第35話 駆け引き

 競馬に絶対はない。

 それを知らしめるような敗戦の翌週。

 松岡厩舎に関係者が集まり、ドングラスの今後について話し合われていた。


「皐月賞に出すだけで満足なら、年末にもう一戦か、年明けにってところなんでしょうが……」


 そこで終わってもいいのならと。

 幹久は遠回しな言い回しで、サウザーファーム空港から遠路はるばるやってきた菅井場長を牽制する。

 さらに続けて。


「2歳のまだ体ができてないうちに4戦もすれば、回復がそれだけ遅れてしまい。かといって1月は中山・中京開催のため遠征しなければならず、できることなら避けたいというのが本音です」

「……」


 幹久の言うことは理解できる。馬のことを考えるなら、しっかり休ませ、暖かくなってから使った方がいいに決まっている。

 隆志が調教師の立場なら、まったく同じ主張をしていただろう。

 しかし、今の隆志はサウザーファーム側の人間。サウザーにはサウザーで苦しい内部事情があった。


「ルペルガリア、ブエナベントゥーヤ、ジラルニーニャら期待されていたモーリス産駒がクラシックに出走できるかは不透明。どこからも春に間に合わせるのは厳しいと言われましたよ」


 一本調子で前進気勢があるおかげで調教では動けても。

 やはり懸念通り、モーリス産駒は馬体が完成するのに時間がかかりクラシック向きではなかった。


「モーリスとともに我が社が推していたドゥラメンテも産駒の多くが一匹狼タイプ。扱いが難しく、今のところ気性の悪さが足を引っ張っている状態で、モーリス同様初年度産駒がクラシックに出走できる見通しは立っていません」


 譲歩を引き出そうとする幹久に対し。

 今度は逆に隆志が静かに圧力をかける。


 ――なぜこうまでクラシックにこだわるのか?


 クラシックはあくまで3歳馬限定戦。

 繁殖馬の選定という観点からは、世代戦でいくら勝とうが、4歳以上の古馬を相手に結果を残さなければ評価されることはない。これは欧州やアメリカでも同じだ。


「クラシックに間に合わなかった馬は、その後に活躍してもどうしても影が薄くなる。話題の中心になるのはクラシックで名を上げた馬ばかり。クラシックロードを歩んだ馬だけがその時代の主役になる資格を得る。オグリキャップ。あれは例外中の例外ですよ」


 年度代表馬まで上り詰めたモーリスですら、同時期に活躍したキタサンブラックやドゥラメンテに比べて地味な印象は拭えない。

 いい馬かどうかで馬主が値段をつけてくれるなら。

 サウザーも1月・2月生まれの子馬を作ったり、坂路調教を中心とした早期育成に力を入れたりはしていない。

 才能が開花するかどうかもわからない晩成型の馬を長々と飼い続けるのは馬主にとっても大きな負担になる。

 早い時期から稼げて、その後も成長が持続するサンデーサイレンスが、旧来の血統を駆逐したのは当然の帰結であった。


「クラシック至上主義と批判されようが、現実問題として短距離血統や晩成傾向の種牡馬の子には値がつかないんです。サウザーがクラシックを目指した生産体制をやめてしまえば、今の規模を維持することすらできなくなるでしょう」


 ディープインパクト、ハーツクライ、キングカメハメハという絶対的な種牡馬がいたからこそ、サウザーファームはここまでの存在になることができた。

 クラシック戦線を狙える種牡馬がいなくなれば、サウザー一強が崩れ、華台他の追随を早晩許すことになるのだから、モーリスの種牡馬価値が落ちないよう隆志も必死だ。


「このままこちらが納得できる答えがいただけないようなら、今後ドングラスの予定はすべてこちらで決めさせてもらいます」


 サウザーが全権を握ると最後通告。

 幹久は苦渋の思いで、厳冬期に行われるレースを使うと明言しようとしたら、


「何が何でも出走させるというのは短絡的すぎませんか?」


 裕一が横から助け舟を出す。


「負けはしましたが、萩Sでは折り合いに苦労しない操縦性の良さと、サウジアラビアRCで見せたスピードの持続性能がマグレでないことを証明しました。800m近くロングスパートしても、ラスト1Fのタイムが落ちるどころか、まだ伸びる手応えがあったんですよ? あんなブヨブヨの体で上がり4F最速を出せるなら、まぎれもなくトップクラスと言えます」


 まだまだ本格化は先。未完成の時期でこれだ。

 中身が詰まって、トモがパンとなったら、一体どれだけのパフォーマンスを見せてくれるのか。

 レースを使うごとに非凡な才能をうかがわせるドングラスの成長が、裕一は楽しみでならなかった。


「馬の成長を阻害するような真似は控えるべきです。クラシックで勝ちたいのなら」

「……クラシックに出たいではなく。勝てると?」

「勝てます」


 と、即答。

 これまでの騎手生活をかけて、裕一は太鼓判を押した。

 クラシックで勝ちたいのなら――

 裕一にそうまで言われてしまっては、隆志も考え直すしかなかった。


「…………わかりました。一度故郷の日高に帰して、しばらく完全休養に充てましょう」


 ギリギリまでドングラスの成長を促すために。

 来春のレースに照準を合わせることが決まった。

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