第22話 パン屋にはなれない

 その後も調査委員会による調査は活発に行われた。

 ただ、恐ろしい幻獣を封じた遺跡があちこちにあること、そのうちの一つを悪意を持って壊した者がいるかもしれないこと、そうして封印から逃れた幻獣が人に襲い掛かってきたこと――そんなことを民衆に知らせるわけにはいかないという国王陛下の判断で、調査委員会を含め、遺跡に関することはすべて秘密裏に処理されることになった。

 島にいた大半の生徒を含めた一般には、サオネ島の火山が噴火したこと、そこに幻獣がいたが、界境向こうに戻ったという事実のみが公表され、アエラやフレイヤなど遺跡の存在を知ってしまっている者には、かん口令が敷かれた。


 委員会が調査対象とした事項は三点。

 一つは遺跡に細工をした者の素性と意図。

 二つ目、遺跡が元通りの働きを取り戻せているかどうか。

 三つ目、界境を越えて出てきた炎の魔人にどう対峙し、どう封じたか。


 一つ目については専門のチームを設けて、現在も調査中だそうだ。

 残りの二項目については、委員会の解散時に一応の結論が付いたという。

 遺跡は紛い物の石をのぞいた後、封印陣としての働きを取り戻したと判断された。

 封印が弱まった隙に火山に現れた人型の幻獣――炎の魔人『ディアボリ』と名付けられたそうだ――をどうやって抑え、どうやって界境向こうに戻したのか、という点については、

「ラグナル・ガードルードが火竜を呼び出し、イシュカ・ヴィーダが水竜を呼び出した。イシュカ・ヴィーダがその霊障で倒れた後、ラグナル・ガードルードが両竜を使役し、魔人を弱らせ、界境向こうに押し戻した」

ということになった、ラグナルの主張通りに。


 イシュカの兄、コィノが言っていた通り、調査委員会の長であるガードルード公爵は、その主張を散々疑っていたそうだ。竜が二匹いたとはいえ、それで勝てる相手ではないはずだ、と。

 可能性はただ一つ、ヴィーダ家の血を引くイシュカが両竜を融合したのではないか、それなら両竜を足し合わせたのとは比べ物にならない、強大な霊力を得られる――彼は自説を息子のみならず、調査委員会が実施した査問会への証人にもぶつけた。

 だが、ラグナルのみならず、二人の師である王立召喚学園の教授たちも、そしてイシュカの父のヴィーダ子爵もその可能性を否定した。イシュカはこれまで何度も幻獣の融合に挑み、その都度失敗してきた、その能力はない、と。


 一度イシュカも査問会に呼ばれたが、その時もしつこく問いただされた。

「イシュカ・ヴィーダ、あの魔人に対抗し得るのは、水竜と火竜、もしくは人魚あたりの幻獣を融合に成功した場合ぐらいだ――君がやったのだ」

 あまりに融合ができることを前提に話されるので、なんとなく嬉しくなった。

 自分も含めて、皆ができない子扱いするイシュカのことを、ガードルード公爵だけが信じてくれている――。

「そこまで熱心に融合できたと仰っていただくと、なんとなくできそうな気がしてきました。やってみていいですか?」

「ヴィーダ嬢?」

 査問会の進行役、風属性の精霊に好かれやすい感じの幻獣使いの男性がぽかんと口を開け、それまでずっと厳しい顔で質問を繰り返していたガードルード公爵が一瞬停止した後、顔を引きつらせた。


 そのすべてを無視し、イシュカは杖を取り出した。

「なるほど、百聞は一見に如かずかあ」

「父さん、これだけ期待されたら、いけそうな気がする」

「子供の成長には信じるって大事だよねえ。さすがガードルード公爵」

 のほほんと同意をくれたのは、付き添いのイシュカの父だ。そして、子供のやる気を止めないのも彼――変な人だけど、大好きだ。

「っ、信じる信じないとか、子供の成長とかの話ではないっ、期待でもないっ、イシュカ・ヴィーダ、やめたまえっ」

「大丈夫です、さすがに竜は呼ばないので」


 そうしてイシュカが呼び出したのは、微風の乙女と細波の乙女の姉妹だった。どうやら久しぶりの再会だったらしく、姉妹はお互いを見て本当に幸せそうに微笑む。

(案外本当に行けるかも)

「『ウテレメウトゥメデュウマドフューゼ』」

 あれ? 成功したらちょっとまずいんじゃ?と思いつつ、融合呪を唱えれば、風と水の乙女が向かい合った。両手を握り合い、額を突き合わせる。

 そうして姉妹は、その美しい唇からこの世のものとは思えない歌声を響かせ――。

「……失敗」

 委員会の場にいた半数が眠りに落ちた。

「半数ですんだのはさすが」

「イシュカっ、ヴィーダっっ!!」

 咄嗟に防御を張って、眠るのを回避したらしいガードルード公爵が、髪と同じくらい顔を真っ赤にしている。

 その奥では、調査委員の一人、アエラの母親のエクシム侯爵が顔を俯け、肩を震わせていた。親子で笑い方がそっくりだった。



 そうして、融合の成否をうやむやにしたまま、査問会から追い出されたイシュカだったが、ガードルード公爵はそれでもあきらめなかった。


「自分が望む答えが出るまでしつこくする……つくづく嫌われるタイプだよね」

「――聞こえているからな、イシュカ・ヴィーダ」

「う」

(そうだった、この人地獄耳だった……)

 その日、わざわざヴィーダ家にまでやってきて、応接室に通された彼を、イシュカは扉の隙間からうかがう。そこで思わず漏れた本音を聞かれてしまい、逃げられなくなった。

 イシュカの横では、ヴィーダの屋敷に居ついている屋敷妖精『ブラウニー』が箒を片手に、やれやれ、とでも言うように肩をすくめている。

 

「魔人をどう始末したか――そろそろ本当のことを話してもらおうか」

「だから申し上げている通りですってば。調査委員会でももう結論がついたって聞きました。委員長でしょ?」 

 挨拶をかわし、向かい合ってソファに座るなり、公爵は茶も待たずにいきなり本題を切り出した。

「ヴィーダ嬢、私はあの魔人を知っている。竜ごときでどうにかなるものではないはずだ」

「それ、何度も聞きました。何度も返事もしました。水竜を呼び出した後のことの記憶がありません。その後のことはラグナル、じゃない、ご子息にもお聞きになったんでしょう」

「息子は君が呼び出した人魚などの水の精霊たちが、事前に魔人を弱らせていたから可能だったと言っている。フレイヤ・テネブリス嬢と、シャルマー・ベスティボラムも、君は精霊たちの助力を確かに得ていた、と証言した」

「じゃ、問題ないじゃないですか」

「その後、ラグナルは君が呼び出した水竜で、魔人の力を制限しつつ、火竜をぶつけ、火口に突き落とした、と」

「これまた問題ないじゃないですか」

「――君の感覚ではな」

 ラグナルと同じ色の目でじろりと睨まれて、イシュカは口を尖らせた。


「他人が呼び出した幻獣を使役するなどということは、異常以外の何物でもない」

「? 私が呼び出した幻獣は契約してないし、ラグ、ご子息が使役できてもおかしくないでしょ」

「――君は自分が異端だともう少し自覚したまえ」

「うーわ、相変わらずやな感じ」

「思いっきり聞こえているぞ……?」

「もうばれてるし、そっちだって私のことボロボロに言うし、もういいです」

 残念な子を見る目でかぶりを振られて、本音を吐き出せば、公爵のこめかみに青筋が立った。「君こそ相変わらずだ」ともっと睨まれる。


「いいか、異端で粗忽者で非常識な君にもわかるように説明してやる」

「言い方!」

 抗議したのに、「当たっているだろうが」と鼻で笑われた。この性格の悪い人がラグナルの父親だなんて、やっぱり何かの間違いだと思う。

「いいか、呼び出された幻獣は、基本召喚主に敵意を持っている。契約を結ぶのは、その危険性を排除するためだ」

「それ、授業内容じゃん」

「理解できても実感できていなさそうだから言っているんだ……! いいか、召喚主にすら敵対的な幻獣が、他者の命令になど応じるわけがないんだ!」

「つまり、敵対的じゃなくて、命令じゃなきゃ応じてくれるかもってことでしょう」

 少なくともイシュカの呼び出しに応じてくれる幻獣たちは、そう敵対的じゃない。嫌なら、そもそも呼び出しに応じてくれないのだ。ラグナルだって、イシュカの呼んだ幻獣はもちろん、自分の召喚獣にだって、頭ごなしに命令したりしない。

「やっぱり問題ないじゃないですか」

「……」

 思ったままを言えば、公爵は言葉を詰まらせた後、「君も生粋のヴィーダだな」と息を吐き出した。


「ラグナルはすっかり英雄扱いで、見舞いと称した客に連日つきまとわれ、もてはやされているぞ」

「実際英雄だし、そんなものじゃ?」

「本来は君の手柄のはずだ。悔しくはないか」

「別に。それより、自分の息子でしょ、その言い方よくない」

 昔そうしていたように公爵を睨めば、「君は本気で変わっていないな」と苦虫を噛み潰したような顔をされた。

「……わかった、率直に言おう。私だけじゃない、国王陛下も君が幻獣、火竜と水竜の融合に成功したのではないかと疑ってらっしゃる」

「へ?」

「へ? ではない、畏れ多くも陛下の思し召しだぞ……?」

「……と言われても、雲の上の人過ぎて、なんで、としか」

 畏まるより何より先にドン引きすれば、「ヴィーダにはここから通じないのか……」と公爵は呻き声を上げた。


 それから公爵は脱力しながら、ソファの背もたれに身を預けた。

 両の目頭を指で揉みながら「ヴィーダと話していると疲れる……」と失礼極まりないことを口にする。

「ラグナルもなんだ……」

 そして、ため息とともに吐き出した。

「あれは君と違って、王族の権威を知っている。だが、彼も陛下直々のご下問を受けてなお、絶対に認めなかった。なぜかな」

 有史以来数人しかできなかった幻獣の融合ができれば、イシュカは落ちこぼれ扱いされなくなるかもしれない。憧れの幻獣使いにも近づけるだろう。

 でも――。

(ラグナルが隠している以上、何か理由があるんだろうな……)

 わからないことは多いけれど、それだけは確かな気がする。

 彼は自分が英雄扱いされるために、イシュカのやったことを隠すような人じゃない。イシュカは、避難のためにフェニクスではなく風狼を選んだ時、そして、上空に上がって炎の魔人を避けようと告げた時のラグナルを思い浮かべる。

『イシュカを危険にさらしてまで守りたいものなんかない』

 あの時の言葉がもう一度脳内に響いた。

「なぜと言われても、それが事実だからとしか」

 敢えてへらへら笑ってみせれば、公爵はまた大きく息を吐き出した。



 ようやく諦めがついたのか、呆れたのか、はたまた両方か、家路につく公爵を見送りに出た。

 よく似ているからラグナルと勘違いしたのかもしれない。庭の妖精たちが嬉しそうに彼のもとに飛んで行った後、勘違いに気付いて、慌てて逃げていく。

「幻獣の融合士という、史上稀に見る栄誉ある称号はこれで流れてしまうが、本当にいいんだな」

「本当にしつこい……」

「無礼なのもそこまで来ると清々しくなるから不思議だ」

 玄関の外でぎろっとイシュカを睨んだ後、公爵は顔の片側をしかめた。

 口を数度開け閉めし、「あー……」と変な声を出した。心なし、困った顔をしているようにも見える。

「ならば……君は友人たちともう自由に会える、ラグナルとも」

 口裏を合わせるのではないか――そう疑われていたのだろう。イシュカは家族以外との接触と、査問会に出る以外の外出を禁じられていた。だから目が覚めて以降、誰ともあの島の出来事について、イシュカは話ができていない。


「……」

 公爵の顔をじっと見つめた。

 眉間にしわが寄っていて、厳しい顔つきだけど、ラグナルによく似た顔立ちだ。髪には白いものが混ざっているけれど、元々の色はやはり親子でそっくりだったのだろう。何より瞳の色だ――イシュカを見て、色んな感情を乗せる、大事な、大事な彼の色と瓜二つだ。

「……やめておきます」

「……」

 公爵はイシュカとラグナルの付き合いをずっと良く思っていないようだったのに、なぜかイシュカの返答に眉を曇らせた。


「ラグナルの霊障は、私はおろか、エクシム侯爵ですら見たことのないものだった――あれは無理な召喚や使役の失敗によるものじゃない」

 公爵が融合の話をしてくることは予想できていた。だから、白を切り通す覚悟もあって、それをやり切ったことにほっとしていた。そのタイミングでまったく予想外のことを持ち出されて、イシュカは目を瞬かせる。

「え、じゃあ、なんの代償で一月も……」

 素で答えてしまった後、公爵に「その顔、こっちは本当に知らないわけか」と言われて、イシュカは頬を痙攣させた。

 フンッと馬鹿にしたように鼻を鳴らし、公爵は「昔から言っているだろうが。隠すなら隠すで、もう少し完璧にやれ」と言って、門の外に向けて踵を返した。


「どの道、暴いてやるがな、君が融合術を手に入れたことも、ラグナルに霊障をもたらしたものについても」

「そうやって頭から決めつけて、自分の望む話以外耳を貸さないの、良くないと思います。昔からだもん、ラグナルの話、今回もどうせまともに聞かなかったんでしょ? 召喚士としては最高でも、相変わらず最悪な親」

 肩越しに振り返った公爵にべぇっと舌を出せば、彼は顔の片方だけを器用にしかめた。

 それから「……父親として何も考えなかったわけじゃない」と視線を地に落とした。

「君の査問委員会への召喚をあの程度で済ませたのは、ラグナルがそう望んだからだ。君をこれ以上問い詰める気ならば、自分はもう協力しない、召喚士にもならない、家から出る、とね」

「え……」

 呆然とするイシュカを残して、公爵はヴィーダ家の敷地から出ていった。


 イシュカはその場に立ち尽くしたまま、顔を俯ける。

「まただ、ラグナルはまた私をかばった……」

 目が熱くなってきた。視界もにじむ。

「だから、召喚士になる、ガードルード家から、出て行くこともない……」

 玄関の階段に、ぽろっと雫が落ちて、黒いしみになった。

「一緒にパン屋、やれないじゃん……家出だって付き合ってあげるって言ったのに、ずっとそう言ってきたのに……ラグナルのアホ」

 もっとアホなのは自分だ。彼を助けようとして、逆にその足を引っ張った。今もなんだかわからないけれど、かばわれている――。

 石造りの階段のしみがどんどんどんどん増えていく。気づいた妖精たちが寄ってきて、心配そうにイシュカの顔を覗き込んだ。


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