第13話 すべての既婚男性には結婚指輪を身につけていてほしい

咲希とさとこがカフェで恋愛話に花を咲かせている頃、忍は派遣先の会社にて歓迎会を受けていた。

このイベント企画会社は松木の大学時代の先輩だった社長と副社長が十数年前に立ち上げたまだ若い会社で、元々仲良しのメンバーで作った会社ということもあり、アットホームで会社というより大学のサークルのような雰囲気だ。

人との縁を大切に、がコンセプトということもあり、例え短期でも一緒に仕事をすることになった人をもてなすのが流儀なんだそうだ。


昼間聞いた通り社員のほとんどは男性、女性社員は副社長と、産休に入った経理担当者だけらしい。

「こんなおっさんばっかりでむさ苦しいところだけど、私は忍ちゃんみたいないい子が来てくれてよかったわ~。みんな見た!? あの給湯室!きれいにしてくれて!トイレもオフィスも空き時間に掃除してくれたのよっ。なんてありがたいっ」


い、いきなり忍ちゃんって…


副社長の大沢奈津子は、明るくてサバサバした性格で、メンズだらけのこの職場をよくまとめている。

夫である社長の大沢敏史(おおさわとしふみ)は、主に営業担当で社外にいることが多く、奈津子や松木に社内のことをまかせている。

「竹内さんはお酒飲めますか?」

松木は仕事の後も忍の側にいてサポートしている。

今日一日ほぼ一緒にいたのは松木だけなので、気を遣っているのだろう。

結局歓迎会会場の職場近くの居酒屋に、現地集合になったはじめましての人もいるからだ。

「はい、あの、ビールとか焼酎は苦手なんですけど、ワインとかカクテル系は好きです」

「かわいいわねー、うちにそんなこと言う輩いないでしょう?みんな呑むもんねー」

「副社長、日本酒一升瓶抱えるのやめてください」

上司も部下も関係なく、みんなで和気あいあいと大はしゃぎ。


こんな会社初めて。おもしろいし、楽しいな…。


何より、松木の対応は忍を安心させた。

すぐ側で見守っていてくれながらも、馴れ馴れしくはせず、話し方も敬語。

横柄にならず、常に穏やかで仕事できる男性。


いいなぁ…こういう人。


この年になると、感じのいい人と出会うとつい左手の薬指を確認するのが習わしとなっている。

別にその人とどうこうなりたいわけではないが、世間の既婚率を算段しているのかもしれない。


松木は、指輪はしていなかった。

それもあって余計に若く見えたのかもしれない。

だが実際は…?

飲み会の席、とりわけこういうフレンドリーな社風だと、プライベートな話にも自然に及ぶものだ。


「松木くんとこ下の子何歳になった?」

「来年高校ですよ。まともに受験勉強してるかあやしいですけどね」

そんな話が耳に入ってきた。


やっぱり既婚者か…。


しかも下の子が中3!

逆算すると30歳の時の子供…

まぁそんなもんか。


私30歳の時何してたっけ。

世の中の40代は立派な人の親になってるのに、

私は一体…。


短時間で超高速に頭がまわる。

酒もまわる。


なんかもう…どうでもいいかなぁ…。

あれこれ考えたってないものはないし、

仕方ないし…。


普段はあまりお酒を飲まないが、

結構いける口なので忍は遠慮なくガンガンいった。


カクテルをおかわりしまくり。


スクリュードライバー

テキーラサンライズ

カシスオレンジ

カルーアミルク

そしてワインにまで手を出し、

赤ワイン

白ワイン

サングリア

モヒート…


「えっ!忍ちゃん強っ」

「竹内さん大丈夫?」

「大丈夫ですぅ…ふわふわして気持ちいいですぅ…」


ろれつがまわらず、目は半分閉じている。

派遣先初日の緊張感から解き放たれたのもあるかもしれない。


あろうことか、忍はそのまま寝てしまった。



目が覚めた時、忍は見知らぬ車の後部座席にいた。

ご丁寧にブランケットまでかけてある。


ここは…


「あっ、気がついた?」


えっ?


松木の声だ。


「履歴書の住所に送っていくね。うちと近いからちょうどよかった」


えええええーーーーー!!



私、わたし、一体何をしでかしたのかーーー!!!



「まさか竹内さんがあんなにおもしろい子だとは…クックックッ…ブハッ。いやごめんごめん」

松木は思い出し笑いしている。


ワタシイッタイナニヲシマシタカーーー???


戻りたいっ、終業時間にっ。

こんな恥ずかしい汚点を残すくらいならお酒飲まなかったのに!?


イヤァーーーー!!


「お家ご実家みたいだけど、遅くなったら親御さん心配してるんじゃ…」

「全然大丈夫です、さすがに40歳の娘は何があっても自己責任って言われてますから。そもそも早く家を出てほしいと思ってるだろうし」

「そんなことないよ、僕も実家暮らしの時はそんなふうに考えてだけど、子供ができた今では親心もちょっとはわかるようになったし。いくら子供が大きくなっても、いくつになっても心配するし、側にいてくれたらうれしいはずだよ」

「そういうもんですかね…」


松木さんの奥さんは幸せな人だな。

こんな優しくてかっこいいだんなさんと

子供にも恵まれて。

うらやましすぎる…。

この年になると、大体すてきな男の人には奥さんがいて、家族がある。

誰もがうらやむような、絵に書いたような幸せを手に入れてる。


自分はもう売約済みだよって目印に、国民全既婚者は左手の薬指に指輪付けておいてくれたらいいのに。

そうすれば最初から、いいなと思うことも、ほんのちょっとの夢やあこがれすらも、持たなくて済むのに。


夢うつつ、運転席の松木を寝転んで眺めながら、忍は思っていた。


「松木さん…」

「ん?どうしましたか」

「…トイレ…ガマンできない…」

「うわー、緊急事態!」

冬にあれだけ飲めばそりゃあトイレも近くなる。

急いで最寄りのコンビニに立ち寄ってもらい、用を足す。

「フゥ…名誉は守られた…」

冷たい夜の空気が酔いも覚ましてくれる。


「はい、これどうぞ」

車で待っていた松木にホットコーヒーを渡す。

「飲むのブラックですよね」

一日一緒に仕事して、毎回飲むのはブラックなのを見ていて気付いていたのだ。

「よくわかったね、ありがとう。竹内さんはほんと細かいところまで気がつくね。素晴らしい」


ほめられると素直にうれしい。

特にこんな優しくてすてきな男性に言ってもらえると、心の深が温かくなる。

それくらい、松木の言葉はお世辞や社交辞令といった嘘っぽさがなかった。


「寒くない?暖房上げようか?」

「大丈夫です、ブランケットもあるし。ありがとうございます」

帰り道。対向車の明かりが流れていく。

バックミラー越しに見える松木の顔が、昼間とは違いシルエットで浮かぶ。


やさしい表情してる…。


中性的な顔立ち。髪も軽くパーマをあてているのか、くせ毛っぽいおしゃれなヘアスタイル。

男くささがあまりないことも、忍にとっては話しやすい要因だった。


家がもっと遠ければよかったのに。


別にとりたてて何か話してるわけでもない。

けれど夜の静寂の中、車内でふたりきりで過ごす時間。

それが妙に心地よくて、ずっとそうしていたいと思う忍だった。


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