お気に入りの物語をあげるよ
「これは……」
エタが剣を構えつつ、私を見た。
砂は絶えず流動し、魔狼の身体を掴み続けている。不定形なそれは、大きさや形を簡単に変える事が出来る。
特にこの魔術は動きが速い。魔狼の足を捉えるくらいには簡単に動く。砂に巨人を引っ張る力はないけど、踏ん張りの効かない宙ぶらりんの四足歩行動物を逃がさないようには出来た。
もちろんそれは、五体共の話である。私が他のパーティーとここに来た時も同じようにしただけだった。
私にとっては何でもない事だけど、ガイやサンサ、エタの表情を見るに不思議なことなのだろう。確かに地属性魔術は鈍足だけど、これくらいの敵なら速度に於いても負けはしないのだ。
「あとはよろしくね。もうそれ動けないから」
私が言うと、エタは魔狼たちの身体に剣を突き立てていった。
「魔術ってこんな感じなんだな」
エタが言った。
「初めて見た?」
「初めてって事はないけど」
「ほかにもいるよね。冒険者の中にもさ」
「そうだ。でも、その恩恵にあやかったのは初めてだから」
「凄まじいな、魔術は」
ガイが魔術で出した砂を指先だけで触っていた。
「そうかな」
「一人で終わるじゃないか」
「時と場合によっては。ただ出来ないこともある」
「例えばなんだ」
「敵があり得ないくらいに大きければ、どうにもならないんだよ」
例えば竜とかがそれに当たる。巨大な四肢は砂など感触にもないだろうし、岩や土なんて簡単に砕いてくる。使った魔術は三つ四つと破壊されると、私の詠唱が間に合わなくなる。間に合ったところで焼け石に水なのだ。
「ま、まるで戦ったことがあるような口ぶりですね」
サンサが少し疑うような視線を向けてきた。
「戦ったことなんてないよ。私が生きているのがその証拠だろ。私は物語が大好きだから、色々読んでるってだけ」
「それなら私も好きだぞ。『竜と雷鳴』とか」
「お。『竜と雷鳴』を知ってるんだ」
「ああ。最近読んだんだ」
「よく見つけたね」
「たまたま露店で売ってた」
「露店で?」
「ああ」
「誰かが手放したのかもね」
「そうだろうな。価値も分からない人が安価で売ってたよ」
「物語を読む人間は少数だから仕方がないよ。むしろ、エタが『竜と雷鳴』を知るくらいに読書家だとは思わなかった」
「私は剣だけの女だと思われがちだが、ちゃんと教養もあるわけだ」
「別にそこを疑っている訳じゃないけどさ」
「キキョウの方こそ相当事情通だな」
「魔術士は字を書くからね。自然と物語に出会うのさ」
「そういうわけか」
私とエタは笑いあった。どうやら共通の趣味があるようだった。
「仲が良いのは結構だが、こっちを手伝え」
ガイは短剣で魔狼の耳を切り落としていた。これは虚偽の報告をさせないために組合が定めた基準の一つだ。討伐した魔物の部位を持ち帰ることで、その正当性を主張するのである。
つまり魔狼の耳がなければ、倒したことにはならない。また、魔物の素材は防具などに利用することが出来るため、ある程度持って帰る。売ることも自分で使うことも出来るわけだ。ただ嵩張るから全部は無理である。今回の場合は皮の部分がそれに当たる。肉はたいして美味しくない。筋肉質で乾燥している。
「また今度、エタにはお気に入りの物語をあげるよ」
血の匂いに辟易しながら私は言った。
「いいのか」
「友好の証として受け取っておくれ」
「それなら有難く貰うとする。私の知っているものかな」
「知らないよ」
「分からないだろ。まるで自分の方が詳しいみたいじゃないか」
エタは少しムッとして言い返した。
「知識をひけらかしたい訳ではないよ。ただ、間違いなく知らない筈さ」
なんだよそれ、とエタは言ったけど、この話はここまでにした。この森の中なら魔狼は無限に湧いてくる。恐らくは血の匂いを辿ってきたのだろう。私たちは再び臨戦態勢を整えた。
一人周囲を警戒していたサンサが、先頭を駆ける魔狼を大楯で弾き返した。子犬のような、情けない奇声があがる。身の丈ほどの大楯を使いこなしているようだ。私には出来ない芸当だから素直に関心する。
「略式詠唱」
「地を這う砂の手腕」
勢いを殺された魔狼たちの足元に、砂で出来た腕が浮かび上がる。それらは食らいつくように魔狼の足を掴んだ。
「略式詠唱」
「舞い踊る砂塵」
再び足止めを食らった魔狼たちの周囲を砂の渦が巻きあがる。
「略式詠唱」
「降り注ぐ岩石」
小さな砂たちはやがて四つの岩石と変化を遂げ、魔狼の背中を穿った。砂塵は晴れ、満身創痍の魔狼の姿が現れる。ガイとエタが止めを刺して第二波を乗り越えた。二人が複雑そうな顔をしているのが面白かった。
「クソッタレ。ハントマンが変な顔をするわけだ」
ガイは剥ぎ取り作業が重なってイライラしながら声をあげた。
「アア、同感だな。魔術ってこんなだっけ」
エタもそれに同意する。私は素知らぬ顔で水を飲んでいた。引き続き周囲を警戒しているサンサは私を盗み見ながら、不思議そうに首を傾げていた。
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