第30話 2歳新馬戦

 6月。

 ダービーからダービーへを合言葉に、日本ダービーが終わった翌週から2歳戦がスタート。来年のダービーへ向けた戦いが始まった。

 6月東京・阪神開催で3つずつ勝つと豪語し。

 サウザーファームから送り出されたモーリス産駒の精鋭だったが、


『――ここでブエナベントゥーヤ、先頭に立つが、ウィズゴーゼットだ! ウィズゴーゼット! わずかに抜け出た! ブエナベントゥーヤはクビ差の2着!』


 確勝だと思われていたブエナベントゥーヤがまさかの2着。

 サウザーの自信に反して、よりすぐりの2歳馬が次々と敗北していく。

 終わってみれば6月モーリス産駒は18回出走して勝利なし。

 早くもモーリス種牡馬失敗の声が聞こえてくる中、第2回函館競馬2日目第5Rパドックでは、ぜい肉だらけの競走馬がすべての話題をかっさらっていた――


            ☆            ☆


「ぜんぜん仕上がってないじゃん」

「丸太のまんま出てきやがった」


 数字以上に肥えて見せる馬体。

 競走馬と言うのもはばかられる豚化した航は皆から失笑を買う。


「初戦は安全運転で回ってくるだけかねこりゃ」


 最後まで強い追い切りはせず。

 追い切りタイムを見てもぱっとしない。

 ドングラスを買える要素は薄く、6頭中5番人気に甘んじていた。


「よお、元気にしてたか?」

「師匠! 見に来てくれたんですか!」

「あたぼうよ! 一生に一度の晴れの舞台を、この目に焼きつけねえでどうするよ?」


 八肋は久々の再会に目を細めながらも、航の体を見ておおよそ何があったか察した。


(ま、これも勉強だ。俺が一から十までレールを敷いてたんじゃ、どんべえのためにならねえからな)


 最短距離を歩ませるよりも、早いうちにたくさん失敗を経験させておくために、あえて航から離れた八肋。「ぶくぶく太りやがって」と雷を落としたいところをぐっと堪えた。


「せっかくだし同乗します?」

「……いや遠慮しとく。もうしばらくはお前だけでやってみろ」


 特等席でレースを見たいのは山々だが。

 航と裕一だけでレースをすることに意味があるのだ。断腸の思いで誘いを断り、一足先に正面スタンド前へ向かった。

 それからしばらくして。

 八肋と入れ替わるように、出場騎手が入場してくる。

 航は裕一の隣にいる人物の顔を見て――全身の血液が瞬時に沸騰した。


「あだああああぁぁぁぁっ! ワレ生きとったんかぁぁーーーーっ!!!」


 99年クラシック世代。

 ナリタトップロードを引退までずっと追いかけていた航にとって、テイエムオペラオーの主戦である阿田竜次あだりゅうじは憎っくき相手。

 ここで会ったが百年目。ドトウのぶんまでヤってやる!


「いっくんどいて! そいつ殺せない!」


 裕一が必死に止めている間に。

 竜次は命からがら逃げ出した。


「くっそ! 仕留めそこなった!」


 地団駄を踏んで悔しがる航。

 場内からは悲鳴とどよめきが沸き起り、パドックに集まった観客は肝を冷やした。

 この直後から――

 ドングラスのオッズは急上昇。ついにはぶっちぎりの最下位人気になってしまった。



 レース開始15分前。

 騎手を乗せた2歳馬たちが、誘導馬に先導されて本馬場に向かう。

 また一つ負けられない理由が増え、テンションが高くなっている航も、はなみちを通って一番最後に本馬場へ出た。


「さあいこう」


 裕一は竜次騎乗の①エイチプリンセスに近づけないよう注意しながら、サッと短く返し馬を行った。

 ゲート裏で輪乗りする頃になると、どの馬もレースが近いことを察知してナーバスになり、中には緊張で歩けなくなっている馬もいた。



 12時15分の発走時刻が近づき――

 函館競馬場に一般競走用のファンファーレが流れる。


(後入れなのはツイてるな)


 ドングラスの馬番は4。

 後入れの偶数枠なので、狭いゲート内で待たされることなくスタートできる。

 厩務員の手に引かれて④ドングラスが最後から二番目に枠入りし、

 最後に大外枠の⑥キングリーキャノンがゲートに収まると全馬枠入り完了。間髪入れずにゲートが開いた。

 2歳新馬戦6頭立てのレースは、ばらついたスタートから、④ドングラスが先頭に立つ勢いで前へ出る。


(実践向きなのか、この馬、かなり動きがいいぞ!?)


 見た目からは想像できない素軽い走りに、裕一は大きな手応えを掴んだ。


「よし、まずは――」


 と、抑えながら徐々に位置を取りに行く競馬を覚えさせるために手綱を引いた。


「はっ! 深永のおぼっちゃんは相変わらずだな! そんな公務員騎乗じゃ勝てるもんも勝てねーよ!」


 航は鞍上の指示を無視してハナを奪うと、レースの主導権を握りにいく。

 能力だけで勝てるのは最初のうちだけだ。

 周りの馬が競馬を覚える3歳秋以降になれば、ワンパターンな競馬は次第に通用しなくなる。

 来年のクラシックを見据えるならば。

 この時期は工夫して前の位置を取りに行ったり、馬込みの中から進出させてみたり色々とパターンを変えて新馬に競馬を教え込む必要がある。

 本番でいきなり今までやったことのない競馬をやらそうとしても、臨機応変に対応できるわけないのだ。

 幹久から新馬教育を任されたからには、自分の役割を果たさねば。


「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ」


 ありったけの力で手綱を引っ張って。

 裕一はドングラスと格闘する。


「逃げちゃだめだって言ってるだろおおぉぉぉ!!」


 裕一が叫ぶ。

 新馬段階で極端な競馬をしているようでは先がないと。

 そもそも来年のクラシックを目標に、

 負けて自分の評価が落ちようが教育的競馬に徹する裕一と、一戦必勝でスカウティングして勝ちにいく航とでは手が合うはずがない。まったくかみ合わないのは当然だった。


(裕一のやつ。だいぶ苦労してるみたいだな)


 序盤からかかってしまったドングラスを、裕一がなんとか抑え込んでいる。

 先頭から少し離れた後ろ――2、3番手の位置につけている①エイチプリンセス・阿田竜次の目からはそう見えた。

 競馬学校花の12期生。

 裕一とは同期で勝手知ったる仲だ。

 このまま仕方なく逃げの形になってしまうことはあっても、裕一が大逃げに打って出ることは絶対にない。

 ならばと、竜次は④ドングラスに絡みにいった。

 だが――


(かかったなあ~~!)


 裕一の性格を知り尽くしているのは竜次だけじゃない。

 竜次が手を動かし、先頭に競りかけにいった途端。

 ジェットスキーをしていた④ドングラスがペースを落として、①エイチプリンセスの背後にピタリとつけた。


「「な!?」」


 思わず声を上げる二人。無理もない。直前まで力んで走っていた馬が、たちまち折り合いがつき、謀ったように好位を確保してしまったのだから。


「阿田。お前には負けん」


 航は①エイチプリンセスをマークする形で2番手追走。半馬身差の位置をキープする。

 一転してプレッシャーをかけられる側になった竜次。

 後ろから突っつかれ、抜かせまいとムキになった①エイチプリンセスが、今度は逆に引っかかってしまう。

 こうなればもうこっちのもの。

 起伏が激しい函館のコース形状、そしてゴールまでの残りの距離と残っている体力を勘案し。

 深追いせずに体力を温存。

 ①エイチプリンセスの動きに惑わされて、周りの馬がペースを乱そうと、自分だけは淡々と一定のリズムを刻む。



 道中やや縦長の展開で向こう正面を通過。

 上り坂でうまくペースを落とすことのできなかった①エイチプリンセスがずるずる後退し、不用意に先頭馬についていった馬たちとの差が詰まってくる。


(直線が短い函館コースの仕掛けどころは心得てる)


 航は3コーナー入り口のスパイラルカーブから動いていき。

 4コーナーで先頭に立つと、しっかりとした手応えのまま最後の直線へ。

 裕一に指示されずとも手前を変えて。

 短い直線をスピードに乗ってそのまま押し切った。

 蓋を開けてみれば、ノーステッキで最後は流して3馬身半差の快勝。

 待望の初勝利を挙げるとともに、モーリス産駒デビュー連敗記録を止めてみせた。

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