第二章

第8話

 翌朝、三奈が登校するとすでに金瀬は席に着いていた。誰とも挨拶することもなく、ただ座って本を読んでいる。いつも通りの様子だ。もうこちらに関わってくるつもりはないのだろう。しかし本当にこのまま学校で一人でいるつもりなのだろうか。


「三奈、おはよ」

「あー、うん」


 教室に入ってきた友達に適当に挨拶を返すと彼女は「いや、テンション低っ」と不服そうに言った。


「どした? 体調でも悪い?」

「いや別に。眠いだけ。つか、水曜日って怠くない?」

「別に水曜日じゃなくても怠いでしょ、あんた」

「否定はしない」


 答えながら三奈は視線を美桜の席に向ける。まだ彼女は来ていない。あと数分で本鈴が鳴ってしまうが、今日は遅刻だろうか。


「最近はちゃんと遅刻せずに来てたのにね」


 友人はすでに美桜が遅刻するものだと決めつけているようだ。たしかに明宮と付き合い始めてからの美桜は一切遅刻しなくなっていた。それはきっと明宮と家を出る時間を合わせているからだろう。そんな美桜が今日はまだ来ていない。


「……休みかな」


 呟きながらスマホを確認したが、そこに連絡は来ていなかった。そのときふと視線を感じて三奈は顔を上げる。


「三奈? どした?」

「……いや、別に」


 ――気のせいか。


 思ったが、一瞬、金瀬がこちらを見ているような気がした。しかし視線を向けたときには彼女はさっきまでと変わらず本を読んでいる姿勢。やっぱり気のせいだろう。

 本鈴のチャイムが鳴り始め、友人たちもバラバラと席に戻っていく。やがて教室に来た明宮が美桜は風邪で休みだと告げた。


 朝のホームルームが終わって三奈はすぐに明宮の後を追う。するとその気配に気づいたのか、明宮は立ち止まって振り返った。


「あ、高知さん」


 三奈の名を呼んで笑みを浮かべた明宮に三奈は思わず「ムカつく」と呟いた。彼女の笑みが、まるで三奈が何をしに来たのか分かっているとでも言いたげだったからだ。


「いきなりそれはひどいよ、高知さん」


 明宮は苦笑する。三奈は眉を寄せながら「それで?」と生徒が少ない階段の方へ移動しながら声のトーンを落とした。


「美桜、体調どうなの? メッセ送っても返信ないんだけど」

「多分寝てると思う。今朝、ちょっと熱が高くて」

「熱……。病院は?」


 しかし明宮は首を横に振った。


「平気だって言うから」

「なにそれ。それで美桜一人残して学校来たの?」


 明宮は「うん。先生が休んじゃダメだって言われて……」と心配そうな表情で頷く。


「出掛ける前に御影さんのお母さんに連絡しておいたから大丈夫と思うんだけど」

「……へえ」


 三奈が頷くと明宮はフッと微笑んだ。三奈はそんな彼女を睨む。


「なに、そのムカつく顔」

「ううん。ありがとう、高知さん」

「……親友の心配するのは当然じゃん」


 それでも明宮は微笑んだまま「高知さんも風邪引かないように気をつけてね。最近、とくに寒いし」と言った。


「あんたに心配される筋合いないから」

「心配します。一応、こう見えてあなたの担任なので」

「うざ」


 三奈は明宮を睨んでから教室へ戻る。チラリと振り向くと明宮が嬉しそうな表情で三奈を見送っていた。


 美桜のいない学校は面白くない。美桜がいても美桜と明宮が楽しそうに話す姿を見るのは面白くない。それでも美桜がいないよりはいた方がいいに決まっている。

 昼休憩。三奈は昼食を食べることもせず、友人たちのつまらない話をぼんやりと聞いていた。


「ねえ、聞いてる? 三奈」

「いや、聞いてない」


 素直に答えると友人は不服そうに眉を寄せる。


「美桜がいないとすぐそれだよ」

「最近は三奈も変わったなと思ったけど、そういうところ変わらないよね」

「はいはい。ごめんごめん」

「うわー。心こもってなさすぎ」

「三奈さぁ、さすがにそろそろ美桜離れした方がいいんじゃない?」


 その言葉に三奈は「はあ?」と友人を睨む。


「なにそれ」

「だってさ、たぶん美桜って彼氏できたんじゃん?」

「なに言ってんの。できてないでしょ」

「いやいや、あの変わりようはそういうことだって。ねえ?」

「だよね。最近、すごい可愛くなってるしさ。なんていうの? 大人になったというか素直になったというか」

「そうそう。たぶん相手は年上の男と見たね。大学生とかかな」

「うちらに秘密にしてるってことは、もっと年上なのかもよ?」


 そう言って二人は勝手に盛り上がり始めた。

 たしかに二人の言う通りだ。最近の美桜はすっかり可愛くなった。それは否定しない。しかし相手は二人の想像とはまったく違う。それでも二人は構わず自分たちの想像の『美桜の彼氏』を作り上げていく。

 その話題に耐えきれなくなった三奈は大きく舌打ちをすると、昼食のパンが入った袋と飲みかけのパックジュースを持って席を立った。


「え、三奈? どこ行くの」

「つまんない話とか聞きたくないから外で食べてくる」

「いやいや、外って寒いよ?」

「三奈、自分が何も聞いてないからって怒んなってば」

「うっさい」


 二人に低く言ってから三奈は教室を出た。

 あの二人とは一年の頃からの付き合いだ。噂話が好きで、あることないこと楽しそうに話してはそれだけで満足する。とくに噂を流したりするようなタイプではないので害はない。

 だからこそ友人として付き合ってきたのだ。適当にウソを並べて笑っていれば満足する相手だから。しかし今回は無理だった。美桜のことについてウソをつきたくはない。面白おかしく話すことなんてできるわけもない。

 もしあの場に美桜がいたらどんな反応をしただろう。ふとそんなことを思う。

 今までも二人から似たような話題を振られていたことがあった。そのときの美桜は無表情に「別に」と受け流していたが、さすがにそろそろ限界ではないだろうか。

 それほど最近の美桜の様子は以前と違うのだ。可愛くなった。いや、違う。美桜は前から可愛い。ただそれ以上に……。


 ――綺麗になったな。


 そう思う。その要因が明宮にあるのだと知っているからこそ腹が立つ。もしも明宮が現れなければ美桜を変えることができたのは自分だったかもしれない。未だにそんなことを思う自分にも腹が立つ。

 三奈は中庭に出るとベンチに座って深くため息を吐いた。

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