第13話 サウザーからの招待状

「まだ縁は切れてなかったみたいですね」


 該当する1歳馬の血統表を眺めながら、正巳が微苦笑する。

 スペシャルウィーク、メジロマックイーンと、代々ステイヤーの血ばかりを重ねてきた、スタミナの権化と言うにふさわしい牝系図ファミリーライン

 GⅠではあと一歩のところで決め手を欠いたサンリヨンの欠点を、モーリスの爆発力で補おうとする生産者の思惑が見えてくる。


「これなら確かに申し分ない」


 モーリス産駒はマイルが主戦場となりそうなだけに、母方がスタミナ血統で固められた航はこれ以上ないほど条件を満たしていた。

 セレクトセールに出せば5000万は下らない期待馬。売れ残っているのには、それ相応の理由がある。


「うまい話には裏があるとはよく言ったものだ」


 ため息にも似た息をつく正巳。

 セリ取引中止に追い込んだとんでもない暴れ馬をどう見るか決めかねていた。

 買ったはいいが、レース中や調教中に死傷者を出してしまっては元も子もない。

 競走馬にしてはいけないレベルの気性の持ち主との見方が強い一方で、すでに競馬の仕組みを熟知している、末頼もしい競走馬だと、複数の第三者から証言を得ている。


「はたしてどちらが本当なのか……いや、どちらに転んでもいいようにしなければ周りに示しがつかない」


 正巳はサウザーの代表取締役社長だ。個人オーナーと違って購入サインして終わりではない。

 皆の手本となるよう、牧場で働くスタッフたちが納得する形を取る必要があった。

 十分時間をかけて考えをまとめ、菅井の合意を得ると、正巳自ら千場スタッドにアポイントを入れた。


            ☆            ☆


 明けて翌日。千場スタッド応接室内部は、まるで宿敵同士が戦場で相対した時のような様相を呈していた。

 スーツ姿で会談の席に着いた千場スタッド、サウザーファーム、各代表者4名。

 誰一人として口を開かない、重苦しいムードが支配する中で、菅井がこう切り出した。


「結論から申します。そちらが所有しているサンリヨンの2018を、わたくしどもに預からせてはいただけないでしょうか?」


 予想だにしない話を持ちかけられ、おやっさん、久保田の表情が同時に変わる。


「それは――どういった意味で? てっきり売買交渉になるとばかり思っていましたので……」


 意図を計りかねたおやっさんが説明を求めると、思いもよらぬ言葉が菅井の口から返ってきた。


「サウザーで育成をし、入厩後も責任を持って面倒を見るという意味です」


 サウザーの幼駒育成に加えて、外厩を使っての調整、調教師や騎手の手配と、まさにいたれりつくせり。サウザー産馬と同等の扱いをするとの内容に、千場スタッドの面々は驚きを禁じ得ない。


「絶好の環境を無償提供する代わりに、こちらの要望を飲んでもらいたい」


 喜びもつかの間、サウザー側から条件が提示される。

 どんな対価を要求されるのか、おやっさんは内心汗をかきながら訊いてみた。


「来年、セレクトセール2020が始まる前に、社を挙げてモーリス産駒のアピールを行う予定なのですが――」

「とどのつまり、それに合わせて6月・7月にデビューさせてくれと。勝ち星を一つでも重ねるために」

「いえ。サンリヨンの2018にはその前、5月に開催される北海道トレーニングセールに上場をと考えています」


 馬の体質や成長速度を無視した人間本意なやり方に不快感を覚えた久保田。

 つい我慢できずに声を上げてしまう。


「おやっさん! いくらなんでも」

「……」


 おやっさんはスゥーと深呼吸をして冷静を保ち、頭の中でそろばんを弾く。

 サウザーは勝ち上がり頭数を増やすために、新馬戦から使い分けの方針を取っている。

 申し入れを快諾した場合、サウザー産馬との対決を避けられるメリットがある。

 これが賞金を積み上げるうえでなによりも大きい。早めに勝ち上がってしまえば、有利なローテーションを組むことができる。

 目下最大の懸念事項は、やはり調教トレーニングセールだろう。

 セリ参加者の前で調教を公開し、調教タイムや走る姿を参考に取引が開始されるため、どの上場馬もここを目標に目いっぱい仕上げた状態で出てくるのだ。

 あの場で注目されるような走りを見せることがどれだけ大変なことか。


「……少し考える時間を頂きたい。必ず数日中に返答しますので」

「わかりました。色よいお返事をお待ちしています」


 そのように菅井が答えた次の瞬間。

 今の今まで静観していた正巳がおもむろに口を開いた。


「先代とはサンダナオウシュンを巡って色々とありました。わたしに対して思うところも多々あるでしょう。それでも今回のことをきっかけに、千場さんと新しい関係を築ければというのがわたしの心の内です」


 正巳はおやっさんに向け、まっすぐ気持ちを告げると、一礼して応接室を後にした。

 嵐が過ぎ去った後のように室内に静けさが訪れる。

 二人が帰ったのか何度も確認するおやっさん。

 窓の向こうから、車の発進音が聞こえてきた途端に――


「勝ったな! ガハハ!」

「お、おやっさん?!」


 なぜか勝ち誇るので、久保田は唖然とする。


「サウザーだぞ? サウザー。あのサウザーがだぞ? こりゃ願ったり叶ったりだ!」


 捨てる神あれば拾う神あり。またとない展開に興奮さめやらない。


「あんなに迷ってたのに……」

「ありゃポーズだよポーズ。すぐに飛びついたんじゃ格好がつかないだろ? サウザーが手塩にかけて育ててくれるってのに、誰が断るってんだ!」

「そりゃそうですけど。なんだかなぁー」


 微妙な心境の久保田が嘆くように言う。

 後日、牧場間で約束を取り交わし、晴れてサウザーの一員になった航は、育成先のサウザーファーム空港牧場へと送られる運びとなった。

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