第7話

 よりにもよってどうしてここに彼女がいるのか。三奈は内心ため息を吐きながら彼女と少し距離をとってバスを待つ。スマホで確認した次のバスの発車時刻は十五分後。


 ――イヤホン、なんで今日に限って忘れたんだろ。


 音楽でも聴いていれば彼女の存在を無視できるのに。


「――離れた方がいいですか」


 ふいに金瀬が口を開いた。三奈は横目で彼女を見ると「は? なに急に」と眉を寄せる。


「ため息吐いてたから」

「は? 誰が」

「高知さん」


 言って彼女もまた横目で三奈のことを見てきた。どうやら心の中だけではなく実際にため息を吐いていたらしい。


「嫌だったら離れますけど」

「なんで?」


 三奈が言うと彼女は無表情のまま「わたしのこと嫌いですよね」と言った。そしてその視線を車道に向ける。三奈は今度はわざと深いため息を吐いた。


「うざ」

「知ってます」

「もっとうざ」


 すると彼女は「すみません」と数歩横に離れた。その表情はやはり無だ。何の感情もそこからは読み取れない。

 それきり彼女は口を開くこともなく、ただ車道を見つめていた。

 夕方の国道はそれなりに交通量が多い。行き交う車のエンジン音が沈黙の気まずさを和らげてくれている。それでもなんとなく居心地が悪い。耳の奥に蘇ってくるのは金瀬のことを気にする美桜や松池の言葉。


 ――ほんとうざい。


 三奈はもう一度深くため息を吐くと「あんたさ」と口を開いた。すると金瀬は驚いたように目を見開いてこちらを見てきた。


 ――なに、この反応。


 眉を寄せて不思議に思いながら「美桜から話しかけられたのに無視したんだって?」と続けた。


「美桜……?」

「御影美桜」

「ああ、御影さんですか」


 彼女は頷くと「わたしなんかに構うのは申し訳ないと思ったので」と静かな口調で言った。


「なんで?」

「なんで……?」


 金瀬は微かに首を傾げる。ふざけているのだろうか。三奈はイラッとしながら横目で彼女を睨む。それでも金瀬は不思議そうな表情をして「どうして怒ってるんですか?」とさらに首を傾げた。


「誰が怒ってんの」

「高知さん」


 どうにも会話が噛み合わない。わざとイラッとさせるようなことを言っているのだろうか。


「すみません。もうわたしのことは無視してくれて大丈夫ですから」

「は? なんで?」


 思わず反射的にそう返した三奈を見て、金瀬は「また」と薄く笑みを浮かべた。その反応にさらに苛つきが増す。


「あんたさ、わざとやってんの? それ」

「わざと……? いえ、わたしはただ高知さんがすごく質問してくれるなと思ったから」

「は?」

「ほら、それ」


 金瀬が人差し指を三奈に向けた。


「さっきからずっと聞き返してくれるから」

「これ、聞き返してると思ってんの?」

「違うんですか? なんでって言ってくれるからそうなのかと思って」


 三奈はさっきよりも深くため息を吐いた。


 ――苦手だ。この子。


 彼女は昔の美桜と同じように孤立している。しかしその理由はきっと美桜と似ているようでいてまるで違うのだろう。


「……すみません。もう黙りますね」


 彼女はそう言うと再び無表情に戻ってまっすぐに車道へ視線を向けた。そんな彼女を三奈は横目で見る。彼女はまるで何事もなかったかのように見事なまでの無表情だ。

 彼女はきっともう諦めているのだろう。自分が他人と関わることを。だから美桜のように慌てふためいたりもしない。怯えたりもしない。

 少し話しただけでわかってしまった。彼女はおそらく他人の言葉を拒絶している。まるで見えない鎧を身に纏っているかのように。

 彼女にかけられた言葉は善意であれ悪意であれ、彼女の心まで届かないのだ。それは少しだけ三奈自身に似ているような気がする。三奈も美桜の言葉に触れるまではそうだったのだから。

 三奈はスマホで時間を確認する。バスが来るまであと五分。いつもならそろそろ他の生徒がバス停に来ても良いはずだが今日に限って誰も来る気配がない。聞こえるのは車が通り過ぎていく音だけ。


「――あの」


 ぼんやりと車道を見つめているとふいに金瀬が口を開いた。


「……もう黙るんじゃなかったの」

「すみません」


 それきり彼女は再び口を閉ざしてしまう。三奈はため息を吐いて「なに?」と金瀬に視線を向けた。彼女は俯きがちに三奈を見ると「さっきの話なんですけど」と迷うように言った。


「さっきの?」

「御影さんのこと無視したって」

「ああ」

「もし御影さんが気を悪くしていたのならすみません」

「わたしじゃなくて美桜に謝れば?」

「いえ……」


 金瀬は小さく首を横に振る。


「わたしが話しかけても御影さん、困るだけでしょうし」

「なんで?」


 言ってから三奈は思わず舌打ちをした。つい反射的に聞き返してしまった。しかし金瀬は今度はそのことには触れず、ただ俯いたまま「わたしは空気が読めないらしいですから」と言った。


「へえ。わかってんだ?」


 金瀬は顔を上げると力なく微笑んだ。


「この性格で十七年生きてきましたから」

「で、美桜には謝らないんだ?」

「だって御影さんは優しい人だから」

「だから?」

「優しい人には関わらないって決めてるんです」

「……ふうん」


 思わずまた聞き返しそうになった自分をグッと堪える。そのことに気づいたのか、金瀬は三奈を見つめて表情を緩めた。三奈は眉を寄せて舌打ちをすると「今後あんたには関わらないでいいって美桜に言っとく」と続けた。


「ありがとうございます」


 金瀬は頷くと「高知さんも、わたしのことは放っておいて大丈夫ですよ」と言った。


「言われなくても関わりたくない。あんたのこと苦手だって話してわかったし」

「そうですか」


 そう言った金瀬はなぜか微笑んでいた。柔らかく。


「なんで笑うの」

「高知さんも優しい人だなと思ったので」


 今の流れのどこをとったらそうなるのかわからない。三奈は何も答えずに金瀬を見つめる。彼女は少し困ったように視線を泳がせると車道にその視線を向けた。


「……ごめんなさい」


 微かな声で彼女は呟くように言った。


 ――なに、その反応。


 三奈は無言で手に持っていたスマホに視線を向けた。そしてとくに何を見るわけでもなくSNSを開く。

 結局、金瀬は同じだ。ただし美桜と同じというわけではない。三奈と同じなのだ。

 三奈と同じウソつき。

 だけど彼女のウソは三奈のウソとは違う。三奈のウソは自分を守るためのウソ。しかしきっと金瀬のウソはそうではない。


 ――子供かっての。


 そのときバスが目の前に停まった。チラリと視線を向けると金瀬もまたこちらに視線を向けていた。


「……美桜にはあんたが謝ってたこと伝えとく」


 三奈の言葉に金瀬は目を丸くしたが、すぐに安堵したような表情を浮かべる。そんな彼女から視線を逸らして三奈はバスに乗り込むと適当に空いている席に座った。続いて乗ってきた金瀬は三奈の横を通り過ぎて斜め後ろの席に座る。

 近すぎず、遠すぎず。

 他にも席はたくさん空いている。関わってほしくないと言うのならもっと離れた席に座ればいいのに。


 ――ウソつき。


 三奈は思いながらぼんやりと窓の外に視線を向けた。

 冬の日暮れは早い。わずかに顔を見せていた太陽もバスを待っている間にすっかり沈んでしまったようだ。

 走り出したバスの窓に反射して映る金瀬の表情は、どこか心細そうに見えた。

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