二度目まして、旦那さま。わたしがあなたの花嫁です。

彩瀬あいり

前編


 のひとは憶えていないかもしれない。

 けれど、それでもよかったのだ。お傍に侍ることができるのであれば、気づかれなかったとしてもかまわない。

 だが拒まれるのは想定外で、エリュシアは断固抗議することにした。




「なぜですか。これは国が定めた婚姻です。覆すなどもってのほか」

「なぜと問うか、そのなりで」

「このすがたが好ましくないとおっしゃいますか。なれどこればかりはわたくしのせいではなく、体にかんしては発展途上ということで、ご寛恕かんじょいただければさいわいにぞんじます」


 言っているうちにくちがまわらなくなってきたが、なんとか懸命に言い張る。すると相手はますます眉根を寄せた。

 切れ長の赤い瞳をすがめてこちらを見やる。彼の意識にすこしでも留まることができる。とてつもない高揚感だ。うれしい。

 薄い唇が開く。白く尖った歯が覗く。低音の声がエリュシアの耳を打つ。


「発展途上と申すか」

「はい。なにしろわたくしまだ七歳でして」

「……そなた、我の年齢を知っているのか」

「もちろんでございます。ヴァルラムさまは果て無き御代を生きる御方。数千歳とも数億歳とも囁かれておりますよね」


 亜人族は長寿だ。なかでも竜人の場合は人間の数千倍は生きるとされる。亜人族の長であるヴァルラムの名と姿は、人間が暮らす世界でもっとも古い書物にも登場しており、正確な年齢は計り知れない。

 知識のひけらかしにならないように気を使いつつ、それでも『貴方のことは知ってますよ』とさりげなくアピール。


 感心してくれるかと思えば、またも盛大に眉をひそめられた。

 ああ、あの眉がセクシー。

 エリュシアは彼の表情の中でも、あの顔がとびきり好きだ。哀しげに下げられるより、ずっといい。

 眼光が鋭いゆえに、睨まれていると感じるひとが多いらしいが、エリュシアは気にならない。むしろ大歓迎。だって彼が自分を意識した証拠だから。


「年齢差のことをおっしゃっているのであれば、どうぞお気になさらず。そもそもわたくしと陛下のあいだにはじめから存在しているものです。だからこそ、こうして馳せ参じたわけでございます」

「言っている意味がわからんのだが」

「若ければ若いほど、ともに過ごせる時間が増えるではありませんか。さあ陛下、わたくしと結婚してくださいませ」

「ガキは帰れ」



     ◇



 帰れと言われたけれど、こうして客室へ案内してくれたのだから、心の底から拒否しているわけではないのだと、エリュシアは信じることにした。


(まずは城に潜り込めたわけだし、まだまだこれからよ)


 内心で鼓舞し、拳を握る。

 我ながら小さい手だ。しかし、エリュシアが過去を思い出したのは三歳のときである。そのころと比べたら、今は存分に成長したといえるだろう。


 エリュシアには過去の記憶がある。

 正確には、前世の記憶だ。


 ざっと数百年前。亜人族と人間族は対立しており、表向きには『友好を深めよう』という風潮があった。王族同士が話し合いを持ち、人間の国から亜人の国へ誰かが嫁ぐことになった。

 亜人側は、おさである竜人族の頭目、ヴァルラム・デル・ヴァルキュリアン。

 そして人間側は若き王女が嫁ぐ予定であったが、彼女は恐怖におののき、これを拒否。しかし国家間の取り決めを反故にすることはできず、代理として立てられたのが、王女と似た色合いの髪と瞳を持っていた十七歳のエルラ――かつてのエリュシアである。


 エルラは聖女として神殿で働く孤児だった。ヒトであってヒトとは異なる不思議なちからを持っていることで、一部の層には畏怖の対象となっており、この機会に厄介払いをしつつ、あわよくば亜人の王をたおしてくれるのではないかという、まあそういった意味での人選でもあったと思っている。


 捨て鉢な気持ちで向かった先で出会ったヴァルラムは、人間でいうと十代の後半に見える美青年だった。

 襟足の長い黒髪は、やや浅黒い肌によく似合っている。ルビーのような赤い瞳だが、縦に割れた瞳孔には黄金色の虹彩が散っていて、それ自体が宝石のよう。痩せっぽちのエルラをすっぽり隠してしまうぐらいの体躯だが、噂で聞いていたような残虐な雰囲気はどこにもなく、逆に気遣われた。


 ああ、そうだ。かつての彼もまた、自分に「帰れ」と言ったのだ。

 勇気をもってくちにした「はじめまして、旦那さま。貴方の花嫁です」という挨拶に対する返事がそれだった。にえのように連れてこられた娘に同情してくれていた。

 しかしエルラにとって、己を取り巻く環境は決してよいものではなく、ヴァルラムたちのほうがよほど優しく感じられた。切々と窮状を訴え、「無理に返したところで立場が悪くなるだけ」と納得してもらい居場所を得た。


 ねやをともにすることはなかったけれど、それでも妻として隣に置いてくれた。家族を知らなかったエルラは、ただそれだけで幸せだった。

 しかし故国は、いつまでも亜人の王を弑することのないエルラにしびれをきらし、軍を従えて侵攻。「やはりおまえは人間ではなく亜人の一味だったのか」と糾弾された。

 諍いの末、ヴァルラムを庇ったエルラは、故国の戦士に殺されたのである。


 歴史書によれば、あの戦いは『一部の層による暴走』とされており、国が主導したものではなかったということになっていた。

 嫁いだのは聖女ではなく王女で、暴徒たちは自国の王女を取り戻そうとしたということになっている。しかし竜人が王女を深く愛していたため、人間たちの暴走はきつく咎められることはなかった。

 とはいえ何もなかったことにはできず、二国は不干渉を貫くことになったという。



 さて現世である。

 エルラの記憶を持ったエリュシアは王女だ。一応、その身分である。


 前置きをつけてしまうのは、エリュシアは妾の子ですらなく、王が避暑地で戯れに手をつけてしまったゆえに生まれた、下働きの娘だからだ。エリュシアの母は見目だけは大層よかったらしい。

 らしいと推測するのは、会ったことがないから。

 物心ついたころにはすでに引き離されており、母の顔を知らないのだ。


 母だと思っていたのが乳母で、彼女とも引き離されたのが三歳のころ。

 隠されて育ったエリュシアをどうにかして見つけだした王妃によってすべてが暴露され、「卑しい血の混じった娘」と罵られたときに前世を思い出した。同じようなことをよく言われていたからだというのは、我が事ながら哀しい。


 かつてのせいを思い出したおかげで、己を取り巻く環境は容易に理解できた。女の嫉妬は恐ろしいものであるし、男の自己顕示欲もまた恐ろしいものだ。

 エリュシアはそれらを適当に受け流しつつ、己の立ち位置を模索した。

 その結果『正妻にいびられる、実の親とも引き離されてしまった可哀そうな幼女』というポジションを確立し、王族として扱われないにしても、最低限の衣食住は保たれた環境を手に入れたのである。


 公務がないため時間だけは無駄にあり、前世と今世の補完に努める。そのなかで知ったのが、前述した歴史だ。

 エルラはいなかったことになっているし、亜人国との国交も断絶している。結界が張られ、往来すらできない状態だったが、近年になってその結界が緩んできた。

 王は親書を送る。

 ざっくばらんに言えば、『ご機嫌いかが、そろそろ仲良くしませんか?』といったやつで、過去に果たせなかった友好をいまこそ結びたいと申し出たという。

 その理由は、我が国の経済状況が思わしくなく、他所の大国に攻められそうで困っているからだ。竜人さま、助けてくれない? というわけである。


 ずいぶんと虫のいい話だなあとエリュシアは思った。

 だが、これはチャンスだとも思った。

 あのときと同じことをするのであれば、姫が嫁ぐことになるだろう。どうやらヴァルラム王は伴侶がいないらしいので、俗物的思考の上層部は『女をあてがっておけ』と考えるに違いない。


 エリュシアの異母姉たちは気位が高い。大国の王子ならともかく、未開の地である亜人の王なぞ「勘弁して」となるのは容易に想像がつく。

 そこでエリュシアだ。自分が志願すれば丸く収まる。

 王妃たちは厄介払いできてうれしい。エリュシアはふたたび彼に会えてうれしい。言うことなし。



 ということで、エリュシアは花嫁としてやって来たわけだが、まさか拒まれるとは。

 これでも待ったのだ。五歳の幼女を妻として差し出すのは、さすがに外聞が悪いと考えたらしく、七歳になるまでは待たされたのだ。よく我慢したものだと思う。


 ひさしぶりに見たヴァルラムは、記憶にある姿からは若干年齢を重ねていたけれど、それが逆に魅力的に映った。

 精悍さが増しており、よくもまあ独身でいたものだと感心と感謝だ。あのころも、婚姻には後ろ向きな独身主義だったが、今も変わっていないらしい。



「ですから、姫さまを妻となさることはないのではないかと。……まあ、年齢的な問題もありますが」


 ぼそりと付け加えつつエリュシアに言ったのは、ヴァルラムの側近・アルラン。アッシュグレイの長髪をひとつにまとめている、眼鏡の向こうに深緑色の瞳を湛えた優男。

 彼は人間との混血らしく、エルラの時代から「人間国との交渉役」として顔を見る機会が多かった。嫁いできたエルラの護衛もしてくれた。

 懐かしさもあり仲良くしたいのだが、あちらはそうではないようで。我儘な幼女を持て余しているといった態度を隠そうともしていない。

 エリュシアが志願したというのは伝わっているらしく、こちらに嫁いできたのも「我儘」と捉えている。そのうち飽きて、帰りたいと駄々をこねるのを待っているのだろう。

 そうはいかない。エリュシアはもう一度彼に会えるのを待っていたのだ。せっかくこうして会えたのに、帰ってなんてやるものか。


「男性にとって、幼妻おさなづまは浪漫ではないのですか?」

「……どこでそんな言葉を」

「あなどらないでくださいませ。母がわたくしを身ごもったのは、十三歳だったそうです。わたくしは七歳ですので、あと六年ですね。それなりに育つのではないかと思います」

「そんな特殊な例を出されましても」

「神殿長も、入ったばかりの巫女の少女を部屋に呼んで、『神の御心をお伝えしましょう』ってやりますし、神官たちも『神の思し召し』を実行して幼い巫女に『教育的指導』を――」

「あなたの国、ちょっとおかしくありません? ま、まさかとは思いますが、姫君は、その」

「御安心くださいな。身綺麗でございますわ」


 少なくとも今世は。

 後ろ盾のないエルラがどんな目にあっていたのか。憶えているからこそ、エリュシアは自分の居場所を確立したのだ。

 メイド頭の女性を味方につけたおかげで、男女両方の理不尽はある程度避けることができた。メイド頭の夫は騎士団長だったので、男性陣はエリュシアに手出しすることもなく、安心して過ごすことができたのである。


「陛下はべつに女嫌いというわけではないのでしょう? 婚姻の話を頭ごなしに断ったりはしていないようですし」

「それはまあ、国政といいますか」

「政略的結婚、おおいに結構。その恩恵でわたくしはここにいるわけですし」

「ものすごく疑問なのですが、なぜそこまでうちの陛下にこだわられるので? 姫君はとても可愛らしいですし、数年も経てば評判の美姫びきとなりますでしょう」

「まあ、アルランさまのお好みに合致しまして?」

「わ、私のことはどうでもよろしい。つまり、亜人国へ嫁がずともお相手はたくさんいるのでは、ということです」


 褒められたことがうれしくて、つい身を乗り出して訊いてみると、アルランはいつになく動揺を見せた。

 普段は取り澄ました態度を崩さない『陛下の側近の顔』が剥がれたことがおもしろかったが、あまりからかうのもよくはないだろう。姿勢を正し、エリュシアは事実を告げる。


「ですがわたくし、国王の血を引いているだけの下っ端なので、国にいたところで、お相手なんて見つかりませんもの」

「……しかし、こちらへ嫁ぐとしてもく必要もないでしょう。年齢を重ねてからでも遅くは」


 遠回しに「だから子どもは帰れ」と言われたが、その数年が命取り。


「いやです。待っているあいだにライバルが現れたらどうするのですか。陛下はあんなに素敵なのですから、わたくしが認めない嫁などダメです」

「妻を通り越して、母親になってませんかあなた」

「陛下を甘やかしたいと思っているのですが、これが母心というやつですか。わたくし、母を知らないのでよくわからなかったのですが、なるほど、そうなのですね」

「ちーがーうー」


 アルランが頭を抱えて唸った。「どうしてくれよう、このガキ」と毒づいた声は聞かなかったことにしてあげよう。




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