虎将の義子(二)

「まあ、起きたことは仕方ない」


 苦いため息をもうひとつ吐いて、伯英は頭を切り替えた。


「黄氏と縁続きになれたことは、そう悪くないしな」

「そうでしょう、そうでしょう」


 伯英の言葉に、迅風が息を吹き返す。


「おれもそれを狙ってたんですよ。あ、いや、もちろん、こいつにいい嫁さんを世話してやりたいっていう兄心が……」

「年が倍も違う嫁さんを世話してやるのも兄心のうちか」


 すいやせん、と再び床に這いつくばる迅風に、子怜は「兄って誰」とでも言いたげな視線を送る。


「だいたいな、おれに無断で縁談をまとめる馬鹿があるか。おまけに、えらい勘違いまでしやがって。昨日おれが黄家の当主にどれだけ嫌味を言われたか、祝い酒でへべれけだったおまえは知らんだろうがなあ」


 もはや返す言葉もなく、ただ床に額をうちつける迅風はひとまず放っておくことにして、「で」と伯英は養い子に向き直った。


「肝心のおまえはどうだったんだ、子怜」

「どうって」


 碁石が散らばる床から顔をあげ、少年は訊き返した。


「なにが」

「“蘭花笑”とはどうだったんだって訊いてんだよ」

「蘭花笑?」

「おいこら子怜、おれがちゃんと教えてやっただろ」


 まるで噛み合わない会話に焦れた様子で、迅風が口をはさむ。


「ほら、蘭が笑うってやつ……」

「なにそれ。気持ち悪い」

「おまえなああああっ!」


 やかましい、と伯英は迅風を一喝した。文昌がこの二人をまとめて置いていったのは、王家軍の先々のためなどではなく、単に厄介者を遠ざけたかったからではあるまいか。そんな疑惑が伯英の頭をよぎる。


「蘭花は春風に笑う、だったかな。どこぞの有名な詩人が、連城一の別嬪だっていうおまえの嫁さんを詩に詠んだんだと」

「へえ」


 伯英の説明に、子怜はいちおう納得したようにうなずいた。


「たしかに、そんなひとだったかも」


 ほう、と伯英は目を見開いた。この養い子が、他人に興味を示すとは珍しい。それこそ晴天にあられが舞うがごとき椿事である。


「なんだ、子怜」


 驚いたのは迅風も同じだったようだ。事の元凶をつくったそそっかしい若者は、子怜に下世話な笑みを向けた。


「おまえ、年増好みだったのか!」


 伯英は立ち上がって迅風の頭をぶん殴り、ついでに部屋の外へ蹴り出した。眼前の暴行を無感動に眺めていた養い子の前にどっかと腰を下ろし、その顔をのぞきこむ。


「あのな、子怜」


 なんだと見上げる子怜の髪が、いつになく丁寧に結われていることに伯英は気づいた。新妻の手によるものだろう。たおやかな女性に髪を任せている養い子の姿が目に浮かび、知らずゆるんだ口元を意識して引き締める。


「ちいと真面目な話をするぞ」


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