリュシアは驚く。


「どうしてその名を?」

「城内を歩きまわるのは誰でもできようが、迷いもせず自室に戻ることができる者は、この城を知っている者だけだ」


 賊が庭先で待っていた理由は、城内には不用意に立ち入れないから。

 害をなす者を弾く術が掛けられているし、入口と出口が同一ではない。敷居ごとに違う部屋へ転移し、正しい順路を選ばなければ迷ってしまう。



「そうですか、エルラのことを憶えていてくださったのですね」

「忘れるわけがないだろうが」


 まあたしかに、あんな死に方だ。忘れようにも忘れられないことは否めない。

 申し訳なくて謝罪すると、ヴァルラムは首を振った。


「謝るのは私のほうだろう。あのような目に合わせてしまった」

「もう。そんなふうに思っているかもしれないから、わたしはもう一度会って伝えたかったのですよ」

「なにを……」


 どこか泣きそうな顔をしている竜人の男に、エリュシアは告白する。


「ヴァルラムさま――いいえ、アルラン・・・・さま。わたし、あなたのことが大好きです。死んで、こうして生き返って、やっとわかりました。他の方とは違う特別な『好き』は、あなたにだけ向けられるものだと。ヒトの血が混じった半端者の王であろうと、わたしにとっては一番素敵な王さまです」


 『ヴァルラム』が代々の王に引き継がれている名であるということは、人間国には伝わっていない。

 黒く長い髪と赤い瞳。

 その姿に変じられるのが王の資格。

 人間との混血であるアルランであっても、それは変わらない。

 彼が、今代の王だ。


 だが、血統を大事にするのは人間も亜人も同じらしい。

 卑しい血としてアルランには敵が多い。だから普段は元の髪色と眼鏡姿で、王の側近として働いている。城内に暮らす、信用のおける使用人だけが知っている秘密だった。



「はいはいはい、感動の再会はそこまでにして、安全のために城内へお戻りください、お二方」


 割って入ってきたのは、給仕服の男。エルラの知識によれば、彼はアルランの友人だ。王の側近という意味では、本来彼こそがその立ち位置にある。


「エルラさま。ご無沙汰しておりますね。アルランはね、あなたがいなくなってからというもの、落ち込むわしょげるわで、それはもう大変でして。もう一度会いたい、会って想いを告げたいと神頼みまでする始末。しかしようやく念願が叶ったようで、俺としても安心ですよ。いやあよかったよかった」

「余計なことを言うなよ」

「はあ? おまえが初恋を拗らせてることなんて、城内のみんな知ってるよ」

「はつこい?」


 意外な言葉にエリュシアは耳を疑う。

 エルラたちは互いにそんな感情は抱いておらず、エリュシアは時間と距離を置いたことによって、ようやく想いを自覚したのだ。

 彼もまた同じだというのだろうか。エルラを失ったあと、抱く想いに気づいたと?

 まさかと思ってアルランに目をやると、そこには顔を赤くした男の姿があり、じわじわとあたたかいものが胸に湧きおこる。


「あの、本当ですか、アルランさま。あのとき言ってくださったのも嘘ではないのですよね。評判の美姫になるぐらいかわいいって」

「――おまえ、一度死んで性格が変わってないか?」

「たしかにわたしはかつてエルラでしたが、今はエリュシアですから。……あの、エリュシアのことはお嫌いですか?」


 もっと控えめで、儚げなほうが好みなのだろうか。

 おずおずと訊ねると、アルランは眉根を寄せる。

 知っている。これは彼が困っているときの顔。嫌なほうではなく、うれしいほうの意味で。

 だからエリュシアは笑顔で告げる。


「二度目まして、旦那さま。わたしがあなたの花嫁です。ずっとずっと会いたかったのですから、もう帰れなんて言わないでくださいね」


 対する彼の返事は抱擁と、耳もとで囁かれた「私も会いたかった」の言葉。

 広すぎる背中に小さな手を懸命にまわしながら、エリュシアは幸せを噛みしめる。髪の上からそっと落とされたくちづけも、なんだかくすぐったい。


「では、閨を」

「だからなぜ急くんだおまえは」

「かわいいって言ってくれましたのに」

「それはそれ、これはこれだろう」

「幼妻はお嫌いですか?」

「だから、そういうことを言うものではない」


 意外と頑固で潔癖、礼節を持った旦那さまとエリュシアが正式な『夫婦になる』には、それから十年の月日を要したという。



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二度目まして、旦那さま。わたしがあなたの花嫁です。 彩瀬あいり @ayase24

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