余興にすぎないな

 私たちは街にたどり着くと、そのまま別れた。


 正方形の小さな紙の場所は特に変わっていなかった。西区にある酒場に入ると、熱気とともにアルコール臭が鼻をついた。


 まだ日が暮れる前だけど、既に酒盛りを始めている冒険者たちがいる。カウンターの奥の席でレッケルがエールを呷っている。私はレッケルの場所から見えない位置に腰を下ろした。


 店主を呼んでエールを注文する。それは直ぐに運ばれてきた。ウロの雑貨屋で購入した鞄の中から、本を一冊取り出した。暫くはそうして時間を潰した。日が暮れ始めた頃、レッケルが店を出る。


 私もテーブルに硬貨を置き、後に続いた。懐から一枚紙を取り出すと、、それは狐を模した仮面に姿を変えた。私の故郷に伝わる由緒正しき仮面である。


 レッケルが路地裏に入ったのを確認すると、私は小さく詠唱を唱えた。眠りの毒を漂わせる花を咲かせる魔術なのだけど、これは兎に角音が出ないので重宝していた。レッケルが前のめりに倒れたのを確認すると、また魔術で縛り上げる。もう少し路地裏の奥まった方へ進んでいくと、そこは完全に人通りはなく、光も届かない世界が広がっている。


 道は乱雑に続き、まるで迷路のようだ。ある程度のところの行き止まりに着くと、私はそこの壁にレッケルを貼り付けにした。


 騒がれても五月蠅いから、頬を縛っている蔦でぶん殴ると、浅く眠りについていたレッケルは目を覚ますけど、すぐに蔦が口元を抑えるから、悲鳴にならない悲鳴が小さく響く。


 彼の目には、月明かりに照らされた狐の仮面だけが浮かび上がっているように見えるだろう。暫く状況把握に戸惑っていたけど、その表情はすぐに恐怖に変貌した。身体をよじらせ、状況を打開しようと試みるものの、蔦の強度は硬く、大の冒険者ですら解くことは出来ないようだ。


 私は暫くその滑稽な様子を眺めていた。


 愚かな男の様子は、私の肥えた目には分不相応だけど、人間の輝きは様々な色を持つ。これもまた巨大な感情を爆発させた一種の芸術である。恐怖のグラデーションは人間臭くてとても好きだ。


「ふうむ。ただ、余興に過ぎないな」


 私は当初の予定を果たすことにした。


「おい、レッケルとやら。お前には好いている女がいるはずだ」


 私は口調を変え、また声質も変えている。


「確かマリーと言ったか。お前と彼女の間には大いなる誤解が寝そべっている。だからお前は未だに上手くいっていないのだ。今までのようにアプローチを仕掛けても、奥手な彼女はお前の期待には応えない。それどころか、旗色は限りなく悪いと言える。それは彼女の本心ではないだろうけど、周囲や状況がそうさせるのだ。我々はそんなお前を憂いている、善意の第三者というわけだ」


 レッケルの表情は困惑に変わっていった。


「高名な錬金術士が作ったとされる惚れ薬を私は持っている。これは惚れさせたい相手の前で自身が半分飲み、もう半分を相手に飲ませることで成立する魔薬だ。途端に身体は熱を帯び始め、視界に映ったお互い以外の人間が世界から消える。もう愛する人しか見えなくなる。レッケルとマリーに相応しい薬だ。私はこれを然るべき人物に渡す役目を担っている。たまたまお前だっただけだ。何、不審に思うのも無理はあるまい。我々はこの薬を使ってもらうことを目的としているが、使われなくても咎めることはない。ただ、渡しておこう。これを活かすも活かさないも自分次第だ。ただし、これをお前以外の人物が使った場合のみ、我々はお前と譲った人物に対する報復活動を実行する。お前は今、そこで貼り付けにされている。我々はお前は容易く殺すことが出来る。深く考えるのはやめたまえ。これを使ってマリーを自身の思い通りにするんだ。それだけで我々は満足だし、お前もそのはずだ。ああ、怖い思いをさせて済まないね。今降ろそうか」


 レッケルは地面に降ろされ、呆けたように私を見た。


「な、なんだってんだ……」


 私はそっと肩を掴み、耳元でささやく。


「お前は報われるんだ。良かったな。マリーの美しい髪を撫でつけ、顔中を舐めまわし、胸を揉みしだき、その不可侵の領域を犯す権利を手に入れた。想像しろ、そうなった姿を。あの美しき女の裸体を」


 ゴクリと喉が鳴る。


「ああ、楽しみだな。すぐに思い通りになる」


 私はレッケルの足元に媚薬を置くと、踵を返した。あれには誰かを惚れさせるような力はないものの、恋焦がれる狂人の箍をはがすには十分だ。


 愚かな男の結末と、銅像のように感情を見せない女の結末を見届けてみよう。マリーは犯された時、恐怖するだろうか。それとも媚薬に頬を染めるだろうか。彼女は私が見初めるにたる人物だろうか。実に興味深く、その行いは甘美である。

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