第44話 『無音』


落ち着いて。

戦況を見定めろ。


「ふう……」


深呼吸をして。

チャンスは一度だけ。

失敗すれば、死ぬ。

ああ、実にシンプル。


(『無音』に詠唱はない。あれは、厄災がゼロから創り上げたもの)


断然たる事実の復唱をし、全身に酸素を回す。

ナイフを握る手が軋む。

胸の高まりが、心臓の音が、うるさく感じた。


「ああ!!知ってる!知ってる!なら、加減しない!!」


アメーバは触手をしまい、粘土のようにこねくり回している。

いつしか触手だったものは一本の巨大な腕となっていた。

テケリリ、テケリリと不気味に嗤い声をあげている。

気持ち悪い。


(範囲は無限。奴を逃す訳にはいかない)


極限状態の高揚感に包まれていたのが分かった。

自分は今、この状況を楽しんでいるのだと。

無意識に、笑みを浮かべていた。

前傾姿勢となり、敵を見据える。


「『無音』!」


光が手のひらに集まり始めた。

拳が超高速で迫る。

どちらが早いか。


「こっちだ!『穿ツ月』!」


それは、第三者の声。

この場にいて、アメーバが視界に捉えていなかった者。

クエートだ。


刹那、二つの間合いに、小さな歪みが発生した。

それは小さなブラックホール。今にも消えそうだ。

アークごと呑み込まんと無差別に吸い込み始めた。

足場の雪が吸われていく。

吹雪が追い風になって吸い込まれそうだ。

剛腕は咄嗟の判断で引き戻した。

もう、止める者はいない。


「『無音』!」


その言葉を紡ぎ終える前、アメーバは逃走を測った。

実際、逃走という判断は正しかった。

だが、相手が悪かったのだ。


固有結界が広がるスピードは、種類にもよるが、平均して音速を超える。

モノによっては光に一歩劣る程の速度で広がっていくのだ。

それに、一生物が勝てる訳ない。


アメーバは大きく跳躍した。


「!!」


だが、その先にいたのは、


は、変える!」


焦茶色のローブを纏った青年だった。

どこから現れたのかも分からない彼は、ソレに全身全霊の蹴りを打ち込む。

あまりに予想外だったのだろう。

ガードすら間に合わず、口らしき器官に直撃してしまった。


「────!!」


声にならぬ叫びが轟き、緑色の血を吐く。

そして、


「やれ!


希望を残し、陽炎のように消えていた。

ブラックホールが消えるのと、闇がアメーバを飲み込んだのは同時。

これが、最後のチャンス。


(……やるか)


大きく深呼吸をして、ナイフを強く握る。


躊躇うな。斬れ。裂け。

アレは、敵だ。


厄災とは違う声。

本能に呼びかけているのか。

考えていても仕方がない。


アークは走り出した。

地面に叩きつけられたアメーバは、先程のダメージが響いているの倒れ込んだまま動きを見せない。

間合いを消しとばし、


「!」


その刃を獲物に切り込む。


「────!!」


痛みが全身を駆け巡る。

耳が割れそうな叫び声。

どこからナイフが来るのか分からない。

1本だというのに、あらゆる箇所から同時に刃が差し込んでいる。


10。20。30。40。

増えて増えて増えて増えて増えて。


返り血で、緑くナイフは染まった。

だが、アメーバはまだ死んでいない。

まだ、切り刻まなければ。

まだ、深く抉らなければ。

切り足りない。


そして、


(心臓!?)


漸く見つけた核。

それを潰そうとナイフを振りかざすアーク。

刹那、アークは強いフラッシュバンに襲われた。

閃光弾の直撃。その上、ゼロ距離。


「光!?」


咄嗟に目を瞑ったって、遅い。

瞼が閉じるよりも速く、光は盲目へと突き進んでいった。

辺りが暗いことも相まって、アークは間合いをとる以外の選択肢を取るしかなくなった。


「はあはあはあはああはああああああああああ!!」


過呼吸になりながらアメーバはぶつぶつと呟く。


「マジで良かったあ!『有光概』持ってきてて!」


彼らが目を開けた時、開いた口が塞がらなかった。


「は?」

「何が……」

『はあ!?』


それは、その場にいた者全員が予測できなかった。

当たり前だ。

完全体の『無音』が、終了前に砕け散ったのだ。


──何?

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