第11話 弟分
「このあほんだらああああ!」
セリ会場から戻ってくるや、八肋の怒号が飛んでくる。
考えうる限り最悪の事態を引き起こしたことで、練りに練った計画がすべて白紙になってしまった。
「自分の命がかかってるの、わかってんのかどんべえ」
低く怒りを押し殺したような声ですごむ八肋。
容易に繁殖入りできる牝馬と違い、牡馬は成績を残せなければ大半が処分されるのだと、航の顔をまじまじと見て語る。
「すみません……本当にすみませんでした……」
「謝らなくていい。全部お前のことなんだからな」
八肋は冷淡にあしらい、立つ瀬がない航を無情に突き放した。
「あの、俺どうなっちゃうんでしょうか?」
「さあな。通例なら8月の19~22日にあるサマーセールだろうが、取引が中止になるなんて前代未聞のことだ。参加しようにも、あんな醜態を晒したんじゃ、主催者側からお断りされるかもしれねえ」
セリ場で暴れまくった影響がどう出るのか、八肋でさえ予測不可能だ。いつになく投げやりな物言いに不安感が増してくる。
「人に従順でない馬がどうなるか――――。しばらくそこで頭冷やしとけ」
と、それだけ言い残して、八肋は外へ出て行った。
「はぁ、やっちまった」
嘆いてみても後の祭り。サウザー産馬をはじめとする同世代のライバルたちとまた一つ差が開いてしまう。
「あーーやめだやめ!」
航はお腹を見せるようにゴロンと横になる。
先のことを考えぬよう仮眠でも取ろうとしたら、真向かいの馬房からピーピー泣く声が聞こえてきた。
(ったく、どこのどいつだよ……)
泣き虫野郎の顔を拝んでやろうと、腹立たしげに馬房に向かうと、中には個性的な顔の模様を持つ茶褐色の牡馬がいた。
「どうしたよ? もしかしてお前も入札なかったのか?」
軽い調子で言葉を投げかけながら、馬房のカンヌキを外す航。
ビクビクするばかりで、否定してこないところをみると、この馬も声がかからなかった口のようだ。
「なかーま。俺もめでたく主取りだぜ。笑えよ」
航はあっけらかんと笑い飛ばし、相手の毒気を抜くことに成功する。
「ひとまず泣き止んでくれたようで何より。んで、どうして泣いてたんだ?」
「……だ、だって。売れないと処分されるって聞いて――」
「あーまあそうなるよなー」
当然の反応だと、航は納得する。
「セレクションセールの後にも、サマーセール、セプテンバーセール、オータムセールと馬市はまだ控えてるんだからそんな悲観するな。今回ダメでも次があるさ」
すぐには殺処分されないと知り、いったんは安堵した雰囲気になるが、鹿毛馬の顔は浮かない。
「それでもまた売れ残ったりしたら」
「お前な……」
どうしてそうネガティブな思考をするのか、さすがにムッとくる。
「よしそれなら! どこがまずかったか俺が徹底調査してやる。問題の部分を解決できれば、売れる確率はぐんと上がること間違いなし! さあどうする?」
強情な相手を挑発するように、航が口の端を持ち上げた。
(この手のタイプはぐいぐい引っ張ってやるくらいでちょうどいい)
話すうちに、段々と扱い方がわかってきた。
断る理由を探す時間を与えず一気に畳みかける。
「ほら出た出た」
四の五の言わせぬ勢いで、馬房の外へ連れ出した。
「まずは血統の確認からいくか」
航は馬房に取り付けられているネームプレートの前に移動し――、
「えっと、ロウルリューガーの2018でいいんだよな?」
「はい。それで合ってます」
「父は――マクフィ」
自分の知識外にある種牡馬。そのこと自体はある程度予想していたこと。
航が確かめたかったのは、ディープインパクトやキングカメハメハ、ハーツクライといったサイアーランキング上位の高額種牡馬かどうかだ。
普通なら売りに出されないような良血馬が市場に流れたり、誰の目にも留まる種牡馬の産駒なのに、セリで手が上がらなかった場合、いわくつきの可能性がある。
そういうケースでないなら、故障しやすい馬と思われでもしないかぎり、追々買い手は見つかるだろう。
「牧場の人間から姿勢が悪い、脚に不安があると言われた経験あるか?」
「大人しいとか臆病だとかはあります。けど、そういうのは……」
ちょっと見た感じでは、馬体のバランスが極端に偏っていたり、脚が曲がってるわけではなさそうだ。
念のために脚元――繋ぎの部分を集中的に見てみるが、長さ、角度ともに問題になるようなものではなかった。
(タイミングが悪かっただけでは?)
原因らしい原因がなく、不可解に思いながら、相手の正面に回ると、
「歯! おまっ、歯出てんじゃん!?」
航が仰天した声を上げる。
「それだって! 出っ歯! 全部その出っ歯のせいだよ!!」
「え? え? え?」
「お前知らないのか? カケスが嫌がられるの」
下顎が引っ込んでいる馬はハミ受けが悪く、騎手の意思を伝えるのが困難になる。
騎乗時の操縦性に支障をきたし、レース運びがスムーズに行えないため、こぞって敬遠されるのだ。
「歯が出てるってだけで。たったそれだけで――。あんまりだ……あんまりだっ……」
悔しさいっぱいの表情で半べそをかくロウルリューガーの2018。どうして自分だけがと声をつまらせる。
「隠せ。とにかく隠しとけ」
また泣き出されても困るので、航はしれっとそう答える。
「セリ名簿に載せる写真撮影の時や、比較展示で顔を見られてるなと思ったら、下顎を伸ばすようにして前にもっていけ。買わせてしまえばこっちのものよ」
「さ、詐欺だ」
「あん?」
「そんな人を騙すようなこと。買ってくれた人に悪いですし、後で絶対怒りますよ」
形振りかまっていられない時だというのにまだそんな甘いことを言う。
航は思わず脊髄反射で声を大にして叫んだ。
「ばっきゃろおおおおおおお!!! 騙して悪いと思うんなら、死ぬ気で走って結果を出せ! 購入してよかったと思われるくらいにな。オーナーがいなきゃ、自分の力を示すもへったくれもないんだぞ?」
必要な時には必要な嘘をつけよと言葉をぶつける。
「歯並びのせいで馬格が小さい、うまく必要な栄養素が摂れないなんてことにならないよう、時間がかかってもいいから飼葉をしっかり食べろ。カケスは何よりも栄養状態が心配されるからな」
自分の持っている知識をあますことなく教える航。
兄貴分と呼ぶにふさわしい態度を間近に見た
「名は体を表す。今この時からお前は『ハンサム』だ」
「ハンサム……」
「男前って意味だよ」
「ア、アニキ――」
ひょんなことから仲間意識が生まれた航とハンサム。
妙な信頼関係で結ばれた二頭は、競馬場で再会しようと約束し、おのおの馬運車に乗り込んだ。
☆ ☆
セレクションセールから2週間。
買い手が決まった4頭の日高育成牧場に入厩する日が差し迫っていた。
「兄さま、こちらにいらしてたんですね」
のんびりと夏の青草を食んでいた航の所に、ねねが喜々として駆け寄ってくる。
順当ならば、明後日には育成牧場に引き渡され、メディカルチェック等検査を受ける予定だったはずが、今はこうしてねねと戯れる毎日。
セリに出る見通しが立たない航は、宙ぶらりんな日々を過ごしていた。
(揃いも揃って、手のひら返しが早すぎるよ)
「来年のクラシック最右翼」「モーリス総大将」なんて褒めそやされたのも過去のこと。
気性難で知られるカーネギー、モガミ、フィディオン、モンタヴァル、それら全馬の血を色濃く受け継いだマジキチ馬。気性がやばすぎて、とてもデビューまでたどり着けないと、大変厳しい評価を下されてしまった。
「別によいではないですか。走れずとも、私が兄さまを養いますからご安心してください」
こちらの心を見透かしたように、ねねがにこやかにとんでもないことを口にする。
「牧場の宝として過保護なくらい大事に扱われてるお前が言うとマジで実現しそうだな。ハーツクライ産駒恐るべし」
航は微笑を浮かべながら、ヒモになるにも悪くないと冗談めかす。
「でもさ、やっぱレースに出たいよ。クラシック競走に出走して、名勝負を繰り広げて。勝っても負けてもかっこいいじゃん。だろ?」
「……ずるいです、兄さまは。そんな風に言われたら、安全な牧場に縛りつけておくことなんてできないじゃないですか」
頬をうっすら色づかせたねねが、どこか嬉しそうに呟く。
そして――最悪、航はねねと同じように千場スタッド所有。おやっさん名義で走ることになるかもしれないなんて雑談を交わしていたら、八肋が息急き切って飛んでくる。
「どんべえ! どんべえ! ディープが! ディープが――――!!」
(え……)
2019年7月30日の昼盛り。
ディープインパクト急死の知らせが何の前触れもなくもたらされた。
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