第28話 電話

その日の夜。今日のタスクも大半が終わって、そろそろ帰ろうかなぁと思っていたところだった。


「宮村さん、ミカサ水産の工場長から電話」

「はい、ありがとうございます!」


 先輩から取り次いでもらって電話口に出ると、開口一番大声で怒鳴られた。


『おい、さっきの発注データどういうことだ!?』

「な、なんでしょうか…?」


 突然のことに、思わず怯んでしまう。えっと、さっきミカサさんに送ったデータは……。必死で記憶をたどる。


『契約の内容と、原価も価格もまったく違うじゃねーか!こんな内容じゃうちは受けらんねーぞ!?』


 メールに添付したデータを見つけて、私は顔面蒼白になる。


――そうだ、今朝チーフに関数直してもらったデータ……!作り直すのを忘れてて、そのまま取引先に提出してしまったんだ。


「た、大変申し訳ございません…!私のミスで、誤ったデータを送ってしまいました」

『ミスだとぉ?こういう数字が一番大事なんだよ、わかるだろ!?こっちは一度ラインを止めて確認作業してるんだぞ!?』

「は、はい…ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません……」

『若かろうが新人だろうが関係ねぇ、仕事は遊びじゃないんだ!適当にやってないで、ちゃんとチェックしてくれよ!』


 工場長の声が胸に突き刺さる。最近、少しずつ仕事に慣れてきたこともあって、完全にたるんでた。私、何やってるんだろう……。


「…――本当に申し訳ございませんでした」


 こらえきれず、涙が一粒こぼれおちる。そのとき、ポンと後ろから肩をたたかれた。振り返る間もなく、いつの間にか背後に立っていたチーフが、私の手から受話器を取った。


「あ、もしもし?ジャパン食品の東間ですけど。――そうそう、オレオレ。いや、詐欺じゃねぇよ」


 話しながら、チーフがポケットからハンカチを取り出して、無造作に差し出してくる。私はあわててそれを受け取って、いつの間にかあふれて止まらなくなっていた涙を拭いた。


「そうなんだよ、俺が数字ちゃんと確認しなったから。本当に申し訳ない。……いや、そう言うなよ工場長。今度麻雀付き合うからさ。……ほんとほんと、ちょうど来月そっちに顔だそうと思ってたから。…うん、……はい。それじゃ正しいデータ送っとくから。……うん、よろしくお願いしまーす!」


 電話を切ったチーフが、「コラッ」と厳しい顔で振りかえる。



「おまえ、あとで説教!落ち着いたら工場長に正しいデータ再送しとけよ」

「……はい!」


 私はチーフのハンカチをにぎりしめて、バッと頭を下げる。


「すみませんでした!フォローしていただき、ありがとうございます」

「いいってことよ」


 チーフは恥ずかしいのか、スタスタと自分の席へ戻ってしまう。その背中を見つめて、私はまた涙が込み上げてきた。


――また、助けてもらっちゃった……。


 まずは、仕事だ!私はあわてて涙をぬぐい、一度電源を切ったパソコンをもう一度立ち上げた。



===


正しいデータをメールで送り、再度ミカサ水産の工場長に電話をかけて謝ると、先方の態度はだいぶ軟化していた。


「本当に、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。もう二度とこのようなことがないよう、注意いたします」


『いやいや、俺も言い過ぎたよ』



 工場長の照れ臭そうな声が受話器の向こうから聞こえる。



『ついカッとなってちまって…。俺の悪い癖でね。――宮村さん、東間くんの部下なの?』


「そうなんです」


『良い上司につけてよかったなぁ。まぁ時間はあるんだしよ、色々教えてもらいなよ。あいつはいい男だよ』




 思わず、「私もそう思います!!」と大声を出しそうになった。




 電話を終えてから、報告のためチーフのデスクへと向かう。いつの間にか皆パラパラと帰り始めていて、フロアの人影はまばらだ。


「チーフ」

「おう」


 チーフがパソコンの画面からちらっと顔を上げる。


「ミカサ水産さんに、データを再送してお詫びのお電話をしてきました」

「そうか」


 そういうと、チーフが席を立つ。そして、「お説教タイムだ」と私を会議室へと連れ込んだ。何を言われるかと身構えていたら、会議室に入った途端、チーフはきまり悪そうに私の顔をのぞき込んできた。


「おい、もう泣いてないよな?」

「は、はい…」

「もちろんミスはよくねーけど、人間だから間違えることは誰にでもある。あんまり気にすんなよ」


 ――どうやら、私が泣いたことを気にしているらしい。確かに、入社してからこんな風に感情を出してしまったのは初めてだ。


 チーフがアワアワしつつ、不器用だけど一生懸命、私を慰めようとしているのがわかる。


「あの工場長、口が悪いからさぁ。すぐ頭に血が上るタイプなんだよ。瞬間湯沸かし器。だからほんとに、ちょっとしたアクシデントみたいなもので…」



どうやら、チーフは女の涙にめっぽう弱いらしい。――これは、もしかしたらチャンスかもしれない。


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