第9話

 ――怠いな。


 友人との関係が怠い。いや、違う。友人と今までのように上手く付き合うことができない自分が怠いのだ。

 最近では美桜がいないと上手く会話を繋げることができない。どうしても棘のある言葉が出てしまう。それを上手に和らげてくれているのが美桜だ。

 美桜を守ろうとしていた自分が今では美桜に守られている。そんな気がして情けない。

 三奈はもう一度深くため息を吐くと手にしていたパックジュースを飲んだ。そしてパンの袋を開けて口に運ぶ。

 天気は晴れているが、さすがにこの時期の中庭は寒い。今の時期、こんな場所で昼食を取る生徒はいないようで中庭は閑散としていた。静かな空間に聞こえるのはたまに吹いてくる風の音と手に持ったパンの袋の音。

 三奈はモサモサとパンを口に運ぶ。しかし次第にその手は止まってしまった。冷静になってくるにつれて寒さを身体が実感し始めたようだ。あまりの寒さになかなか口に頬張ったパンを飲み込むことができない。残っていたジュースもさっきすべて飲み干してしまった。口の中はパサパサだ。それでも無理やり飲み込もうとしたのだが、どうやら失敗だったらしい。盛大に咽せてしまった。


「……あの、大丈夫ですか」


 なんとか飲み込んでから息を整えているとそんな声が聞こえた。顔を上げた先には金瀬の姿。三奈は眉を寄せる。


「――なにが」

「いえ、なんだか苦しそうだったので」

「別に何でもない」


 しかし彼女は手にしていた袋から何かを取り出して「これ」と差し出してきた。それはホットココア。中庭の近くにある自販機で売っているものだった。


「よかったら」


 三奈は自販機の方へ視線を向ける。あそこからここは丸見えだ。もしかして三奈の姿を見てわざわざ買ってきたのだろうか。


「いらなかったら別にいいんですけど」


 ガサッと彼女の持つ袋が揺れた。見るとその中にはペットボトルとパンが見えた。三奈はため息を吐くと差し出された缶を受け取る。缶の温もりがじんわりと伝わってきて少し気持ちがほぐれた気がする。


「……ありがとう」

「いえ」


 もらった缶を開けて一口飲むと乾いた喉に潤いが戻って少し楽になった。もう一口飲みながら三奈は視線を金瀬に向けた。

 彼女は手持ち無沙汰な様子でそこから動かない。まだ何かあるのだろうか。いや、そもそもどうして彼女はここにいるのだろう。もう昼休憩も半分は過ぎている。早く食事を済ませれば良いのに。

 思っていると彼女は「あの」と視線を俯かせたまま口を開いた。しかし、そのまま黙り込んでしまう。


「なに? あ、もしかしてお金? そりゃそうか。奢られる理由もないし。教室戻ったら渡すから」

「いえ、お金はいいです。わたしが勝手にやったことなので」


 どうやら違ったらしい。三奈は首を傾げる。すると彼女は視線を三奈の隣に向けた。


「もしかして座りたいの?」

「えと、迷惑でなければ」

「別に座ればいいじゃん。誰の許可もいらないでしょ」

「え、いいんですか?」

「別にいいよ。わたし、もう行くし」


 三奈は袋にゴミを入れながら言う。パンが半分ほど残っているが、もう食べる気も起きない。


「そう、ですか……」


 金瀬は呟くように言いながら隣に腰を下ろした。


「あー、そういやまだ美桜には伝えられてないんだけどさ。美桜から返信もなくて。たぶん寝てるんだろうけど」

「そうですか」


 金瀬は頷くと「御影さんのことでケンカしたんですか?」と言った。


「は?」

「さっき、クラスの人とケンカしてましたよね」

「あんた教室にいたの?」

「いました」

「なんで今ここにいるの」

「それは――」


 しかし金瀬はそれには答えず「クラスの人、心配してましたよ」と続けた。三奈は思わず笑ってしまう。


「ないでしょ。ないない」

「え……」

「あいつらがわたしを心配するわけないって。どうせ呆れてたんでしょ」

「そ、そんなことは……」


 明らかに動揺が見てとれる。


 ――なんでこんなわかりやすいウソ言うかな。


 三奈は「それにしてもクラスの人って――」軽く笑いながら言う。


「名前で呼びなよ」

「いえ、あの……。知らなくて」

「は?」

「あの人たちの名前、まだ覚えてなくて」

「へえ、なんで?」

「クラスの人の名前、ほとんど知らないから」


 それを聞いて三奈は眉を寄せる。


「美桜のことは知ってたじゃん。あと、わたしも」

「御影さんは話しかけてくれたときに自己紹介してくれましたし、高知さんは――」

「わたしは?」

「目立つから」

「ふうん……?」


 悪目立ちしているという自覚はある。それでも彼女が転校してきてからは大人しくしていたつもりだ。教室で明宮に執拗に絡んだこともなければクラスの誰かに何か言った覚えもない。それでもきっと彼女から見れば浮いた存在だったということだろう。


「ま、いいや。あんたさ、自分に関わらないでほしいって言ってたけど――」


 三奈はベンチから立ち上がると「あんたこそわたしに関わらない方がいいよ」と続けた。


「どうしてですか?」

「だってわたし感じ悪いでしょ。クラスでも浮いてるし、絡んでも良いことなんて何もないから」

「そんなことはないです」

「まあ、わたしがあんたと関わりたくないだけなんだけど」

「それは、そうですよね」


 なぜかそこで納得してしまうあたり、金瀬の性格がよくわからない。普通はそこでイラッとするはずだ。そして三奈に対して敵意を持った目を向けてくる。そのはずなのに……。

 視線を向けると彼女は無表情に三奈を見上げていた。さっきまでは俯きがちだった目がまっすぐ三奈に向けられてる。しかしそこに敵意は感じられない。


「なに」

「さっき、なんでケンカしてたんですか?」

「あんたに関係なくない?」

「……すみません。でも友達とケンカは良くないと思ったので。せっかく仲の良い友達がいるのに」


 ――小学生かっての。


 三奈は深くため息を吐いて「別にケンカしてないから」と言った。


「でも――」

「わたしよりもあんたでしょ」


 三奈が金瀬の顔を指差すと彼女は驚いたように目を丸くした。


「わたし、何かしましたか?」

「逆。何もしてないじゃん」


 三奈の言葉の意味が伝わらなかったのだろう。彼女は不思議そうに首を傾げる。


「友達いないでしょ」


 すると金瀬は納得したように微笑んだ。


「わたしは友達なんていらないですから」


 どこかで聞いた言葉だと三奈は眉を寄せる。それは先日、美桜と下校しているときに三奈が言った言葉。やはり後ろで金瀬はそれを聞いていたらしい。


「別にわたしはそれでもいいと思うけど、周りがそれじゃダメだって思ってる奴多いから気をつけなよ」

「気をつける……?」


 何を気をつけろというのだ、とでも言いたそうな顔で金瀬は三奈を見てきた。


「誰かと関わる振りくらいはしろって言ってんの。じゃなきゃ、わたしがとばっちり食うんだから」

「え……?」

「なんでもない。まあ、そういうことだから」


 三奈は言って彼女に背を向ける。しかしすぐに後ろで「あの!」と慌てたような金瀬の声がした。振り返ると彼女はその場に立ち上がっていた。


「え、なに」

「その、振りというのは誰かとお喋りをしろということですか?」

「……まあ、そうなんじゃん?」

「今みたいに?」


 ――今?


 三奈は眉を寄せて考える。たしかに今のこの時間は金瀬にしては珍しくクラスの誰かと話しているということになる。三奈は頷いた。


「じゃあ、また話してもいいですか?」


 彼女は袋を持ったままの手に力を込めながら言う。三奈は首を傾げながら「わたしと?」と言った。


「あ、あの、嫌だったら別にいいんですけど」

「まあ、別にいいけど」

「ほんとに?」

「軽く喋るくらいなら」


 三奈が頷くと彼女は「ありがとう」と嬉しそうに笑みを浮かべた。それは初めて見た彼女の笑顔。


 ――綺麗な笑い方するんだな。


 そんなことを思いながら見ていると、金瀬はハッとしたようにその笑みを消してしまった。


「すみません」

「なにが」

「いえ、なんか、その……」

「わたしは教室戻るけど、あんたも早くそれ食べて戻った方がいいよ。つうか、ここでパンとか食べない方がいい。寒さで喉死ぬから」

「あ、それでさっき……」

「休憩ももうすぐ終わるよ。じゃ、お先」


 三奈は言ってその場から歩き出す。金瀬もついてくるかと思ったが、どうやらその気配はない。中庭から校舎に入ったところで後ろを振り返る。彼女は再びベンチに座り込んで頬に手を当てながらぼんやりとしていた。


 ――変な子。


 思いながら廊下を歩く。片手に持ったホットココアはまだ温かい。三奈はそれを両手で包み込んで冷えた指先を温めながら教室へと戻った。

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天邪鬼と嘘つき ―君と、わたしと。2― 城門有美 @kido_arimi

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