第9話 エルフ、助ける

 人の心を学んだエルフはどんな行動の変化を起こすんだろ。


 そんなことを考えていた、六月の昼下がり。


 休日ということもありちょっと遅くに起きて布団でだらだらしていた俺の前に、


「なんか落っこちておったから拾ってきたぞい」


 ラピスがいびきをかいている紫砂を持ってきた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――



「あー……二日酔いにしじみ汁。しじみる」


「染みる、だろ。変な日本語作るなよな」


 俺が常備しているインスタントの味噌汁を飲みながら、心底生き返ったような声を出す紫砂。


 ラピスはそんな彼女の姿をまじまじと眺めている。


 俺も気持ちはわかる。


 普段の裸(ら)な感じのイメージのまま今の紫砂を見ると、誰この人? と疑いたくなる。


 セットアップのジャケットとパンツで決めた姿は、まさにバリキャリといった感じで凛々しい。


 眼鏡も仕事用でフレームがシャープな物をつけている。


 髪は頭の後ろで結び、インナーカラーの紫が見えないように絶妙に隠していて、清潔感がある。


 まごうことなき、素敵な大人の女性である。


「珍しいな。お前が路上で寝るまで飲むなんて」


「ちょっとねー。色々溜まってた上に、あれがあれしたから」


「そっか」


 具体的な部分はぼかす。


 こういう時は何を聞いても答えないのはわかっていたので、俺は黙って流す。


「溜まっていたのであれば真っ先にここに来るのが道理ではないのかえ?」


「んー? ラピスちゃん、すけべ」


「いや、初対面でいきなりあられもない姿を見せた紫砂に言われたくはないが」


「たしかにー。こりゃ一本取られたなあ、あはは♪」


「ええい、纏わりつくでない」


 妙にテンションが高い。これはとても厄介だ。


 長年の経験から俺は、紫砂がだいぶメンタルに異常をきたしていることを悟った。


「どうした、難しい顔をして。ただでさえしょうもない顔が余計に見れなくなるぞ」


「黙れよ。異世界エルフにこの世界の美的感覚がわかってたまるかよ」


「連~。あんたはねー、イケメンじゃないし、四捨五入してギリフツメン……かも? だけど」


「さりげなくタッグでディスるなよ」


 しなだれるように紫砂は俺に身体を預けて。


「……たまーに、無性に恋しくなるんだよねー」


「紫砂……」


 至近距離で目が合う。


 起き抜けでまだ寝ぼけ眼なのか、とろんしていて、声も甘ったるい。


 それっぽい雰囲気になったので、胸をドキドキさせながら俺は紫砂に唇を近づけて。


「くぅ、すぴぃ」


「寝たのう」


「だと思ったよ!」


 世の中そんなに甘くない。


 俺は、無情な現実を突きつけられて、適当に紫砂を着替えさせてから布団に寝かせた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――



「じゃあねぇ~」


 夕方前までたっぷりと寝ると、満面の笑みで紫砂は帰っていった。


「おかしい」


 そんな彼女の背中を見送りながら、ラピスは金保留を三回連続で外した直後みたいな顔で告げる。


「あの紫砂が連に会ったというのに手を出さずに帰る……だと?」


「この一ヶ月でだいぶ馴染んでしまったな」


 手を出すというのは大抵女を前にした男に適用する言葉だけど、紫砂の場合はラピスの用途が正しかったりする。


 間食と同じように、なんとなくポテトチップスがあったから手を伸ばすみたいな気安さで、紫砂は俺を目にしたら摂取しようとする。


 しかし、今日はそんな気配が微塵もなかった。


 いよいよ大災害の前触れだと俺は確信する。


「ラピス、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 俺は、ややあってから、一つ面倒な頼み事をラピスにしたのだった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――



 かたかたというタイピングの音が途切れずに聞こえ続ける。


 受話器を片手に悲壮な顔で思い悩む者。


 頭を抱えてデスクに突っ伏す者。


 能天気に化粧を直す者まで。


 色んな人間が混在する職場にあって、社員証の入ったネックストラップを装着した彼女は、プライベートとは違う涼し気な面持ちでノートパソコンの液晶と向き合っていた。


『録加来く~ん♪』


『はい。いかがなさいましたでしょう、我世(がせ)部長』


 まとわりつくような男の声が聞こえると、彼女――紫砂は営業用の柔和な笑みを浮かべた。


『相変わらず仕事熱心で結構』


『ありがとうございます。こうして仕事に集中できているのも日々部長が就業時間一杯を使って、自・他部署の面々との交流に励み、風通しを良くすることだけに注力してくださっているお陰です(てめーが仕事もしねーでその辺の女見境なく口説いてる煽りが全方位に来てんだよ)』


『はは、君に褒められると年甲斐もなく照れるな。君の方こそ、精鋭揃いの我が部において、取り立てて素晴らしい。まさに我が部の誇りだよ!』


『そうですか。ですが私なんてまだまだです。本当に有能であれば今頃自堕落な社員の手本になって、彼を導いて改善させているはずですから(そう思うならあんたも少しはこっちを見習ってタスク消化してくれね―かな』



 あたしが誇りなら、あんたは埃だけどな。


 そんな紫砂の内心が透けて見えるような、慇懃無礼を体現したような穏やかすぎる声だった。


 本来の彼女を少しでも知っている者なら、この口調を聞いて冷や汗を流すところだけれど、我世と呼ばれた三十代半ばと思しき部長は、皮肉をまったく理解できていないのか、紫砂に褒められたと思い込んだまま陶酔したような顔をしている。


『録加来くん。今夜あたり、有能同士食事でもどうかな? いい店を見つけたんだ。知的な君にピッタリの上品なバーさ』


『ありがとうございます。ですが私、あまりそういったお店は得意ではなくて。今は遊ぶよりも仕事がしたいです(誰かさんがサボるせいで大変なんだよ)』


『まさに仕事が恋人、か。我が部のエンジェルは、今日もつれないね。で・も。僕はそういう君だからこそ、いつか心を開かせたいと燃えてしまうんだ。遠ざかれば遠ざかるほど、求めてしまう』


 左手で微妙に生えた顎髭をさすりながら、右手を紫砂の肩に置く。


 撫でるように右手を滑らせると満足したのか、我世はようやく紫砂から手を離して。


『録加来くんのような優秀な人間は、同じく優秀な男と付き合うべきだよ。誰だったか、古馴染みの冴えないパチ屋の店員なんかとは、即刻手を切ることをおすすめするよ』


 最後に、要らん一言を残して去っていった。


『……あのクソッタレ。上司じゃなかったら◯◯◯◯して◯◯◯◯してから◯◯◯◯してやる』


『ひっ』


 その後、般若のような顔をしてエナジードリンクの空き缶を握りつぶす紫砂の顔を見て、隣席の冴えない表情を浮かべていた女性社員と思しき子が、道端で鬼に遭遇したみたいな顔で怯えていたのが、可哀想だった。





「……なるほどな」


 そんな紫砂の就業中の様子を、ラピスの遠視魔法を用いて水晶玉を通して見ていた。


「ふぅむ。あの我世とかいう男が、紫砂にとって邪魔な間男になっている訳か」


「間男じゃないって!」


「間男じゃないわよ!」


「ま、まあそうっすね。紫砂は独身だし、その表現は的確ではないかな」


「……そういうことではないと思うぞえ?」


 必死な顔で否定する菜々女と梨好瑠さんを見ながら、ラピスは怪訝そうな顔をしていた。


「あいつ、妙な男にウザ絡みされてたから様子が変だったのか」


「……やっくんってさあ」


「……まあ、こういうところが八雲野くんなのよねぇ」


「さすがに紫砂が可哀想だのう」


 なんだか俺を置いて女性陣が一丸となっている雰囲気を感じる。


「で、どうするんじゃ連? 覗き見だけして終わりかえ?」


 何故かテラドリームの事務所で非番の菜々女まで交えて観戦していた俺に、ラピスは問うてくる。


「なんとかしてやりたいのは山々だけど、よその会社の事情じゃ手の施しようがないなあ」


「……」


「何だよ、菜々女」


 頭を悩ませていると、やや不機嫌な顔で菜々女が俺を見てきた。


「やっくんってさ、さっきの女の人……好きなの?」


「り、里市芽さん! も、もう少しジャブを打ってからストレートを打ち込んで!」


 覚悟を決めたような顔をする菜々女の脇で、取り乱したように梨好瑠さんが彼女の肩を揺すっている。


「ん。んー。好きか嫌いかで言えば、好き、かな」


「そ、そう、なんだ……」


「俺みたいなのを相手にしてくれる貴重な物好きだからなあ。そのくせお礼しようとすると『いいって、もうたっぷり貰ってるから』とか謙虚だし、ああ見えて結構優しいんだよな」


「……そりゃ好きな男と年中ねんごろになってれば満足するよ!」


「……里市芽さんだから声が大きいのよ!」


「お主が『爆発しろ』に分類されるクズだということが改めてわかったわい」


 今度はラピスにディスられてしまった。


 さて、こんな漫才みたいなやり取りをしてる間にも紫砂のストレスは指数関数的に上昇していくことが容易に予想できる。


 きっと、俺が何かを言っても彼女は適当に誤魔化すだろう。


 俺の愚痴は喜んで聞くくせに、紫砂は自分の方に踏み込ませてはくれない。


「ま、紫砂もいい大人だ。問題は自分でなんとかするだろ」


「八雲野さん、それでいいんだ?」


「いいも何もこれはあいつの問題だよ。何かあれば自分から言うだろ」


 菜々女の追求を適当に流す。


 俺は、絶対に紫砂が何も言わないことを知りながら、そんな風に自分に言い聞かせた。


「八雲野くん。今日はもう上がって休みなさい。これ、店長命令だから」


「……うっす」


 その後の業務で、うっかり流し台の番号を間違えてしまったり、カウンターで貯玉のところを特殊景品に交換してしまったりと、ホールスタッフの新人しかやらないようなミスを連発した俺は、正規の退勤時間を待たずに梨好瑠さんに追い出されるように店を出た。


 帰り際、俺を待ってくれていた菜々女と一緒に行きつけのパチ屋に寄った。


 いつもの甘デジでオスイチを決めたのに、天国連してバケを引いた時くらいすらも嬉しくなかった。


 どうにももやもやする。


 俺はそんな消化不良を抱えながら、なんだかんだうだうだと閉店まで居座った。


 収支は、二万円プラス。


 これほど虚しい勝ちは、今まで経験したことがなかった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――


【あとがき】


 こんにちは、はじめまして。

 拙作をお読みくださりありがとうございます。


 毎日19時に1話更新していきます(短い場合は2話まとめて更新)。

 執筆自体は完了しており、全21話となっています。

 よろしければ最後までお付き合いくださいm(_ _)m



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