TRACK13 旅の終わり

 しばらく泣いてると、雨はいつの間にか止んでいました。すっかり冷えてしまったくーちゃんたちの体を、雲の隙間から差し込むお日さまが温めてくれました。大楠さんの葉っぱについている雨水も、ハナちゃんが地面にほったらかしにしていたトンネルの絵も、そのお日さまに照らされて、天国があるならこんな場所なんじゃないかって、そう思いました。

「なにしてるんだ、こんなところで寝そべって」

 つい最近聞いた野太い声が聴こえました。海の男です。寝そべっているくーちゃんたちを、ぎょろりとした目で見おろしてきました。地獄の底のエンマ大王みたいです。全身、びしょびしょで、短い髪から海水がぽたぽた落ちて、くーちゃんたちの顔をまた濡らしてきます。島に来てからくーちゃんたち、濡れてばかりです。まあ、海をひたすら泳いできた海の男より、ましかもしれませんが。

「すごいです。海の男、船もないのに、こんなところまで」

「海の男だからな。突き落とされたところで、泳げば問題ない」

「さすがです」

「それより人様の船をジャックしておいて、砂浜に放置してくれるとは、ずいぶんな扱いじゃないか」

「若気の至りです」

「まずは謝れ。そしてそれは年を取ってからつかう言い訳だ」

 さすがは海の男。一筋縄ではいきません。

「ごめんなさい」するとハナちゃんが、涙声で謝ってくれました。まあ、こんな場で言うのもあれですが、海の男を突き落とした実行犯は、ハナちゃんなので。謝るのはハナちゃんが筋です。

「さすがあいつの娘だよ。いい蹴りしてやがる」

 海の男は、てっきりくーちゃんたちを無理やり連れ戻すと思ってました。でも、海の男は、大楠さんの近くにある鳥居に向かって手を合わせて、頭を下げます。

「トンネルは、見つかったのか」

 くーちゃんたちの方を見ずに、海の男は言いました。

「はい。見つかりました。この島の、大楠さんのトンネルです。海の男の言う通りでした。とても長い間、さみしがってました。ただ、そこに生えてただけなのに、いろいろ勘違いされて、持ち上げられて、勝手に絶望されて、もううんざりしてる感じがしました」

 海の男はくーちゃんのお話を、肯定も否定もしません。大楠さんの物語は、大楠さんの物語なので、ここでは割愛しましょう。とても、長いお話になるので。

「満足したか?」

 海の男はそう言いました。

「微妙です」

 くーちゃんの返事に、海の男は苦笑します。

「なんだ、まだ人間の世界より、トンネルの向こう側がいいのか」

「このままは、微妙ということです」

 くーちゃんはそう言うと、大楠さんの幹に再び近寄り、目を閉じます。現実の世界の音と空気が遠くなり、またさみしい風と冷たい香りが漂い始めます。

くーちゃんは、さっきまでいたトンネルに降りてゆきました。

 相変わらず無音の世界でしたが、さっき来た時より、少しだけ温かかったです。そのまま進むと、また沼にたどり着きました。光がちょっぴりさしていて、沼は思ってたより小さく見えました。相変わらず沼の中央には、小さな大楠さんがぷかぷか浮かんでます。

「大楠さん。呼んでくれてうれしかったです」

くーちゃんは、沼に入らず、遠くから声を掛けました。

「でもくーちゃん、もう少しあっち側、います」

 大楠さんは何も言いません、引き留めても来ませんし、応援もしてません。でもそれでよいんです。

「でも、約束します。また来ます」

 このトンネルでは、何も聞こえません。他のトンネルなら、不思議な音がたくさん響いてて、メロディになってることが多いんです。トンネルの植物さんが歌いたいから、きっとそんな音が流れてたんです。だからきっと大楠さんは、歌いたい気分じゃなかったんでしょう。でもくーちゃんは、歌いたくてたまりませんでした。歌わないと、頭の中の何かがはじけ飛びそうだったので。だから歌いました。くーちゃんの感じた音を、言葉を、口にして。大楠さんは、相変わらず何も言いません。でも、それでよいんじゃないかって思いました。

 気が付けばくーちゃんは、トンネルから現実に戻ってました。沼の香り、さみしい風は、もうありません。お日さまの光、気持ちよかったです。そして、歌の続きを寝そべったまま歌います。空に溶けてくみたいに、歌は、高く高く響き渡ります。

 それがくーちゃんの耳から全身に広がっていって、とても気持ちよかったです。嘘の歌は嫌いでしたが、誰かのための歌なら、好きになれそうだなって。そう思いました。ハナちゃんも海の男もそんなくーちゃんの歌を、じっくり聴いてくれました。

すると、ハナちゃんは、地面に落ちている枝を、突然手に持ちました。そして、湿った土を、絵具みたいにつけて、地面に置かれたトンネルの絵に、枝をふれさせて、そのまま何かを描き始めました。丸、三角、不思議に枝分かれした線、ぐるぐるうずまき、何、描いてるのか、今一つピンときません。

それはくーちゃんだったのでしょうか。

それとも大楠さんだったのでしょうか。

それとも、ハナちゃん自身だったのでしょうか。

きっと、ハナちゃんにしかわかりませんし、言葉にするのは何か違うから、絵にしたんでしょう。ずっとずっと見てたくなりました。別に本人に確認したわけじゃないですけど、ハナちゃんは、最高の絵描きさんになる。そう思いました。

海の男は、くーちゃんとハナちゃんの近くに腰を下ろして、ポケットからおにぎりを取り出しました。幸いラップに巻いてたみたいで、海水には濡れてません。

「食え」

 しばらくぶりに食べたお米、少しだけ塩が多かったですけど、とてもとてもおいしかったです。

 ハナちゃんも、おいしそうに、にこにことおにぎりを食べてました。口周りにお米がついてるのがかわいかったです。

 ひとしきり遊んだ後、海の男は「行くぞ」と言って、大楠さんに背を向けて歩きはじめます。くーちゃんたちも、別に嫌な気持ちはしなかったので、ついてゆきました。

旅の目的は果たせたのです。嘘だらけの現実に戻るのは嫌だったんですけど、その現実を嘘だらけにするかどうかも、結局くーちゃん次第なので。

 浜辺に乗り上げた小さな船を、海の男は屈強な腕で海に戻します。そんな海の男をカラスが「かーかー」と鳴いていて、海の男は「だまれクソガラスが!」と汚い言葉で返していたのをよく覚えてます。

「わかるですか? カラスさんの言葉」

「ああ、海の男だからな」

 海の男とゆうのはよくわかりません。

 

船は、海の男の操縦で出発します。冷たい海風は、くたびれた体を癒してくれます。おにぎりを食べて、お腹はいっぱいで、船はゆらゆら揺れてます。少しだけ頭がぼんやりしてきました。

「眠いの? くーちゃん」

 ハナちゃんは、うとうとしているくーちゃんにそう言いました。

「かもしれません。くーちゃん、食べてないだけじゃなかったです。夜、眠ってなかったです」

「ちゃんと寝なきゃだめだよ」

 大楠さんの前で、たくさん喋ったハナちゃんは、別人みたいに、色々なことをくーちゃんに言ってくれるようになりました。でもまた、明日には無口なハナちゃんに戻ってしまう可能性も、ゼロとは言い切れません。

「ハナちゃん」

「なに? くーちゃん」

「喋りたいこと、あります」

言わない大切さはもちろんあると思います。でも、伝える大切さは、きっとあると思います。だって、あんなにたくさんのことをハナちゃんが伝えてくれたから、くーちゃんは沼に入らない決断ができたのです。

「ハナちゃん、素敵な人です」

「え、ど、どうしたの、急に」

「無口なハナちゃん、素敵です。絵を描くハナちゃん、素敵です」

「えへへ、ありがとう」

「だから、学校に行けなくなるほど、ハナちゃん、つらい思いをしてたのだとしたら、なんだか、くーちゃん、悲しくなりました」

 くーちゃんには友達がいません。普通のフリをしてるとき、遊んでくれる人はいました。でも、それは友達じゃなかったです。だって、その時のくーちゃんを、くーちゃんは好きじゃなかったですから。

「くーちゃんも言います。くーちゃん、学校、嫌いです。みんな、楽しいと思えるお話、遠足、修学旅行、お休みに遊ぶ、全部全部、くーちゃん、楽しめません。楽しいフリする、うんざりする時間でした」

「うん」

 ハナちゃんは、そっとくーちゃんの手を握ってくれました。とても暖かかったです。ほんのりチョコレートの香りがしました。

「学校に行けなくなったハナちゃん、きっと間違ってないです。何があったのか知りませんけど、ハナちゃんがそうしたの、きっと間違ってないです」

「うん」

 くーちゃんはお話を続けます。

「えっと、だから、なんだって、話なんですけど。くーちゃんと、巻き込まれたハナちゃん、警察とか、先生とか、家族に、とても怒られます。学校、また通うことなります。それはくーちゃんにとっても、ハナちゃんにとっても、あまり楽しい時間じゃないとか、思ったですけど。でも、くーちゃんは」

 その続きを、ハナちゃんが代わりに言ってくれました。

「私、くーちゃんとなら、一緒に遠足とか、修学旅行とか、文化祭とか、お休みの日に、一緒に遊んだりとか、楽しい気がする」

 船のエンジンの音、カラスの鳴き声、海のばしゃばしゃとゆう音が混じります。とてもきれいな音でした。もしかしたらハナちゃんには、その音に色がついて見えるのでしょうか。とてもキラキラした目で、空や海を見つめてました。そのハナちゃんの笑顔が眩しくて、まるで太陽みたいでした。

「ハナちゃん、くーちゃんのこと、素敵とか、すごいとか言ってましたけど。少なくとも、ハナちゃん、くーちゃんの何倍も素敵と思います」

 くーちゃんがそう言うと、ハナちゃんはいつもみたいに顔を赤くして、うつむきました。やっぱりハナちゃんは、こうでなくっちゃです。

 ここから後の話は、あまり楽しくありません。警察や先生にしこたま怒られた話なんかしても、こんなおめでたい席では、暗くなるだけでしょう。あ、でも割とここまで暗いお話、しちゃいましたね。でも、よいですよね。明るいことばかりが人生じゃないですから。でも、お母さんたちとの対面の話くらいは、しておきましょう。

 夜遅くに警察署へついた時、お母さんは、泣きながらくーちゃんを抱きしめて「ごめんね、ごめんね」と言ってくれました。

 そして、お母さんは「痛かった?」と言って、くーちゃんの腕を見ました。きっと、旅に出る前に、お母さんが強く握ったくーちゃんの腕が気になったのでしょう。別に大したケガでもなかったので、痕はすっかり消えていました。

「だいじょぶです、お母さん。もう全然いたくないです」

 お母さんが、くーちゃんをわかってくれないことは、確かに嫌でした。生き地獄なのもわかってくれなかったです。でも、お母さんに、変に気をつかって、大切なことを伝えなかったくーちゃんにも責任はあります。

「腕のことより、くーちゃんは喋りたいこと、あります」

変に勘違いしてほしくないですし、くーちゃんは、くーちゃんの好きなくーちゃんでありたかったです。それに、くーちゃんのこと、好きでいてくれる人がいたんです。だから、それに恥じない自分でありたいと思うのは、当然じゃないですか? だから言いました。

「大げさかもしれませんが、くーちゃん、人生で最高の旅、しました」

お母さんは、ぎゅっと、強く、くーちゃんを抱きしめます。お母さんの長い髪が、くーちゃんの鼻をくすぐります。汗の香りが海みたいでした。くーちゃんの好きな香りでした。

「それで、思ったです。いろいろ嫌なこともありましたけど、やっぱりくーちゃん、お母さん大好きです。お母さん、心配かけたくなくて、色々頑張ってました。でも、くーちゃん、もう嘘、嫌です」

 そう言うと、お母さん、「わかった」と、しっかり頷いてくれました。好きでも、距離が近すぎると、嘘が増えてしまうこともあります。互いに、よい人生を歩むには、離れることも必要なんです。余談ですが、くーちゃんは高校を卒業して、お母さんのお家を離れた今でも、お母さんと仲良しです。

 話が前後しました。とにかく、この日お母さんとのお話で、巫女さんまがいのお仕事、すべて断ることになりました。

霧が晴れたような気分だったのを、覚えてます。

他に付け加えるとしたら、実はお母さんとお話した後、校長先生も警察署にやってきてたんです。

ハナちゃんはハナちゃんの親御さんにめちゃくちゃ抱きしめられてたので、校長先生とくーちゃんの家族には気づきません。ハナちゃんのご両親、すてきと思います。本当に。

「山に行くとは聞いていましたが、大冒険に出るとは聞いていませんでしたよ」

 校長先生は、そう言って笑いました。

後からお話を聞くと、校長先生も必死でくーちゃんたちを探してたらしいんです。なので、てっきり怒られると思ったのですが、相変わらず校長先生、優しい人です。

「まあ、なにはともあれ、長旅お疲れさまでした」

「怒らないですか?」

「それは別の人の仕事です」

 校長先生がそう言った後、くーちゃんはまだ喋りたいことがあったのを、思い出しました。

「校長先生、喋りたいこと、あります」

「はい、どうぞ」

「ハナちゃんは、島にある大楠さんの言葉、聴こえたわけじゃありません。でも、島の大楠さんのトンネル、ハナちゃんの絵、そっくりでした。呼んでいることも、伝わってきたです。なぜでしょう」

「ふむ」

 校長先生はこういう時に、即答しません。じっくり黙って、考えてくれます。校長先生の好きなところです。

「校長先生の意見よりも、この旅を続けたあなたの方が、いい答えをもってそうです。先に、あなたのお話を聞かせてもらえませんか? くーちゃん」

 校長先生から、くーちゃんと久しぶりに呼んでもらえました。うれしくって、くーちゃんは自分の意見を話し始めます。

「多分なんですけど、たまたま、同じだったから、呼ばれたと感じただけだと思います。ハナちゃんも、大楠さんも。くーちゃんも。大楠さんも。みんなつぶされそうで、誰かに来てほしかったのかもしれません」

「なるほど。続けてください」

「きっと、くーちゃん、ハナちゃん、大楠さん、似た者同士です。似た者同士、集まるんです。類は友を呼んだ。ただそれだけの話じゃないでしょうか」

 校長先生は「素敵な答えですね、くーちゃん」と言って笑いました。やっぱりくーちゃんの頭脳は、天才的とゆうことです。

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