第33話 萩ステークス①
「チェーンジ! チェーーンジ! タッキにチェ~~~~ンジ!!」
騎手変更を声高に叫ぶも、航の希望は叶わず、乗り替わりはなし。
引き続き裕一とタッグを組むことが決まった。
「もう解放してくれよ……」
裕一のお手馬になりつつあると知った航は騎手運のなさを心底呪った。
次走は中2週で萩ステークス。
サウジアラビアRCを上回る好メンバーが揃うと予想される東京スポーツ杯2歳ステークスや紛れのある内回りのラジオNIKKEI杯京都2歳ステークスを避け、賞金加算がしやすいリステッド競走を選択。雑魚狩り上等で空き巣狙いにいく。
次の戦いの地は京都競馬場。
京都競馬開催中は、淀の商店街でコロッケやソーセージを買い込んで足繁く通った航にとってホームグラウンドのような場所だ。
映像の中でしか見たことがない府中や札幌とは比べものにならないくらい知見見聞がある。
これはもう勝ってくださいと言わんばかりのレースではあるが……
「京都なんだから豊さんが適任だろうに。ミッキーも何やってんのさ」
ため息を一つ。
先約があったのか、京都コースを知り尽くし、『盾男』の異名を取る滝豊はヨガチッタに騎乗。
ディープと同じく滝豊を背にして大レースを勝ちたい航は顔もわからぬ鹿毛馬に嫉妬した。
レース当日。
京都開催最終週ということもあり、改修工事が始まる前に、数々の名勝負を生んできた場所を最後に一目見ようと、午前中から見納め客で大混雑していた。
前走斜行しなければアマノレナリスに勝っていたという見方が多数を占め、ドングラスは単勝オッズ1. 9倍の高い支持。ディープインパクト産駒の庭とも言える京都芝コースで、どんな走りをするのか真価が問われる一戦となる。
(やっぱ見てるやつは見てるんだよなー)
1番人気に気を良くする航。
全体的に決め手が足りず、詰めの甘さを指摘されるモーリス産駒の中にあって、自分だけはと高速決着への対応に自信をのぞかせる。
「アニキ! アニキじゃないですか!?」
装鞍所で待機していた航の元に。
馬具の装着を終えたばかりの牡馬が、花のような笑顔をこぼしながらやって来た。
「ハンサム?! お前ひょっとしてハンサムか!?」
「そうです! アニキお久しぶりです!」
航のことをアニキと慕う出っ歯の鹿毛馬。
セレクションセールで売れ残り、わんわん泣きべそをかいていたあの時とは体が一回り以上大きくなり、見違えるような姿になっていた。
「おお無事デビューできたんだな。それにここにいるってことは初勝利を挙げたってことだろ。やったじゃん!」
マクフィ産駒ロウルリューガーの2018と再会を果たし、その活躍ぶりを航は我が事のように喜んだ。
「そんな自分なんてまだまだ。アニキのアドバイスや騎手さんのサポートがあればこそです。今日はアニキに胸を借りるつもりでレースに参加したいと思います!」
ハミ受けが悪いカケスがレースで力を発揮するためには、騎手の繊細な操作が必要になってくる。
ハンサムの鞍上がそうとうな騎乗技術を持っていることは想像に難くない。
横にまわって背中と鞍の間に挟まれているゼッケンを確認すると。
黒地に黄色字で1の数字――そしてゼッケン下部にはヨガチッタと馬名が印字されていた。
☆ ☆
憧れの人をハンサムに取られ、航の足取りは失恋直後のように重い。
返し馬の時間になってもドングラスはピリッとせず。
裕一はレースが始まるまでに、少しでも前進気勢を取り戻そうと、あらゆる手を尽くしていた。
「裕一、ほどほどにしとけよ。お前が怪我でもしたら本末転倒だ」
レースでは順位を競う商売敵だというのに。
⑦ミラノグリッド騎乗の
目立った怪我がないように見える裕一だが、過去の落馬事故で腎臓を一つ摘出している。
面倒見が良く、騎手としては下り坂の年齢に入っても、その実力と人柄の良さから騎乗依頼が絶えないベテランジョッキーが裕一のことを心配するのも無理もない。
「お前ならもっといい馬に乗れたはずだろ? わざわざ自分から進んでこんな気難しいクセ馬に乗らなくたって」
智明の目から見て。
ドングラスは上位騎手が命の危険を冒してまで乗るような馬とはとても思えなかった。
「いえ、それだけする価値のある馬ですよドングラスは。俺は来年こいつとクラシックを獲りに行きます」
(いっくん……)
他の誰よりも航のことを裕一が一番評価していた。
誰がなんと言おうと、最後の最後まで付き合う心づもりの裕一。
裕一の覚悟のほどを見た航は――
(そうだ……そうだよな。もうあの頃のいっくんじゃない。今や押しも押されもせぬダービージョッキー深永裕一だ)
これまでの態度を悔い改め、これからは裕一に全幅の信頼を寄せてレースに挑むと心に誓った。
☆ ☆
第9R発走時刻が近づき。
2コーナー奥のポケット地点に集められた萩S出走馬10頭の枠入りが始まった。
クラシック出走に向けて、収得賞金を早く確実に確保するために、レースレベルの低いリステッド競走を選んだドングラス陣営。
2012年にゴールドシップが共同通信杯から中8週で皐月賞を制して以降は、皐月賞馬9頭中6頭が中6週以上の間隔を空けて出走しており、レース間隔を詰めずに本番を迎えることが好走の条件になっている。
萩S勝利後は年末のホープフルステークスか、もしくは年明けの重賞を経て皐月賞と、ドングラスが一番いい状態で出走するための選択肢を増やすことができるが。
ここで格下相手に負けるようなことになれば、皐月賞勝利が絶望的になるだけでなく、出走すら怪しくなる。
このレースの重要性をわかっている裕一は、騎乗停止期間が明けてからも、暇さえあれば過去のレースビデオを何度も何度も繰り返し観て、GⅠレース並みに研究を重ねてきた。
(外回りだが先行馬優位のコースだ。人気馬に逃げ先行勢が集まっていて、ハイペースになる可能性が非情に高い)
裕一の頭の中には騎手の特徴はもちろんのこと、対戦する馬すべての情報がインプットされている。
逃げ馬は3頭。
そのうち①ヨガチッタと④アンピエールは過去のレースで、番手で控える競馬を経験済み。
前走押し出される形で逃げた⑨デンプシーウォーズも、できれば行きたいタイプの馬なので、誰も行かないようなら行きそうな感じだ。
馬への当たりが柔らかく脚を溜めて差す競馬が得意な
おそらくそれを期待しての代打騎乗。
陣営も「向正面である程度離すイメージを持って乗って欲しい」と逃げを示唆。④アンピエールが逃げると考えてまず間違いない。たとえハナを切って逃げなくても、その時は⑨デンプシーウォーズが先手を取りにいく。
(ハナ主張の先行型が複数――そうなると、レース序盤はどうあっても速い流れになる)
冷静に展開を読む裕一。
縦長となりそうで。
中団~後方に構えた後は、仕掛けどころさえ間違えなければドングラスの勝利だと。
裕一は確たる自信を胸に10番ゲートへと向かった。
最後に⑩ドングラスが収まり、緑色のユニフォームに身を包んだ整馬係がゲートを離れる。
出走できる態勢が整うと、ゲートが開き、京都芝1800m戦が始まった。
ゲートが速い航は今日も通常運転で。
大外枠からポンと飛び出し、馬なりのまま裕一から指示が来るを待つ。
(さあいっくん。指示をくれ……)
過去2走とは打って変わり、エキサイトせずに走っているドングラス。まるで律儀に騎手からの指示を待っているかのようだ。
「よしっ!」
初めて自分に歩み寄る態度を見せたドングラスに感謝しながら。
裕一は手綱を引き、下がるよう合図を送る。
好スタートを決めた⑩ドングラスだったが、鞍上の注文どおりに位置を下げ、みごと中団で折り合ってみせた。
航と裕一の心がいま一つに――
Just Do Ikkun!
人馬一体となって。
中団のやや後方からリズムを守りながら競馬を進めていく。
レースは④アンピエールがやはり前に行き、先頭で周回コースへと向かっていくと、1番枠からスタート良く出た①ヨガチッタもついてくる。
加えて、⑨デンプシーウォーズが内に切れ込みながら、逃げる④アンピエールに外から並びかけに行ったため、裕一の読み通り序盤の先行争いは熾烈なものとなった。
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