第2話

「三奈」


 スマホに視線を落としたまま美桜が口を開いた。参拝列がようやく進み始めたのは、どこか出口の門が解放されたからだろうか。


「なに」


 石段に一歩足を乗せながら三奈は答える。


「初詣終わったらパーティに来いってミナミさんが言ってるんだけど」

「絶対に嫌なんだけど」

「即答だ」


 美桜が顔を上げて笑う。


「わたしあの人苦手」

「あの人……。えっと、先生?」

「違う。あの人は嫌いなだけで苦手じゃない。苦手なのはその人」

「三奈、ちゃんと名前で言ってよ。わかんなさすぎるから」


 美桜は笑うと「でも、会ったことあるっけ? ミナミさんと」と首を傾げた。


「ミナミさんもさ、なぜか三奈のこと知ってる感じなんだよね」

「あれでしょ。前に美桜の家に泊まったとき怒鳴り込んできたじゃん」


 しかし美桜は納得していない様子で眉を寄せた。


「それにしては三奈のこと気に入ってるみたいで。どこかで話したりした?」

「してない」

「でもさー」

「ほら、列ようやく進んできたんだからさっさと歩いて」


 拝殿がようやく見えてきた。チャリンと賽銭箱に小銭が投げ込まれる音が聞こえてくる。その音を聞きながら三奈はさっき美桜が見せてくれた画像を思い出す。

 柚原と一緒に写っていた松池はとても楽しそうだった。しかし、あの夏の日に水族館で会った彼女は悩んでいるようだった。悔やんでいるようだった。苦しんでいるようだった。それなのに彼女は楽しそうに今もあの人の隣にいる。それはきっと柚原のおかげなのだろう。

 学校でも松池と明宮は相変わらず仲が良い。未だに二人が付き合っているなどと噂する生徒もいるほどに。


 ――美桜は平気なのかな。


 自分のせいとはいえ、明宮と松池は付き合っていた。少なくとも松池は明宮のことを本気で好きだったはずだ。そんな女が明宮のすぐ近くにいることに美桜は何とも思わないのだろうか。


「なに見てんの。三奈」


 つい美桜を見つめていたらしい。彼女は不思議そうに首を傾げた。


「別に」


 視線を階段の上へ向けながら一歩足を進める。


 ――わたしだってあの人から見れば同じなのに。


 それでもこうして美桜と二人で出掛けることを許してくれたのは、きっと明宮は三奈について何も思うところがないからなのだろう。もう全て終わったことだと片付けられているのかもしれない。


 ――ムカつく。


「なんでいきなり不機嫌になるかな」

「不機嫌なのは最初から」

「そう?」


 さらに不思議そうに首を傾げた美桜だったが、いつものことだと諦めたのだろう。ポケットから財布を取り出すと賽銭を準備し始めた。


「三奈は何お願いする?」

「別に。お願いしたところで叶うわけないし」

「まあ、そうかもだけど」


 美桜はそう言いながらも硬貨を握りしめている。どうやら五百円玉を用意していたらしい。階段を上りきって参拝出来るまであと数人程度だ。三奈は財布に残っていた十円玉を取り出した。

 特に叶えたいことがあるわけでもない。形だけなら十円でも多いくらいだ。

 思っているうちに順番が回ってきたので賽銭を投げて周りと同じように参拝する。作法などはよく分からないので適当だ。そして軽く一礼してから隣を見ると、まだ美桜は手を合わせて目を閉じていた。


 ――こんなこと信じる子だったんだ。


 まだ知らなかった美桜の一面を知れて少し嬉しくなる。


「ごめん。待たせた?」


 二人並んで参拝列から脱出しながら美桜が言う。三奈は「いや、大丈夫」と軽く笑った。


「意外だったから、なんか面白かった」

「え、なにが」

「美桜が神頼み信じてるの」


 三奈の言葉に美桜は「別に信じてないけど、今年は特別かな」と笑う。


「何が。あ、受験とか?」


 そういえば春には三年になる。受験勉強もしなくてはならない。そのための神頼みだろうか。思ったが美桜は「違くてさ」となぜか三奈から視線を逸らした。


「違うんだ」


 参拝者出口までの道も混雑しすぎている。列が整理されていない分、油断するとはぐれてしまいそうだ。


「じゃあ、あの人と上手くいきますように? またわたしみたいな邪魔が入らないようにさ」


 皮肉を込めて言うと美桜は「違う」と少しだけ怒ったような口調で言った。そして三奈を見つめた。


「じゃあ、何をお願いしたの」

「――三奈が笑えますように」


 三奈は思わず足を止めた。美桜も足を止める。その瞳は三奈を見つめたままだ。


「……何言ってんの? わたし笑ってるじゃん」


 ヘラッと笑みを浮かべて見せる。美桜は「そうだね」と微笑んだ。それ以上は何も言わない。三奈は笑みを浮かべたまま顔を俯かせた。


 ――誰のせいで。


 下ろした手を握りしめて三奈は思う。

 笑えている。自分はちゃんと笑えているのだ。

 ただ苦しいだけだ。

 笑っていても楽しくない。

 笑っていても苦しい。

 それは誰のせいだ。

 ふわりと右手に柔らかな温もりを感じた。美桜の白い手が三奈の手を掴んでいた。彼女は三奈と手を繋ぐと「行こ。止まってたら迷惑だよ」と歩き出す。


「三奈」


 ゆっくりと歩きながら美桜が言う。


「なに」


 先を歩く美桜の靴を見つめながら三奈は答えた。


「ありがとう」


 三奈を導く彼女の手が強く握られる。暖かな温もりはあの日繋いだ手の温もりと同じ。

 しかし、違う。

 今その手に導かれているのは三奈の方だ。

 今、救いを求めているのは自分の方。


「……なにが」


 息を吐き出しながら言葉を絞り出す。


「うん。なにがだろうね」


 呟くように答えた彼女の声は柔らかい。


 ――ずるい。


 美桜はずるい。ウソを言わない彼女はずるい。少しでもウソで覆い隠してくれたらこんな気持ちにはならないかもしれないのに。

 ウソのない美桜の近くに居続けることがこんなにも苦しい。

 あの人と美桜の関係を見守り続けることがこんなにも辛い。

 それでも美桜から離れることはできない。


 ――美桜は、ずるい。


 そして未だにこんな気持ちを引きずったまま彼女のそばにいる自分もずるいのだ。明宮は、もう三奈は美桜のことを諦めたと思っているはずなのに。

 美桜もきっと……。

 三奈は歩きながら後ろを振り向いた。拝殿からはもうかなり離れてしまった。それでも、もしまだ願いが神様に届くのならば。


 ――美桜への気持ちを断ち切ることができますように。


 それが、三奈が人生で初めて抱いた神様への願い事だった。

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