第14話 笑顔のチカラ

歓迎会の一件で、忍は新しい職場にてお笑い役担当を認定され、一気に受け入れられた。

旅の恥はかき捨てというが、日常でもかっこ悪い姿をみせたほうが案外周りと仲良くなれるものだ。

細かなところに気がつくし、自分から仕事を探して働く姿は好感を抱かれ、いつの間にか親しみをこめて全員から

「忍ちゃん」

と呼ばれるようになっていた。

松木も例外ではなく、最後まで

「竹内さん」

と呼ぶほど礼儀正しく接していたのだが、副社長命令で周囲に合わせて下の名前で呼び始めた。

「僕までこんなふうに呼んでいいのかな?いやだったら断ってもらっていいですよ。副社長あの通り押しが強いから」

「そんなことないです、皆さんが気さくに接してくれてうれしいです」


この職場で勤め始めてから、毎日が楽しくて忍の表情はいきいきと輝いていた。

自分で決めたポリシーとして、派遣先では笑顔を絶やさず働いてきたが、今は作り笑いではなく、自然に笑顔がこみ上げてくる。

理不尽な上司もおらず、ハラスメントもなく、明るい声が響く。

自分を受け入れてもらえ、居場所があるということ。

日々仕事しながら充実感を味わえること。

今が人生で最良の日々のように感じられた。


笑う門には福来たる

にこにこしていたら自然といいことが舞いこむものだ。

「忍ちゃん、明日ランチ一緒にどうかな?よく行く定食屋の割引券明日までなんだ。翌日は昼間みんな出払ってるし」

帰り際、忍は業務用ホワイトボードを確認する松木に声をかけられた。

「えっ!? いいんですか??」

「いつもお弁当でしょ?だから事前に言っとこうと思って」

「は、はいぃー。喜んでお供させていただきますぅ」

ビシッと敬礼して即答。

「ははっ、芸人のやす子みたい」

こんなふうにふざけたことをして、とことんお笑い役に徹するのだった。


ふ、ふたりっきりでランチなんてっ

どーしよー、うれしいなー。


いつになくハイテンションで喜びが隠せない。

先日酔いつぶれて車で送ってもらったことをきっかけに、忍の中には松木に対するあこがれの気持ちがムクムクと顔をのぞかせていた。

もちろん既婚者の松木とどうこうなりたいとかいうわけではない。

推し活のように気に入った人を応援したいような、若かりし頃アイドルを追っかけたような、そんなミーハーな気持ちに他ならない。

「それじゃあまた明日。おつかれさま」

「はい、おつかれさまでしたー」


忍は現在父親とふたり暮らしだ。

母親は大学時代に他界している。

既に定年退職し家にいる父親のために、帰宅後は食事の準備をするのが日課。

よくできた孝行娘だ。

しかし先日の歓迎会のように、急に予定が入って帰宅が遅くなっても父親は咎めたりはしない。

むしろ家に縛られることなく、社会との繋がりがあることを喜んでいる。

父親は心配していた。

ひとりっ子だし、自分が先に死ぬのは世の道理。

つきあっている人もいないとなると、残された娘が一人ぼっちになってしまう。

だからこそ、自分の世話より友達づきあいを大事にしてほしいと願っていた。

それゆえ老後同盟のふたりが遊びに来たり泊まって一晩中騒いでいても、そんな友達がいてよかったと、内心安堵していた。



夜の街、帰り道。

普段ならスーパーに寄って特売品や値引き食材を買って帰る忍だが、今日は化粧雑貨を扱うお店へ。

新しいネイルや、顔のパック、ヘアオイル購入。

たかがランチ、されどランチ。

ものすごく気合が入っている。

帰宅後は冷蔵庫の余り物でパパっと夕食を作り、父親が自室に戻ってテレビを見ると、ササっと洗い物を片付け、長めのバスタイム。

バラの香りの入浴剤に浸かり、トリートメントもいつもよりリッチなものを。


ちょっとドキドキ、ちょっとうれしい。

そういうことも、忍はあまり口外しない。

自分の中でひっそり温めるタイプ。

対象的にすぐグループラインに入れ何でもさらけ出すのが咲希。さとこも忍と同様、あまり言わない。

しかし表に出さないだけで、想いや感じることはある。

今忍の心の中には、秘めた想いがくすぶっていた。



翌日のランチタイム。

「忍ちゃん、手が空いたらお昼行こうか」

松木に声をかけられ、忍は心臓が飛び出そうな気持ちだった。

ドキドキ対ワクワクがせめぎ合っている。

お店までの道、向かいのビルなのですぐそこだが、並んで歩けるのもうれしい。

お昼時で混雑していることもあり、席は向かい合わせのテーブルではなく、カウンターの横座り。

むしろこれでよかった。

真正面だと面接受けてるみたいで落ち着かず、食事どころではない。

松木は鯖の塩焼き定食、忍は鮭の塩焼き定食にした。

「僕さ、もらったクーポンとか使いきりたいタイプなんだ。だって何百円も得するのを使わなかったらもったいなくない??」

「わかりますー、私もスマホにもお財布にもクーポン入れてます。一年間で浮いた金額考えたらすごい額ですよね!? 侮れませんよクーポンっ」

「よかったー、忍ちゃんとはなんか価値観合いそうな気がした」

屈託なく笑う表情、目が優しい。

温和な人柄は、忍を安心させた。


この人は、昔のいじめっ子の男子達とは違う。

こんな男の人もいるんだ。


食べながら仕事の話や、家が近所ということもあり共通の話題が多く、どこのスーパーが何が安いかとか、随分生活に密着した庶民ネタで存分に盛り上がった。

楽しすぎてお昼休みがもう一時間欲しいくらいだった。

会計時、自分の分は払いたいと申し出ても、今日はつきあってもらったからごちそうするよ、という松木の申し出に素直にあまえることにした。

「ごちそうさまです」

その言葉は松木にだけでなく、店員にも笑顔で。

「ごちそうさまでした、すごくおいしかったですっ」

その一言に、店員が笑顔になる。

「ありがとうございます! またお待ちしています」

その様子をみて、松木も微笑む。

「忍ちゃんてさ」

「はい?」

「いつも笑顔がいいね。それにお店の人にもああやって気持ち伝えれる人っていいね」


ぽわぁぁぁーん…


目の前でほめられて、赤面する。

「そんなそんな、私全然かわいくないし、ただ笑うことしかできないっていうか…」

そう話す忍の口元に、松木はしっ、と人差し指を差し出した。

「忍ちゃんはちょいちょい自分を下げて言いがちだけど、もっと自信もっていいと思うよ。だってさ、忍ちゃんが笑ってるだけでお店の人も僕も会社のみんなも笑顔になるんだよ。それってすごい力だし、忍ちゃんの笑顔は菩薩さまみたい。優しくて温かく包みこんでくれる、慈悲の真心が表れてる」

「そんな…菩薩さまだなんて…」


それは松木さんのほうこそ、慈悲の固まりです。

なんて思っても本人に言うのは気恥ずかしくて。

そして唇に触れかけた指が繊細できれいで、ドキドキしてしまう。


「それくらい忍ちゃんの笑顔にはチカラがあるんだ。心のきれいな人じゃないと、そんなキラキラした内面からの輝きにはならないよ。だから、その笑顔を大切にしてほしいな」


松木のこの一言が、後に忍を支える大きな力となった。

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