第10話 エルフ、暗躍する

 吐き出した灰色の煙を見てると、少しだけ気が楽になる。


 調子のいいことを言って今日も皆に仕事を丸投げして定時退社したクソ部長の顔を思い出すと、美味しいはずの煙草さえ不味く感じるようになるから、ある意味凄い。


 もし彼がシェフだったら、A5ランクの肉だってゴミクズにできるんだろう。


「さ、もう一踏ん張りしようかな」


 喫煙所を出て部署に戻ると、隣の席の子が怯えたような目で私を見ていた。


「あの、録加来さん。今日ずっと、機嫌悪いですよね……?」


「そう? 普通だと思うけど」


 にっこりと、何度も鏡の前で練習した、他人受けする笑顔。


 我ながら気色悪いって思う。


 こんなの、全然自分じゃない。


 本当のわたしは自堕落で、適当で、アバウトで、ダウナーな顔をしてる。


「で、でも。ずっと、指」


「あ、ほんとだ? ごめんね、癖なんだ」


 言われて右手を見ると、人差し指が何度もデスクの上を叩いていた。


 ……そりゃ、こんな顔になるか。


「あの、我世部長! ……は、私も、最悪だと、思います」


「君。思っていても口でそういうことは言わないほうがいいわよ。自分の首、絞める結果にしかならないから」


 たしなめると、落ち込んだみたいに俯いて、彼女は作業に戻った。


 ちょっとだけ救われた気持ちだった。


 そういえばもうずっと、誰かに反発するということをしなくなったなあ。


 昔から私は、何かに執着するということが苦手だった。


 同い年のクラスメイトが告白だとか振られたとかで一喜一憂しているのを眺めて、 『すっご』とか、滅茶苦茶他人事みたいに思えてしまう人間だった。


 こんな私でも、世間からは意外と見た目の評価は高いのか、在学中に告白されるケースは何度かあった。


 でも、全部断った。


 別に、首を縦に振っても、それなりの関係性を構築できる自信はあった。


 だけど、それは間違いなくつまらないんだろうなって思った。


 きっと私は、死ぬまで誰かに固執するなんてことはないんだろう。


 そう思って、適当な会社に就職した。


 それなりに上役に媚売って、それなりに部署の仲間に協調性らしきものを発揮して、それなりにプライベートを浪費して、老いて死んでくんだろう。


 そんな風に、ナチュラル自暴自棄が板についた私がうっかり深酒にハマると、最早語るまでもないと思うけど良い落ちにたどり着くはずがない。


(……え? 何? 誰?)


 一週間の勤務を乗り切った金曜日の夜。


 適度にストレスが溜まっていた私は、慣れ親しんだ独り居酒屋を決めていた。


 結果、見事に潰れて店内で熟睡してしまったらしい。伝聞系なのは、その店から私を背負った自分の家まで運んでくれた男性から聞いたからだ。


(どこ、ここ? ていうか、お持ち帰り? やば、警察、呼んだ方が?)


 寝た振りをして隙を窺う私のことなんか構いもせず、寄って熟睡する私を拾った男性は、ごそごそとなにかやっていた。かと思うと、部屋を出て鍵を閉めた。


「起きたらここ(電話番号)に連絡くれ」


 雑な殴り書きで記された11桁の電話番号を見て、私は。


「……っぷは。なにそれ」


 笑った。


 いや、女拾ったのに何もしないとか。今どきいるんだ。


 自分でも自覚できない程度には強い緊張感を覚えていた私は、ホッとしたら全身の力が抜けて、今度こそ心地良い夢の世界にトリップした。


 じっくり、昼前の十一時まで寝て、起床後すぐに電話をかけた。


「今、会社だから。合鍵テーブルの上に置いておいたから、鍵閉めたらポストに入れといてくれ」


 それだけ言うと彼は慌ただしく電話を切った。


「……げ。なんでまだいるの?」


 帰宅した彼を待ち構えた私は、迷惑そうな表情でため息をつかれて、また笑った。


「お礼、しようと思って」


 抱きつくと、彼は慌てた。可愛いと思った。


「あ、でもごめん。昨日からシャワーすら浴びてないから……」


「いや、いい。これがいい」


 彼は落ち着いたのか、誘惑するわたしを抱きしめると、胸に顔を埋めて匂いをかぎだした。


「この生々しい感じがいい。あんたが一生懸命生きてきた証みたいで、なんかいい」


「なにそれ。きっも」


 茶化しながらも、わたしの心臓は意味不明なくらい、ドクドク脈打ってた。


 いきなりキスをされて、そのまま彼にされるがまま、抱かれた。


 色々あって処女ではなかった私は、しばらくぶりの性行為を、あますところなく楽しんだ。


 事務的に消化した初体験と違って、自分が望んで体感したエッチは、こんなにも気持ちいいものなんだと知った。


「ね、お兄さん。良かったらまたしよ?」


 私が誘うと彼は『美人局じゃないよな?』と疑いながら、最後は同意した。意思弱い。そういうところも好きだなあ。


「私、録加来紫砂」


「俺は――八雲野連」


 こうして、私と彼――連の出会いは、終わったのだった。


 私は、平均より賢しい人間だったんだと思う。もしくは、自分は他人より賢いとか、思い上がってた人間。


 だから、他人なんてこんなもん、男なんてこんなもんっていう、先入観があった。


 でも連は、そんな私のつまらない予想を打ち破った。


 自宅に連れ込んだくせに手を出さないとか。


 しかも誘われたら結局手出すとか。


 おかしくて、笑った。生まれて初めて、純粋に、笑った。


 この日、私は生涯一度も持てないだろうと思っていた、執着心、を得てしまった。


 連が欲しい。連だけあればいい。だから、連だけはちょうだい。


 彼の部屋を訪れるたびに、ドキドキする。


 期待度五割のレバーオン一発抽選のチャンスゾーンに挑む直前みたいに、口の中が乾いてくる。


 もし、部屋の鍵を変えられてて入れなかったらどうしよう。


 もし、飽きられて捨てられたらどうしよう。


 そんな不安を懐きながら、帰宅した彼が私に触れるのを実感するたびに、生きる喜びを感じる。


 私は、連がいれば生きていける。連がいないと、生きている意味がない。


 私に、生きる楽しみを教えてくれた彼のために、生き続けようと思った。


 連が望むなら、毎日股を開くし、お小遣いだってあげる。仕事が辞めたいのなら、養ってもあげたい。


 でも、連から望まれない限り、私からは変なアプローチはしない。


 それが、私が定めた自分ルール。


 だって、もし私が本気になって――。


「やあ、録加来くん」


「我世部長。こんな時間にどうなさったんですか?」


 深夜。てっぺんを回った直後くらい。


 オフィスに唯一残った私の元に、定時帰宅したはずの最低上司が顔を見せた。


「なに。きっと君だけは、遅くまで頑張ってると思って。ねぎらいに戻ったんだよ」


「そうですか。それは大変ありがとうございます」


 椅子から立ち上がる私に、足早に近づいてくる。


「……何の真似ですか?」


「わかっているんだろう? 僕の気持ちを」


 デスクにお尻を乗せるような形で限界まで後退するけど、これ以上は逃げられない。


 気持ち悪い我世の右手が、私の頬を撫でる。


「綺麗だ。こんなところに放っておくなんてもったいない」


「まさか、私一人を残業させるために部署全体に無理な配分をしたんですか?」


「ああ、そうだよ。優秀で慈悲深い君なら、なにかと理由をつけて皆の仕事を背負い込むと思ったからね」


 言いながら、我世は胸元に手を這わせる。


 まるでみみずが這ってるみたいな悪寒が背中を走った。


 そのまま首元に唇を寄せた。


 ……いい加減にしろ!


 叫んだつもりだった。でも、声が出なかった。


 どうやら私は自分が思っているよりも、てんで弱い、女の子だったみたいだ。


「いい子だ。そのまま僕に身を委ねて。なに、怖くないよ。優しくするさ」


 若い新入社員の女の子が見れば、イケオジって感じで舞い上がるかもしれない我世のビジュアル。


 私からすれば、軽薄の女好きにしか思えない。


 助けて。助けて。助けて。


 目をつぶって、祈ることしかできない。


 でも、そんな祈りなんか届くはずはない。


 神様がいても、きっと私みたいな駄目な人間は助けないだろう。


 我慢、すれば。それで、終わるよね。


 そうだ。無意識の時に連にいたずらされたと思えば、きっと。


「……や、無理だわ、それ」


 無意識の時に何もしないから、連なんじゃん。


 つくづく私は、あいつに人生支配されてるんだなと知ってしまった。


 改めて自分の気持ちを再発見できたことが収穫だと思って、今日のことは諦めよう。


 そう覚悟を決めて、我世になけなしの一回をくれてやろうと開き直った私の前で。


「ごふっ!」


 まるでコント番組みたいな悲鳴を上げて、我世が吹っ飛んだ。


 まるで金属バットで横殴りにされたみたいに、見るも無惨な顔をしていた。


 歯、欠けてやんの。ざまあみろ!


「おー、紫砂」


 悲惨な整形出術を終えた我世を指差す私の前に、あっけらかんとした顔で、連が現れた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――


【あとがき】


 こんにちは、はじめまして。

 拙作をお読みくださりありがとうございます。


 毎日19時に1話更新していきます(短い場合は2話まとめて更新)。

 執筆自体は完了しており、全21話となっています。

 よろしければ最後までお付き合いくださいm(_ _)m



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