2.

 **


 深緋が吸血をしたことで、白翔の記憶はごっそりと抜け落ちただろう。


 それでもあの場に倒れていた疑問は残る。

 あの時間に、偶然通りかかった白翔は、部活仲間と遊んだ帰りだと言っていたから、その帰り道で不審者か何かに襲われたのではないか、と念のためひとつの可能性を植え付けておいた。


 殺人鬼の織田 将吾については、既に匿名で通報を入れていた。そばに落ちたアイスピックから、逮捕されているのを願うばかりだ。


 デジタル時計が九時半を過ぎようとしたところで、白翔は居間を出て行った。


 玄関口で、「また明日」と手を振るものの、深緋は動揺を隠せない。あの甘美な血の味が脳にこびりついて離れない。


『同級生からは血を貰わない』、この自分だけのルールを破ったわけだが、罪悪感より、また吸いたいという欲が圧倒的に勝っていた。


 二階の自室にこもり、ベッドに潜り込んだ。

 いつも提げている真鍮のロケットペンダントがシャラっと流れてベッドに落ちる。


 そばにある間接照明を点けて、ペンダントの蓋を開けた。深緋とよく似た若い女性が、幸せそうに微笑んでいる。


 祖母の話では、もう何十年も前に亡くなった、たった一人の母親らしいが。全く記憶にない。


 キュッと眉を寄せてから、再び楕円型の蓋を閉じた。


 *


 翌朝。あまり眠れなかったせいか登校中にあくびを連発する。いつものように駅に着いたところで、白翔に声を掛けられた。


「おはよ」


 彼の血を意識して、少しだけ素っ気ない言い方になる。


『恋に落ちた相手の血は極上』ーーもう二十年も前に祖母から聞いた言葉を思い出していた。それが本当なら、戸惑うより他はない。


 極上のひと口を味合わせてくれたこの子は、果たして恋の相手と言えるのだろうか?


 大路 白翔が。私の好きな人……?


 わからない。単に若いから、血が新鮮で美味しいのかもしれないし。


 思えばこれまでに、十代の男子の血は飲んだことがないのだ。そう考えたところで、スグルくん以外は、と訂正をする。


 ある日突然、祖母が連れて帰ってきたスグルくんは、当時十七歳だったはず。あの頃飲んだ血の味を思い出そうとして、眉間にシワが寄った。


「深緋……いま何考えてんの?」

「……え」


 走り出した電車に乗り込み、無言を貫いていると、急に白翔が顔を下げ、こちらの表情を覗き込んだ。


「なんか難しそうな顔してるけど……悩みか?」


 悩み。確かにそうには違いないが。


「うるさいなぁ。ほっといて」


 戸惑いから、いつも通りに白翔を見れず、思わずそっぽを向いてしまった。あからさまに嫌な態度を取ってしまい、胸の内がモヤモヤとして落ち着かない。そんな自分が何よりも嫌だった。


 *


 五限は体育だった。女子更衣室で体操服に着替える際、いつものようにロッカーにペンダントを仕舞ってから扉を閉めた。


 たわいないお喋りに興じながら、仮初めの友人たちと体育館に向かった。


 授業ではバスケットをするらしく、球技が得意な深緋は、張り切って体を動かした。


 背は低いが、跳躍力はあるので、何本かシュートを決めてチームメイトとハイタッチをする。


 やがてコートから下がり、次のチームと交替をした。スポーツタオルで汗を拭っていると、不意にドッと歓声が湧き、女子の黄色い声で騒がしくなった。


 隣りのクラスの尾之上おのうえグループが、キャッキャと嬉しそうに飛び跳ねている。時々、深緋に因縁をつけてくる四人組だ。


 歓声の原因に目をやると、思った通り、男子コートの中で白翔が活躍していた。


 スリーポイントシュートが決まったらしく、満面の笑みでガッツポーズを決めている。


「かっこいいよねぇ、大路くん」

「うんうん、まさに王子さまって感じで」


 教室で一緒にいる事の多いミカとモモコが、恍惚な瞳で物憂いため息を落とす。


 白翔、相変わらずの人気だなぁ。確かに見た目も良いもんね……。


 そう考えたところで、血も美味しいし、と内心で呟いてしまう。昨夜の血の味を思い出し、うっかり吸血欲に駆られた。


 口元に手を当てながらチラッと目を向けると、なぜか視線がぶつかりギョッとなる。

 白翔が嬉しそうに笑うのを見て、深緋は思わず目を逸らした。


 なんだろう、なんか……。居心地が悪い。


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