虎将の義子(三)

 子怜に縁組を、という話は、じつは今回が初めてではなかった。最初にそれを持ちかけたのは、伯英の亡き妻の弟、徐文昌である。


「なんだおまえ、酔ってるのか」


 馴染みの妓楼でその話を聞かされたとき、伯英は思わず酒を噴きそうになってしまったものだが。


「酔ってなどいませんよ」


 文昌は険のある目を義兄に向けた。


「これでも真面目に提案しているのですが」


 酒を過ごすことなど滅多にない義弟だが、このときは少々酔いがまわっているように見えた。どことなく据わったような目つきや、常にはない投げやりな口調から。


「わたしもいいかげん、あの子が起こす騒ぎの後始末に嫌気がさしておりましてね」


 それは誠に面目ない、と養い子に代わって伯英は頭を下げた。昔から何かと世話になっている義弟であるが、最近とみに苦労をかけている自覚はある。


「だがまあ、あいつが悪いわけじゃないだろう」

「わかっていますよ。悪いのはあの子の顔です」


 そちらもまったく悪くない。悪いどころか良すぎるほどだ。その非凡な容姿が仇となり、幼い頃から不心得者につきまとわれることの多かった子怜だが、近頃ではそこに年頃の娘まで加わるようになってしまった。


 恋人をめぐる娘同士の張り合いなど、本来冷やかし笑いとともに放っておけばよいものだ。しかし、娘たちの親がいずれも街の有力者、しかも犬猿の仲であったとなれば、さすがに笑って見ていられなかった。少女の恋の鞘当てが、いつの間にか街を二分する争いにまで発展し、その火消しになぜか文昌が奔走する羽目になってしまったのなら尚更だ。


 ちなみに、当事者であるはずの子怜は、いつもながら我関せずといった様子で日々碁打ちに興じていた。もっぱらその相手をつとめていた伯英は、あたかも罪人の片割れを見るような目を義弟に向けられたものである。


「伯英どのもお困りでしょう。あの子を側に置いているせいで、不愉快な噂が絶えないではありませんか」

「べつに困っちゃいないがな。言いたいやつには言わせておけばいい」

「前回の遠征先では、都督どのがあの子にたいそうご執心のようでしたが、それでもお困りではなかったと」

「……たしかにあれは難儀だった」


 養い子の美貌に目をつけて、一晩貸せだの譲れだの、しつこく要求してきた上役を思い出し、伯英は渋い顔で杯をかたむけた。それみたことか、と言わんばかりの目をした義弟とふたり、しばらく無言で酒を酌み交わす。


「……わたしも、困るのですよ」


 白皙の面にうっすら朱をにじませて、文昌がつぶやいた。


「あの子にいなくなられては」

「……ほう」


 伯英は杯を口元に運ぶ手を止めた。


「おまえの口からそんな台詞を聞こうとはな」


 この義弟が、養い子に少々屈折した思いを抱いていることは知っている。悪意とは違う。しかし好意とも言えない。あたかも壁を一枚隔てて接するような、警戒にも似た複雑な思いだ。


 伯英の感想に何か言いたそうな顔をした文昌だったが、結局黙って首をふった。


「……とにかく、こんな馬鹿げた騒ぎは二度と御免です。ですから義兄上あにうえ、さっさとあの子を片づけてしまいませんか」


 言い方が相当に物騒である。やはりこの義弟おとうと、今宵はどうも酒に呑まれているようだ。


「身を固めれば、少しは落ち着くでしょう」

「落ち着くって、周りがか」


 普通は逆だろうがよ、と伯英は苦笑した。


「あの子も、変わりますよ」


 そいつはどうかな、と内心首をひねった伯英だったが、反論は差し控え、かわりに義弟の杯に酒を注いでやった。


 それからほどなく王家軍に叛徒討伐の命が下り、伯英も文昌も子怜の縁組どころではなくなっていた。まあそのうち、おいおい考えればよかろうて。などと悠長に構えていた伯英が自身の見通しの甘さを痛感するのは、出征先で養い子の婚礼の宴に引っ張り出された夜のことであった。



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