第一章 虎将の義子

虎将の義子(一)

「おまえらなあ」


 連城の北、王家軍の宿営に割り当てられた屋敷の一角で、王虎将軍こと王伯英は苦り切った顔でため息をついた。


「おれがいない間に何やってんだ」

「すいやせん、兄貴」


 すかさず頭を下げたのは配下の一人、りょ迅風じんぷうだ。いつもは不遜なほどに威勢のいい青年だが、今日ばかりは身の置きどころもないとばかりに縮こまっている。浅黒い顔にななめに走る刀痕も、心なしか普段の荒々しさを失っているようだ。


「おれもまさか、あの噂がそんな昔のことだったなんて思わなかったんですよ。酒場で会ったやつらも、まるで昨日のことみたいに……」

「つまりおまえは」


 伯英は迅風をぎろりとにらみつける。


「酒場で仕入れた与太話を真に受けて、この縁組をまとめちまったというわけか」

「いや、その……」

「でもさ」


 細い声が割って入った。床に片膝を立てて碁石を並べていた少年が、白いおもてをあげて養父を見る。


「伯英が言ったんじゃない。黄氏とうまくやっておけって」

「おまえ、兄貴に向かってその口のきき方はなんだ!」

「迅風うるさい」

「呼び捨てやめろっていつも言ってんだろ!」

「おまえら二人とも黙ってろ」


 成長して口が達者になった養い子と、何年たってもいっこうに成長しない配下の若者を、伯英はまとめて叱りつけた。


 たしかに言った。先発隊をまかせた二人に向かって。連城を治める黄氏とはくれぐれもうまくやれ。太興攻めにあたっては、何よりも後方の補給路を整えることが重要だ。そのためには黄氏の協力が不可欠なのだぞ、と。言ったが、しかし、


「……嫁をとれとまでは言ってねえだろうが」


 頭を抱える伯英の前で子怜は黙って肩をすくめ、迅風はいっそう身を縮めた。


 畿南郡のろう県で十数年前に伯英が立ち上げた王家軍は各地で武勲を重ね、そのたびに規模を拡大してきた。勝つほどにその名は高まり、伯英の位も上がり、そして増えた兵は今や二万を超えている。


 その王家軍に、太興奪還の軍に加わるべしとの命が下されたのは二月前のこと。ちょうど一つ前の戦の後始末に手間取っていた伯英は、迅風と子怜に手勢を十ばかりつけて連城へ向かわせた。一足先に連城へ入り、県令に挨拶をしておけと言いつけて。


 古参の部下と養子であれば、自分の名代として不足はない。その判断が間違っていたとは思わないものの──


文昌ぶんしょうがいないと、途端にこれかよ」


 参謀役の義弟の顔を思い浮かべて、伯英はぼやいた。


 伯英の亡き妻の弟であるじょ文昌ぶんしょうは、負傷兵をまとめていったん瑯へ戻っていた。本来、先触れとして連城へ向かわせるなら文昌がもっとも適任だったのだが、当の文昌がそれを固辞したのだ。


 王家軍の成長にともない、補給の手配やら各地の有力者との付き合いやら、戦場を駆けまわる以外にやるべきことが格段に増えた。それらに対処できる人材を、今後はもっと育てていかねばならぬ。ゆえに今回の役目も、迅風などの若い者に任せるべきだ。


 先々のことまでよく気のまわる義弟にそう説かれ、伯英もなるほどとうなずいたものだ。


 しかし、任せたそばからとんでもない事態を引き起こした配下を前にすると、やはりどう頑張っても人間ひとには向き不向きというものがあるのでは、と思わずにはいられなかった。


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