第34話 萩ステークス②

 スタートから出ムチを入れてハナを主張した④アンピエールと村岡康大。

 2コーナー地点にかかって。

 外枠に入った⑨デンプシーウォーズが競りかける形になると、自ずとペースが速くなる。


「何が来たって絶対に譲らない!」


 康大はハナを奪わせないように、相手が諦めるまで速いラップを踏む。

 元より相手のリズムを崩すために絡みに行った⑨デンプシーウォーズは、執拗に競りかけたりはせず、2ハロン手前の所で④アンピエールを先に行かせて2番手に控えた。

 スタート後の2ハロン目を11秒3で通過し。

 1馬身ほど遅れて内につけた①ヨガチッタが、⑨デンプシーウォーズと入れ替わるようにハナを奪いにきた。


「豊さん――――!?」


 序盤の競り合いを制したかに見えた④アンピエールだが。

 康大がわずかにペースを緩めたのを見計らい、豊が仕掛ける。

 外の2頭の先頭争いを見ながら、内ラチ沿いをすーっと押し上げてきたのを見て、康大は面食らってしまう。

 もう一度前に出て盛り返そうと思っても。

 ジワジワとスピードを上げてきた①ヨガチッタと違って、こちらはいったんペースを緩めようかとしていたところから、再度ペースを上げるはめになる。

 無駄に体力を消耗するばかりか、引っかかってより悪い結果を招きかねない。

 人気馬に騎乗していては。

 人気薄の馬と共倒れ覚悟で、ハナの取り合いを続ける勇気は康大にはなかった。



 互いに潰し合うのは御免だと④アンピエールが引き、逃げると思われていなかった①ヨガチッタがまんまと主導権を握った。

 3頭それぞれが牽制し合いながら先団を形成。

 10頭立てながら馬群は早くもバラけて縦長の展開に。


(そっちのパターンか……)


 裕一に焦りの色は見えない。

 なぜならヨガチッタがハナを奪うことも予め想定していたからだ。

 悲運の名ジョッキー深永洋一郎ふかながよういちろうの息子として華々しくデビューした裕一。

 しかし悲しいかな。

 天才と謳われた父を持ちながら、裕一には騎手としての才能はなかった。

 思うように結果が出ない日々が続こうとも、父・洋一郎が一番勝ちたかったダービーを獲るために裕一は努力を続けた。自己研鑽を続けた結果――展開分析という誰にも負けない武器を裕一は手に入れた。


「ヨガチッタにこの距離は長い。もったとしてもギリギリだ」


 日本ではまだ1世代のみの出走であるが。

 スピード能力に長けた血統らしく、芝においてはマイル以下での勝ち鞍が目立つマクフィ。

 同じミスタープロスペクターの血が入っていても、キングカメハメハ産駒より距離の融通が利かない印象だ。


(距離不安のある馬が中弛みがほとんどないラップを刻めば最後はガス欠を起こす。やったら自滅する)


 後続の脚を削るハイペース逃げはまずできない。

 前半からペースが流れれば、息が入る中盤でペースが緩み、後ろの馬には追走がしやすい、差し・追い込み勢に向く展開になる。

 裕一は先頭から3、4馬身離れた4番手に落ち着いた②クラフトギアと、ドングラスより2馬身先――ちょうど中団を走っている2番人気の③プラチナパピヨンの動きを注視しながら、前をとらえにかかる機をじっとうかがう。



 隊列が決まってからは、不気味なくらい動きはなく。

 どの騎手も折り合いに専念にしている。

 道中淡々と進み。

 向正面半ばから徐々に坂を駆け上がっていく。

 京都競馬場第3コーナー付近にある小高い丘のような場所。通称『淀の坂』と呼ばれる高低差4.3mの坂をどう攻略するかがポイントになる。


(そろそろ馬群が縮まってきてもよさそうなのに)


 裕一は懐疑的になる。

 京都芝外回りコースの直線距離は約400mとそれなりに長いが。

 勾配がつけられた3~4コーナー以外は平坦なコースになっているため直線一気は難しく、逃げ・先行勢が息を入れる上り坂を利用して、前との差を詰めておかなければ届かない。


「いずれにしろ、やることは変わらない。坂の頂上付近から動くだけだ!」


 誰も動く気配がなくとも。

 裕一は敢然と手を動かし、3角過ぎから進出を開始した。



 ⑩ドングラスが坂の下りでいち早く仕掛け始めると。

 同馬と併走していた⑤コークハスィアムと前のドングラスをマークするような形で追走していた⑧マイジャッジが共に動き出し、馬群最後方の⑦ミラノグリッドもそれに倣ってついていかざるを得なくなる。

 ゆっくり上ってゆっくり下る淀の坂。

 加速にもたつくジリジリ脚を伸ばしてくるような馬にとっては、坂を使ってスピードに乗れるため、絶好の仕掛けどころになる。

 小回り函館コースでの新馬戦、長くいい脚を使ってアマノレナリスに食らいついたサウジアラビアRCと継続してドングラスに跨り。

 自分の馬の能力を把握している裕一は、他馬よりワンテンポ早く仕掛けることに躊躇はなかった。



 先頭からシンガリまでおよそ11馬身差で残り800を通過し、1000mの通過タイムが1分1秒8。

 序盤あれだけの先手争いをしたにしてはペースが遅く、場内がにわかにざわめく。

 外目を回って中団まで位置を押し上げた⑩ドングラス。

 前を見ると、好位からレースを進めていた②クラフトギアが道中3、4馬身ほど開いた差を徐々に詰めていき――

 さらに内では。

 ③プラチナパピヨンが外の⑥サンデルスにプレッシャーをかけながら横のスペースを確保し、そのまま2列目で待って脚を溜めていた。

 後方集団が一気に押し上げ、4角手前で馬群が凝縮するも、前の隊列は変わらず。

 前を行く馬たちは、隊列が決まりペースが落ち着いてからは、12秒半ばのラップを連続で踏んで、追い出しに備える。

 600を切り。

 ②クラフトギアが差を詰めてくるが、豊の手綱はがっちりと抑えられたまま。①ヨガチッタは楽な手応えで4コーナーを回り、最後の直線を迎えようとしていた。


(う……うそだ……)


 裕一の顔から血の気が失せる。

 ペースを読み間違えたことにここで初めて気づいた。

 齢50を超え、さすがに年齢的な衰えは隠しきれなくなってきたが、絶妙なペース配分で粘り切らせる逃げは未だ健在。


 12.9‐11.3‐12.0‐12.7‐12.9‐12.5


 と、マクリを決められないよう注意を払いながら、後傾ラップを作る逃げを打ってきた。

 無論、先行勢有利なペースになってしまったのには、これだけが要因ではない。

 ①ヨガチッタをマークする先行馬――逃げ馬のペースを修正することができる④アンピエールが、無理に競りかけにいって潰れるのを恐れ、溜め逃げを歓迎する⑨デンプシーウォーズと仲良くスロー逃げを受け入れたことで、道中ヨガチッタが後ろから突っつかれる危険がなくなり。

 最初は④アンピエールと⑩ドングラスを見ていた③プラチナパピヨンは、序盤のハナ争いでマイペースの逃げに持ち込みたかったアンピエールが控えたのを見て、途中からドングラスだけを警戒。中団内で我慢して、差し脚を生かす競馬を選択した。

 人気馬が前にいて、それを見る形でレースを運んでいた⑩ドングラスも流れが落ち着いてしまった影響で動くに動けず、定石通り坂の下りからマクリにいく形に――。

 逃げ馬多数のメンバー構成で流れが速くなりやすいはずが。

 色々な要素が重なった結果、ノーマークの逃げ馬の楽逃げをみすみす許してしまう。


(届け、届いてくれ)


 惰性で下って。

 裕一は祈るような気持ちで直線に入る。

 先頭との差は4馬身半。

 一度前脚肩にムチを入れて、ドングラスの手前を替えさせ、必死に手綱をしごく。


「届け! 届いてくれえええ!!!」


 ⑩ドングラスが外から伸びてくるが、前は3頭の叩き合い。

 直線入り口で①ヨガチッタに並びかけにいった⑨デンプシーウォーズが接近するが、①ヨガチッタは先頭を譲らず。

 直線半ばで鞍上からゴーサインを出されると、二の脚を使って突き放し、内に潜り込んでしぶとく伸びてきた④アンピエールを振り切りゴール。⑩ドングラスは懸命に追い上げるも掲示板がやっと。4着に終わった。



 後方追走から見せ場なく敗れたドングラスに、観客たちは大きく落胆する。

 スタンドからは心ない言葉が聞こえてきた。


「モーリス産駒はキレないんだから前に行って雪崩れ込まないと」

「こいつもいつものワンペースのモーリス産か」


 終わってみれば上位3頭はすべて前に行った馬。

 スタート直後にあの位置につけた裕一にも厳しい目が向けられる。


「スタート良く出たのになんで下げるんだよ」

「折り合い欠くのをビビって後ろに控える深永の悪い癖が出た」

「ダービー獲って一皮むけたと思ってたんだけどなあ……」


 序盤激しい先頭争いで、そのまま流れると思いきや。

 その後はすんなりペースが落ち着き、典型的な行った行ったの展開。位置取りの差で負けたのは明白だ。

 クソ騎乗かまされたと理解した航は、頭から湯気を立てて裕一を睨みつける。


「コ~~~ネ~~~ナ~~~ガアアアアァァァ!!」


 お前を信じた俺がバカだった。

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