頼れる旦那様には言えない
◯自宅、キッチン(夜)
セイジ「イタル、包丁の持ち方が怖い」
イタル「大丈夫だって!料理くらい、俺だってできる…イテ…」
イタルの人差し指からは血が出ている
セイジ、呆れた顔をする
セイジ「だから言ったじゃんか」
血が出ているイタルの人差し指を口元へと持って…
「ーー我ながらいい感じじゃないか…?」
夕飯を食べ終えたあたしはすぐに書斎へと戻ってタブレットを起動させて、次回の脚本に向けて話を進めていた。
「こうして人差し指を口元へ…こうで…」
自分の人差し指を口元へ持って行くと、指先を咥えている動作をしてみせた。
ここが書斎なうえにあたし1人だけだからいいものの、こんな姿は人前でするもんじゃないな…。
そんなことを思っていたら、コンコンと書斎のドアをたたかれた音がした。
「はい」
ドアに向かって返事をしたら、
「風花さん、お風呂が空きましたよ」
ドアが開いたかと思ったら、パジャマ姿の碧流くんが顔を出した。
髪を洗ったのか、バスタオルで髪を拭いている。
「あら、もうそんな時間なの?」
「少なくとも3、4時間ぐらいは経っていますよ」
タブレットの画面の下に表示されている時計に視線を向けると、もう少しで11時になろうとしていた。
「あー、でももうちょっと進めたいんだよね…」
「締切、近いんですか?」
「そう言う訳じゃないんだけど、もう少しだけ…」
そう言った私に碧流くんは少し考えると、
「わかりました、後30分だけですよ」
と、言った。
「はーい」
あたしから返事が返ってきたことを確認すると、碧流くんは書斎のドアを閉めた。
頼れる旦那様だ。
「碧流くんと結婚する前のあたしって、朝まで普通に仕事していたよね…」
結婚前のあたしは締切がどうとか関係なく、朝の5時とか6時まで仕事をしてお風呂に入って寝て昼の12時とか1時ぐらいに起きる…みたいな生活をしていた。
気分転換程度に料理をして食事をしていたけれど、締切が近い時の食事はチョコレートと紅茶だった。
「碧流くんとのデートに遅刻して、それで生活がバレて大変なことになったんだよね…。
でもあの時はお母さんが病気で入院して手術の付き添いをしないといけなくて、担当の水口さんに無理を言って原稿の締切を先延ばしにしてもらったんだよな…」
今から2年前の出来事なのかと、あたしはそんなことを思った。
「デートの待ちあわせ時間は夕方の5時で、原稿の仕上げをするために徹夜して朝の7時まで頑張って何とか出せて…起きたら4時でビビったよね」
それから大急ぎで準備をして碧流くんとの待ちあわせ場所へと向かったあたしは我ながらたいしたもんだ。
「って、昔のことを振り返ってる場合じゃない!」
早く進めないと猶予の30分が終わってしまう!
あたしはタブレットの画面に集中すると、キーボードをたたいて文字を打った。
「碧流くんには言えないよね…」
まさか、自分の奥さんが“自分の夫と実の弟をモデルにしたBLを書いている”なんて言えないよね…。
「言ったら間違いなく気持ち悪がられるわ…」
この秘密は絶対に黙っておこうと、心の底から思った。
「おっ」
カタカタとキーボードを打ちながら脚本を書き進めていたらメールが1件届いていることに気づいた。
「何だろう…?」
メールの相手を確認すると、遊佐先生からだった。
今日出した脚本で何か不明な点とかがあったのだろうかと思いながらメールを開いた。
『永井先生、早速彼らの顔を書いてみました!
ぜひとも確認をお願いします!』
「すっごい興奮してるな…」
内容とビックリマークだけで遊佐先生の熱意が伝わったよ…。
「えーっと…」
届いたメールに添付してあるファイルを開くと、画像が表示された。
「おおっ…!」
画面に表示された彼らのイラストにあたしは声をあげた。
「イメージ通りじゃないか…!
遊佐先生は天才か…!?
いや、天才を通り越して神だよ…!」
人間、感動が過ぎると語彙力を失くしてしまうんだな…と、あたしはそんなことを思った。
遊佐先生と脳の共有でもしたんじゃないか遊佐先生は実はエスパーなんじゃないかと疑ってしまうくらい、あたしがイメージしていた彼らの姿がそこにあった。
「セイジくんはかっこいいし、イタルくんはかわいいし…遊佐先生、マジですごいよ…!」
タブレットを前にしてきゃーきゃーと騒いでいるあたしは傍から見たら間違いなく怪しい人物である。
書斎でよかった、1人でよかった…。
それにしても…これはまた捗っちゃうな〜!
「よーし、頑張るぞー!」
その前に遊佐先生に返事を返さなくっちゃ!
『遊佐先生、彼らの素敵なイラストをありがとうございました!
イメージ通り過ぎてビックリしてしまいました!
仕事がとても捗りそうな予感です!(笑)
本当にありがとうございました!』
「送信…と」
遊佐先生に返事を送ったし、続きを書こう…と思っていたら、
「風花さん、時間ですよ」
書斎のドアが開いたかと思ったら、そこから碧流くんが顔を出してきた。
「わわっ…!?
の、ノックぐらいしてくださいな!」
「したけど、返事がなかったから寝落ちしたのかと思って声をかけたんです」
「したんかい!?」
どうやら自分の世界に入り込み過ぎたせいでノックの音を聞き取ることができなかったみたいだ。
と言うか、
「もう30分経ったの!?」
あたしは驚いた。
昔のことを思い出したり、遊佐先生のイラストにきゃーきゃーと騒いでいたら、約束の30分はあっと言う間に経っていたみたいだ。
「経ったからきたんですよ。
早く仕事を終わらせて風呂に入って寝てくださいな」
「お、おう…」
あたしが返事をしたことを確認すると、碧流くんは書斎のドアを閉めた。
「本当によくできた旦那様だわ…」
そう呟いた後であたしは遊佐先生が送ってくれたイラストに視線を向けた。
「やっぱり、神だ…!」
書斎で1人、悶えたのだった。
お風呂を済ませると、洗った髪をバスタオルで拭きながらリビングへと足を向かわせた。
「あれ、成海は?」
リビングにいたのは碧流くんだけで、成海はそこにいなかった。
そう声をかけたあたしに、
「成海は明日仕事があるそうで、とっくに帰りましたよ」
と、碧流くんは答えた。
「土曜日も仕事なんだ…」
「成海曰く、今は仕事が立て込んでいるそうですよ」
「ふーん、大変だね」
あたしは冷凍庫を開けると、どのアイスクリームを食べるかを考えた。
その中から板チョコアイスを取り出すと、箱を開けて中身を取り出した。
パキッと音を立てながら板チョコアイスをかじると、
「あ、食べてる」
その音に気づいたと言うように、碧流くんが言った。
彼は太るからと言う理由で夕食後はものを食べないのだ。
「風呂あがりで暑いうえに頭を使ったから冷たいものと糖分が欲しいんですー」
あたしは碧流くんに向かって言った。
日づけが変わっている頃に食べるお風呂あがりのアイスクリームほど、美味しいものはないんじゃないかと思う。
本当は後3個くらいは食べたいんだけど、碧流くんが怒るから1個で我慢しているのよ。
「アイスか…」
アイスクリームのネタを話に入れるのもありかも知れないな…。
さて、どうやって入れようか…?
アイスクリームに口をつけて展開を考えていたら、
「溶けるから!」
そう叫んだ碧流くんの声と彼の整った顔が目の前にあった。
「えっ、わっ…!?」
近過ぎるその距離に驚いて、手から板チョコアイスを落としそうになった。
「もう、本当に手がかかるんだから!」
寸でのところで碧流くんが手を支えてくれたおかげで、板チョコアイスは床のうえに落とさずに済んだ。
「ご、ごめん…ついでに、ありがとう…」
「仕事熱心なのはいいですけれど、自分の行動と場所を考えてくださいな」
碧流くんはそう言った後、やれやれと言うように息を吐いた。
本当に頼れる旦那様だ、ここまでくるとスパダリだ。
「あー、ついちゃったな…」
碧流くんはアイスクリームがついてしまった自分の手を口元へと持って行った。
赤い舌がペロリと、アイスクリームを舐め取る。
「ーーッ…!?」
何だか見てはいけないものを見てしまったような気がして、あたしはそこから目をそらした。
今のは反則でしょうが…!?
自分でも何が反則なのかはわからないけれど、今のはずるいにも程がある。
手元に残っている板チョコアイスを口に入れて、脈を打っているこの気持ちを落ち着かせる。
これは、もしかしなくても使えるんじゃないかしら…!?
「風花さん?」
碧流くんが名前を呼んだかと思ったら顔を覗き込んできた。
「碧流くん、近いから…」
すすっ…と彼と距離を取ったあたしに、
「そうですか?
いつも通りの距離だと思うんですけれど」
碧流くんは距離をつめようとする。
自覚がないのが質が悪い。
「さ、先に寝るから…じゃあ!」
あたしは碧流くんに返事をすると、逃げるようにリビングを後にした。
その足で洗面所へ駆け込むと、
「あー、質が悪い…」
あたしは息を吐いた。
目の前の鏡に視線を向けると、
「何ちゅー顔をしているんだよ…」
と、自分の顔に向かってツッコミを入れた。
碧流くんは頼れる反面、こう言うところの質が悪いと思う。
仕事を理解してくれることや家事全般を引き受けてくれていることは、本当に感謝している。
とは言え…今は自分の夫と実の弟でいろいろと妄想して遊んでいる訳だし、あろうことか漫画原作として出してしまった訳だしと、我ながらいろいろと罪悪感がひどい。
「本当に言えないよね、うん…」
碧流くんは仕事を理解してくれているけれど、その詳しい内容までは知らないからなおさらである。
夫婦間の隠し事はよくないとか何とか言うけれど、
「いくら夫婦だったとしても、言えないものもあるんだって言う話よね…。
夫婦だって秘密にしたいことや隠したいことがあるんだって言う話なのよね…。
と言うか、隠し事がない夫婦ってこの世にいるのか…?
いたとしたら会って話がしたいんですけれど…」
あたしは呟いて、やれやれと息を吐いた。
仕事を理解してくれているうえに家事全般も引き受けてくれる頼れる旦那様だけれども、秘密にしたいことや隠したいことだってあるんです。
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