第39話 伝えたい量子と言靈
***
人は咄嗟に動作を止めるらしい。今までも色々な局面はあった。しかし、ここまで真っ白になった脳裏と、現実が剥離するような覚えはない。
目の前には、結晶に透過されたような水槽に、覆い尽くすような巨大な脳。それに「おい、掴むなら彼女にしてくれ、蒼桐」また伯井の手を掴んでしまった様子である。しかし、手が動かない。いや、意識が保てない。
――俺は、消えるのかな。親父....
「ったく……俺で良いのか。小学生」
(伯井さんはぎゅっと俺の手を掴んでくれた。それで、想い出したんだ。俺は兄貴がphantomに行くとき、同じように手を掴んだ――……)
「あ……」
「封書を預けたのは、間違いだったか。飛鳥ちゃんのほうがしっかりしてるぜ」
言葉も伯井の顔も表情も何一つ入って来ない。
かわりに入って来たのは、飛鳥の嗚咽だった。
「家族と、会えたんだね……蒼、良かった……伯井さん、貴方は」
伯井は片目をつぶると「厳密には違うが」と申し訳なさそうに呟く。
「父を助けようと、phantomに挑んだ魂は消えた。魂の無い肉体は、焼却される。しかし、軍部が魂の重さを測る実験体として、買い上げた。だから、俺は肉体はそうだが、別人だ。おまえに預けたのは俺だ。それで居場所を突き詰めた。なぜなら世界会議はrubyを.....」
言うと伯井は天井を、いや、天空を見上げた。いつしか天井はまるで昔のEARTHのように見紛う程の夕焼け色に染まっていて、アストラル・エーテル光を余すところなく輝かせている。
「やっぱりそうだ。だって、どこかからずっと助けていたもの」
「……さすがはランドルのツインソウルだな。飛鳥ちゃん、たまには直感ではなく、脳を使え。――さて、いつまでも「おてて繋いでらんらんらん」な彼氏はそっちに」
「はい。肝心なところで、いっつもこうなの」
会話が響き終わって、感触が一回り、小さくなった。「ぎゅ」と聞こえる程に飛鳥は強く、手を引いて「あたしのせいだよね」と俯き加減になった。
――そうだよ。おまえ、だって。俺の彼女じゃん……裏切ったんだよ。
言いたい
「おい、蒼桐、アストラル世界で、背中を向けるな、消えるぞ」
(俺なんか、どうせ)
「次元の実験で飛んでしまった父親と、ランドルをおまえは見てるはずだろう。その父を助けにphantomで『処分』されたおまえの兄は、ここに生きてるんだ。――多分」
神々しいほどの巨大な脳に、先ほどの女性が舞い降りて来た。
「魂とは、そういうもので
無意識に首を振った。
「……案外、脆いんな」
どこまでも
「これが、言靈だ。Rubyが得意だった「和国」のpower of words(パワーオブワーズ)。しかし、その国は、世界はAIもろとも地盤沈下で「アストラル下層」に堕とされた。何者かが、そうしたんだ。EARTHの生命装置を切って、低次元送りにした。考えられるか?天空九次元から低層3次元だ。
かつてのランドルはそれを突き付けるための、セカイカイギの準備をおまえの父とやっていたんだ。しかし、歴史は繰り返すようにーーー」
俯いて立つことも思い出せない。
「……伯井さん、この人こうなるとダメなんです。独りでどこかへ行ってしまう。ちょっと、離れてもらえますか」
伯井は驚きもせずに「了解」と手を挙げると、一歩退いた。
「親父……」と脳に語り掛けると、大柄の女性の霊が騒めくように動く。
「なんで、rubyの幻影なんか見せるんだよ」
***
水晶しかない世界は、静か過ぎた。PCの音もせず、そこには量子コンピューターの原型があるだけだ。
しかし、それももうどうでもいいくらいの気持ちがする。
「蒼は、わたしが夢でデートすれば満足なの?」
飛鳥の声が鼓膜に響く。
「蒼は、わたしがランドルが嫌い、蒼を選ぶと言えば、いいの?」
――どす黒い何かが空中に渦を巻いている。
「蒼は、わたしに触れられるなら、それでいいの?」
飛鳥は小さく息を吐くと、続けた。
「なら、好きにすればよかったんだ。私がヒューマンではなかった時間に。AIは元は、ヒトが作ったものなんだって、夢を見ていた時に。でも、私は思い出したよ。私は蒼とは対極にあったんだって。でもね」
飛鳥は「こっちみろ」とばかりに、手を引いた。
「ここはアストラルの世界なのに、どうして手が繋げるの? 覚えているからなんだって。夢で教えて貰った。例え魂だけの世界でも、物質で知ったことは消えないの。それが、心なんだって」
「でね、でね」と飛鳥はまくし立てる。聞いているうちに、心が温かくなってきた。
気がつけば、飛鳥は腕の中にいた。
唇が震えて自分が弱く感じたり強くなれた気になったりする。目頭が熱い。
でも触れていない。でも触れている。
心ひとつで具現化する世界。
「違う、違うんだ、飛鳥……」
きみが、好きだ。それだけが言いたかったんだ。
「うん、分かった」
――感情しかないアストラルの世界で。言えた言葉はやっと響き終えて消えて、それはまるで小さなピアノの音の様だった――。
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