第7話 思考

 八肋がいなくなると、航はすぐに頭を切り替える。

 強いのに特定の競馬場でだけはなぜか振るわない、極端に偏った競走成績を持つ馬は、航が生きていた頃にも存在した。


「府中の鬼と言われたジャングルポケット……、それに中山じゃからっきしだったナリタトップロード。わかりやすいのはこの辺か……」


 2008年までの競馬の知識を使って、該当しそうな馬を挙げてみる。

 この二頭には大跳びという共通点があり、ついついストライドの大きな馬は右回りが苦手だと考えたくなるが……


「でもそれだと、トップロードの件を説明できないんだよな」


 右回りの京都コースでは13戦4勝(4‐3‐5‐1)のトップロード。

 勝ったレース全てが重賞なのだから、苦手どころか、得意な部類に入るだろう。

 ナリタトップロードが大の苦手としていた中山競馬場は、上空から見るとおむすびのような形をしている。

 跳びが大きく不器用がゆえに、小回りの中山コースとは相性が悪かったのだという答えに落ち着いた。


「走法じゃないなら、あとは何だ? 体の構造、体の使い方――」


 と、ここまで口にしたところで根本的な疑問が湧いてくる。


「そもそも体つきを見ただけでわかるものなのか?」


 実際問題、適性なんてものは、何回か走らせてみてから判明するケースがほとんどだ。

 左右どっちが得意なのか、脚や胴の長さ、筋肉の付き方だったりで判別可能なら、調教師がレース選択で頭を悩ませたりはしないだろう。

 生まれ持ったものが要因だとしても、仕組みを解き明かせと八肋が言うからには、訓練によって改善が見込めるもののはずだ。そうなると残るは体の使い方ということに。


「うむむ」


 これで違うならもうお手上げだ。

 航は藁の上に体を投げ出すと、難題から逃げるように瞼を閉じた。


            ☆            ☆


 次の日の朝。放牧地に出された航は、その足でやっちんの元を訪れる。


「やっちん。少し時間いいか?」

「な、なんだよ急に」


 マジトーンの航に警戒感を強めるやっちん。話に耳を傾けつつも、いつでも逃げられるよう半身の体勢を取る。


「まてまて。内容くらい聞けって」

「…………わーったよ。言うだけ言ってみろ」


 問答無用で突っぱねるのは、さすがにどうかと思ったらしく、やっちんはしぶしぶ承諾した。


「今日も音頭を取るつもりならさ、右回りと左回りを織り交ぜて走ってほしいんだ」

「そんなこと? そんなことなのか? てっきり俺は――」


 追い運動のことで注意されると思っていたやっちんの態度が一変。険を含んだ表情があれよあれよと和らいでいく。


「頼めるか?」

「まあ、別に構わないが」


 やっちんは妙だと思いながらも、航に大人しくしてもらっていた方が賢明だと考え、これを受け入れたのだった。



 約束を取り付けることに成功した航が、次に向かったのはギンナンのところ。

 追い運動開始までの時間を利用して、いっしょに練習しようと持ちかける。


「でも本当にいいの? 僕いつも置いてかれるのに……」


 足手まといになるんじゃないかと心配するギンナン。余計なことを気にしてしまう性格を直せと言ってもすぐには無理だろう。なので、ここは自分の長所に気づかせ、自信を持たせることにした。


「俺が見たかぎり、お前が一番コーナーを巧く回れている。他のやつに訊いても、おそらく同じ答えが返ってくるはずだ」


 航はギンナンの秀でている点を述べると、さらにこう付け加えた。


「右回りでの勝負なら、俺ややっちんでもギンナンに勝てるかどうかわかんねえよ」

「そう……そうなんだ……」


 確かめるように、ギンナンが言葉を小さく繰り返す。

 航から切磋琢磨できる相手だと認められ、なんだかとてもうれしそうだ。


「コーナーリングを学ぶには、ギンナン以外にないと俺は睨んでる」

「僕が……?」

「そうだ。それにもしコツみたいなのがあったら、左回りでも遜色なく走れるかもしれないぞ」


 自分ばかり得をしようと誤解を持たれぬよう、ギンナンにとっても悪い話じゃないことを強調する。


「だめか?」

「うううんっ! やろう、やろうよ!」


 ギンナンはぶんぶんと首を振って、勢いよく返事を返す。

 普段の頼りなさそうな面はなりを潜め、さっとその場から駆け出すと、弾むような声で航を急き立てた。


            ☆            ☆


「最初は準備運動がてら駈歩かけあしで。右と左、一回まわるごとに脚を止めて走ってくれ」

「オッケー。それじゃあいくね」


 ギンナンが左後脚から走り出し、キャンターに入ったのを確認してから、航もその後に続く。

 ゆったりとしたペースでまずは一周。

 得意な右回りということもあってか、ギンナンの足取りが軽いように感じられた。


「次っ。左回り」

「よーし。いくぞー」


 掛け声から若干間があって、スタートを切るギンナン。右回りの時と同様に、左後脚から走り出した。

 航はギンナンの脚の運びを目で追いながら、見よう見まねで走りを真似する。

 それから三周、四周とするうちに、ギンナンの脚が常に左後脚、右後脚、左前脚、右前脚の順で動いていることに気がついた。


(コーナーでは右前脚を軸足にすればいいってことなのか……)


 いついかなる時も右前脚を先行させる体勢で走っているギンナンを見ていると、そんな考えがふと浮かぶ。思えば自分の場合、脚の運びを固定したりせず、赴くままに軸足を変えていたような気がする。


「最後ラストだ! もっとペースを上げて! 右回りなんだからいけるだろ?!」


 コツらしきものがわかったはいいが、これは競馬の時に走る走り方ではない。

 襲歩しゅうほでも同じことができるのか確かめようと、ギンナンにスピードを出すよう命じた。

 キャンターから歩行速度を速めていき、二頭はギャロップと呼ばれる状態に入る。

 三拍子のリズムを刻んでいた足音が、完歩の幅が広がったことで四拍子へと変化。直線区間が終わりコーナーに入ると、体をコーナーに対して内側に傾けながら曲がっていく。


(これだこれ! これなんだよ!!)


 終始脚の踏ん張りが利いて、今までで一番しっくりくる感覚があった。

 上手にスピードを殺してコーナーを回るギンナンにさして離されることなく、航もコーナーを回ってみせる。

 まだまだギンナンとの差はあるものの、最初にしては上出来と言えるだろう。


「ふう。今日はこれくらいにしておこう」

「え? もう終わりにするの?」


 さあこれからという時に練習終了を告げられ、ギンナンは物足りないといった様子だ。


「これ以上やると後に響くからな。走るためのエネルギーは追い運動の時間まで取っておかないと」

「それはそうだけど……」

「いちおう言っておくが、何も収穫がなかったわけじゃないぞ。ちゃんとギンナンの走りを分析して、付け焼き刃とはいえ、同じようにコーナーを回ることができた。後はそれを左回りでやって、どうなるかって段階まできてる」


 心配無用だと航は言い切る。

 自分の考えていること、発見したことをギンナンにわかるように説明した。


「そっか。僕、直線もコーナーも右の前脚を軸足にして走ってるんだ」


 指摘を受けて初めて知ったと、ギンナンがそうしみじみと呟く。


「癖みたいなもんか?」

「うん。たぶん右利きだからだと思う」


 人間も利き足が右なら、右足から踏み出すように、馬も運動神経が発達している利き足の方を先に出す習性があってもおかしくはない。


「どんべえはどっちなの?」

「俺? 俺は……左だろうな。左の方がなにかと動かしやすいし」


 と、何気なく言ったはずの航の顔がだんだん真面目になっていく。

 右利きのギンナンは右回りを得意としている。

 ならば、左利きの自分はどうだったか?


「……」


 もし、もしも利き足によって左右どちらが得意になるのか決まるのだとしたら……


(いいや。現時点では確たる証拠はない。今大事なのはコーナーを回る時の軸足の話だ)


 航は邪念を振り払うように頭を振った。


「とりあえず今日の追い運動だ。そこで答えが出るはずだ」

「そのためにも頑張って走らなきゃだね」


 航とギンナンはお互いに健闘を誓い合うと、満足げに自主練を切り上げた。

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