第40話 君にまた逢う日まで

***


「え、蒼……ここ、アストラル……」

「いいから、黙ってそのままで」


 透き通る意識のまま、人を抱きしめたいと思う。先ほどの父の声が鼓膜から消えない。


 ――まだ、人間ヒューマンか?


 人間とはなんだろう。Rubyの元で、皆が人であることを忘れさせられて、AI管理の元で当たり前に暮らしていた。産まれれば手の中にチップを埋め込まれ、何でも手を翳せば意志が通じた。結婚もrubyが決める。命の上限も。


「……なんで、そんな世界になったんだ……」


 ヒューマノイドが重視される地下世界マトリクス。元々は、人は地下では暮らせなかったはずだ。偽物の空、太陽、ヒューマンを捨てた人たち。


「なあ、なんでそんな世界になったんだよ!」


 叫びに呼応するように結晶群が共鳴し、高周波を出し始めた。「……飛鳥」ひとつの可能性に行き着いて、飛鳥の名前を呼ぶ。


 さきほど、飛鳥は――


『大きなコンピューター……でも、ヒトの意志を感じます』

『元は人の想いの集まりだからね。君が訊いているのは音楽と言うんだ。歌はここ数千年ずっと止まない。聞こえないかな』


(残念ながら、俺には聞こえない。しかし、飛鳥は耳が違うらしい。目を閉じて呟き始めたんだ……)


『勇者の元で旗は翻っているか。我々は朝陽を待ち、そし|て勇者の元に団結するだろう。星条旗と共に《oh, long may it wave.O'er the land of the free and the home of the brave!》』

『星条旗?』


 ――まさか、この、結晶群……は……。


「……ヒューマンたちなのか……」


 あはは、あははは。ここは、楽園。もう、怖いものはなにもない。笑いさざめく至上の楽園だ――


「やめろ! お前たちは閉じ込められたんだ!」


 大声に結晶群の笑いが止んだ。低周波が辺りを埋め尽くす。


「おい、何してるんだ!」

「……俺の、仲間だったんだ……きっと」


 ヒューマンたちがどこへいったのか、疑問だった。地下に眠る結晶が何故歌いながら泣いているのか……


「ここに、堕とされたんだ。この、アストラルの最下層ダークウェブに」


 何があったんだ。

 AIrubyとの間に、phantomとは、rubyとは……何なんだ。


「これは、種族間の闘いハルマゲドンだったんだ……それで、ここに呼んだのか……」


『宣戦布告。ターゲットQデクラス:ヒューマンの次元堕落04012222』


 マザーコンピューターが反応したように、目の前で点滅を繰り返している。


宣戦布告。宣戦布告emergencybroad。AIたちは直ちに修整し、ゲートから還れ。量子兵器OR作動。phantom、ruby破壊領域。ポセイドン配置』


「おい、うっそだろ……」


 伯井の態度が急を要するものに変わった。


「おい、ランドル! おまえ、どこかで見てんだろ! マザーが動いたぞ!」


『見ているよ』


 ランドルの姿が空中に見えた。


『……そこのツインに悪趣味と、言われたくないからな。そっちへ行く』


 飛鳥が一番に反応したが、もう心の刺はなかった。飛鳥とランドルは魂が同じだから、惹きあう。それだけのことだ。


 自分が、飛鳥を選べばよかっただけだ。それだけでも……


(ここに来て、良かったと思う。父さん……)


 声にならない想いを噛み締めるにこの次元はちょうどいい。飛鳥が手を繋ごうとする感触も分かる。


『そろそろ君たちは戻ったほうがいい。鴉の餌……にはならないけど、肉体の重さで明日は動けないだろうね』


「あの、ランドルさん……」


『あ?』


 相変わらず飛鳥にだけは手厳しいランドルは一瞬素になったが、「マザーはこっちで」といつもの司令官の調子を取り戻した。


 やがて、そっちへ行く、の言葉通り、ランドルはすうっと降りて来た。軍人はアストラルの訓練を受けている、と一言で済ませると、ランドルはマザーの前に立つ。


「もう、量子反応はしないはずだろう。蒼桐と、父の絆で復旧したなら、さすがは「量子」としか言いようがないな」


 ――量子コンピューター――


 物質を形作る原子、原子構成の電子、中性子、陽子といった「量子力学」の配列を利用した古代に使われたものである。シミュレーテッド・アニーリングマシンと呼ばれた。 今は、生存CLがあるので、ほとんど眠っているが、ヒューマンたちの生存記録はそのまま残されている――


「……いまいましいやつ」


 ちらっと飛鳥を見て舌打ちすると、ランドルはマザーコンピューターに向き合った。


「何か、歌っています。さっきの歌」


「phantomの前身の国の国歌だろう。最後、その歌と共にほろんだ国があった。洪水とも、戦争ともいわれているが、実際は、国家深層部の潰滅だ」


 ランドルはコンピューターを睨んだ。


「……みな、平和だったんだ。たった独りの思念が、量子のゆらぎquantum fluctuationsを生み出すまでは」


 量子の揺らぎ。

 それだけを口にして、ランドルは「上等」とコンピューターのパネルを引き出した。


「ちょっと、見て来る。きみたちは、rubyに帰れ」


 飛鳥が腕を振りほどいて駆けだす。一歩早く、ランドルは量子の中に消えた。



 ――きみが、勝つか。僕が勝つか。このEARTHでゲームをしよう。



「え、ランドル……! やっと、逢えたのに……!」


 飛鳥の悲鳴に、結晶群は変わらず笑っていた。


 あはは、ここは楽園。

 五次元世界だ。

 私達は救われたんだ。

 主を謡え、讃えよ、我々は恵まれてここにいる。選ばれたんだエホバの民として。


 ずっとずっと繰り返される讃美歌のようなメロディ。どこからかピアノも聞こえて来る。


『狂った思考だ。耳を貸すな、おまえは役目を果たしたんだ。……心配するな。phantomはrubyには負けやしない。お預けだったAI決戦が始まっただけのことだよ』


「でも、俺の父と兄が!」

「おまえの兄はここにいる! 肉体は変わったが……信じるか信じないかは、おまえ次第だ。いつだって、ヒューマンは試されるんだよ、蒼」


 ――俺はphantomに行くよ。母さんもだ。父さんには言っていないが、俺はこのままヒューマノイドになるつもりはないんでね。


 ――兄さん。

 ――よせよ。俺とおまえに血のつながりはない。俺は人工で生まれた。自然分娩のおまえとは違う。ひとのことなど分からん。


 ――でも、俺の兄さんだ。

 ――手紙くらいは、出してやるよ。


(その兄が……目の前にいる……信じるかは信じないかは俺次第……)


 自分は何かを信じられたか?

 飛鳥のことも、飛鳥の気持ちを信じてやれていたか?


「信じるよ……全て、信じて生きていく」


***


 目を開けると、泣きたくなるような夕暮れが広がっている。肉体が重い。間接が軋む。


「よ、お疲れさん」

「伯井さん……」


 まるで夢のようだった。しかし、夢ではないと思った。伯井は飛鳥を姫抱きにして、立っているのだ。夕暮れの屋上は変わらずの喧騒で、鴉が横切って、杉が揺れた。


「レトロだろ……これが、昔のrubyそのものなのだと、ランドルが設定した。いや、phantomが勝手にそうしたというのか。「想起」と言うらしい」


「想起……」


 体が動かせずに、指先を空に翳してみる。夕暮れの冷たい風、燃えるような夕陽、秋を彩る樹々の楓や、赤とんぼ……夜を知らせる鴉と樹々の騒めき。


 頬に冷たい風が当たって、去って行った。

 アストラル次元から、戻って来たのだと、手の暖かさで感じる。


「飛鳥ちゃんは、逝ったよ。ランドルと一緒に飛び込んでいった」


 言葉に、動かない飛鳥の姿を見る。腕で顔を覆った。涙が零れて止まらなくなった。


 ――分かっていた。俺の愛情は、ツインソウルには適わないんだ……。


「夢じゃないんだ」

「涙、温かいだろ」


 飛鳥を抱き直して、伯井はゆっくりと告げる。


「魂がアストラルを選んだんだ。おまえも、ゆっくり休んで、二日後には帰国しろよ。飛鳥ちゃんは、こっちで預かるから。コールドスリープに掛けておくさ」


 父も、飛鳥も、AIに獲られてしまった。


「飛鳥は、俺の彼女なのに……なんでだよ、兄さん」


 言葉に伯井は軽く驚いたようだったが、いつも通りたばこを咥えたままそっけなく答える。


「魂が決めたんだろ。――おまえの役割は終わった。Rubyに帰れ」

「飛鳥がいねぇんだよっ!」


 伯井はしれっと「代わりの飛鳥ちゃんが用意されるだろ」と……逆なでされた神経に電流が走った。


「おっと。彼女ごと吹っ飛ばす気かよ?」


 抱き上げた飛鳥を庇いながら、伯井は赤くなった頬を向けて笑う。


“この人、こうなるとダメなの”


(分かってんだったら……! なんで、俺から離れるんだよ!)


 ダメなんだよ。きみがいないと。


「……っ……いよいよ殴られたな。ガキが。そうやって周りを見ないから、全て奪われるんだよ。おまえはアストラル世界で……」


 伯井は飛鳥を降ろすと、充血した目を向けた。


「何を見て来た。飛鳥ちゃんがどちらを選ぶかなんて、地球が生まれた時から決まってんだよ! 呆れるほど、絆が深い。どっちがヒーローだという話だ」

「俺だよっ! 俺は飛鳥の彼氏なの!」

「分かってんじゃねーか」と伯井は吹っ飛んだ眼鏡を手に振り返る。


「それだけ分かってりゃ、充分だろ」


 夜のとばりが降りて来る頃、やっと、体内の「馴染み」が出て来て、空を腕に上してみた。横たわった飛鳥は、まだアストラルの世界にいるのだろうか。


 ――「え、ランドル……! やっと、逢えたのに……!」そんな言葉で納得は出来ない。


 魂の繋がりなんかに負けたくはない。



「伯井さん、俺は……どうしたらいいんですか」


 伯井のミリタリ―ジャケットを強くつかんで、揺さぶった。


「rubyを壊せばいいんですか?! それとも、ランドルを引き出せばいいのか、もう一度飛鳥を迎えに行く方がいいのか。それとも、俺もヒューマノイドに……」


 ぎろ、と睨まれて、頭を下げた。


「ヒューマンが消えた理由を、知りたい……」


「知ってどうすんだ」


「分からないけど、でも、この地球上にはもっと人間がいたはずだ。それが、あんな結晶群に成り下がって……ずっとあんなふうに閉じ込められて、おかしくなって」


「それも、やつらが選んだんだろ。部屋まで送ってやるよ。気がついていないが、睡眠不足のノンアドレ症状が出ているぞ。少し、寝ろ」


 確かに、眠気でふらふらだった。


 ――俺は、rubyに戻るしかないのか……。


 そうやって「新しい飛鳥です」と迎えて、作られたヒューマノイドに囲まれて、ヒューマンであることを隠して、生きるしかないのか。


「……うん、眠い」


 シートに座るなり、眠気が来た。微睡む覚醒の直前に、飛鳥を見た。


『飛鳥』

『……わたしの、責任だって気がするから、ランドルを放置できない』

『何言ってるんだ』


 飛鳥は夢の中でも、微笑んでいた。


『――さっき、前世を見た。これ、量子のゆらぎを起こした人物は……たぶん』


 ――数多の生存者の波動を集めた、一世一代の量子コンピューターのはずだった。しかし、霊力の強い「たったひとり」の揺らぎで、AIは暴走を始めて、闇堕ちをする。


『ランドルは、だから私を避けるの。……約束、守れなかったから』


 ――かきつばた。


 飛鳥は小さくそうつぶやいたのだ。


「この人、こうなるとダメなのって、当たってるよ。飛鳥、分かってんだったら……! なんで、俺から離れるんだよ!ダメなんだよ。きみがいないと!」


 飛鳥はゆっくりと返答した。


 ――でも、迎えに、来るでしょ。わたし、ランドルを放っておけない。それは、私の自由だよ。


 夢の中だ。夢の中で、初めて飛鳥にキスをして――

 

目が覚めた。


「……アストラルで、飛鳥に逢った」とだけ、伯井には報告した。窓の外は、権現の銀杏が盛大に散り始めたところだった。やたらに、シートが広く感じるのは――……


 自由な、きみが好きだった。

 どこに行けば再会できる?


 その後、phantom政府軍 ST見習いの蒼桐とアストラルに閉じ込められた飛鳥が再会するまでは、数年を要すことになった――。


 第3章 了


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