第21話 隠し事はなんのため

「……」

 薄っすらと瞼を開ければ、年季を帯びた、木の天井が見えた。

(ここは……)

 昔、歯が抜ける時期によく姿を見せていた、ネズミの妖精『ラトン・ペレス』が片隅の穴から顔をのぞかせて、キィッと鳴き声を立てた。

(私の部屋、だ……あれ、確か私、島で探査試け……っ)

「ラグナルっ、ラグナルは……っ? シグルもフェニクスもっ、あと、アエラとフレイヤっ」

 跳ね起きたら、その瞬間めまいがして、またベッドに倒れた。


「そろそろ目を覚ますと思ったけど、騒がしいなあ、イシュカは」

「……兄ちゃん」

 そんなイシュカを見て、ベッドサイドにいた兄がほっとしたように笑った。

「だめだよ、一か月も寝てたんだから、しばらくは大人しくしてないと。歩くことどころか、起き上がるのも慎重にね」

 自分と同じ銀、でも所々色味の違う髪が、背後の窓からの風にふわっと躍った。

 暑い、夏の風だ。風や花の妖精がそれに乗ってやってきて、兄の肩や頭にとまり、『ようやく目覚めたね』と口々に騒いでいる。

「本当にようやくだ。よかった。みんな心配したんだよ」

 兄が背に腕を差し込み、イシュカの半身を起こしてくれた。枕を挟んでヘッドレストにもたれる。

「一月も寝ていたら、だるいだろう。何か消化のいいものを持ってくるから、食事を」

「ねえ、ラグナルは……?」

 柔らかく笑う兄に逆に不安が募って、彼を遮った。嫌な汗がにじんでくる。

「ああ、ごめんごめん、彼なら無事だよ。イシュカ同様寝込んでいたけれど、一週間ほど前に目を覚ました。ほかのみんなも無事だそうだ」

 無事という言葉にほっとしたのも一瞬、妙な言葉に気付いて、イシュカは息を止めた。

「寝込んでた……? ラグナル……?」

「ああ、君と同様、霊障という話だ」

「霊障、ラグナル、が……」

 なぜ? ラグナルは、火竜もサラマンダーもフェニクスも余裕で召喚し、同時に使役できていた。

 火山の炎の魔人は、イシュカの水竜とラグナルの火竜が合わさった融合竜が、精霊の世界に押し戻したはずだ。

 なのに、なぜラグナルが霊障で倒れたのか……――。

「っ」

 イシュカは唇を噛みしめ、自分の身にかけられている掛布をぎゅっと握りしめる。

(あの後だ、私が気を失った後、何かがあったんだ。それを何とかしようとして、ラグナルは霊障を負うような、無茶な何かをした……)

 ――私はまたラグナルの役に立てなかった。

 口の中に苦味が広がっていく。絶望を感じさせるほどの苦さに、イシュカは唇を引き結び、震える。


「そんな顔をしないで。ラグナルは君と力を合わせたと、お友達のエクシム嬢も、テネブリス嬢も、ベスティボラム侯爵のご子息も、君が助けてくれたと言っているよ」

「……うん」

 兄と一緒の時間を過ごしたことはほとんどないし、そのわずかな時間も精霊の話しかしていない。なのに、兄は多分イシュカが自分の無能っぷりに落ち込んでいることを多分知っている。それで、こうやって慰めてくれている。

 嬉しいけど、みじめな気もして、余計泣けてきた。

 だが、ここでイシュカが泣けば、兄もきっと落ち込むだろう。イシュカは口をへの字に曲げて、涙をこらえる。


「ほら、シグルも来た。しかし召喚陣も界境も不要、君は今日もでたらめだねえ」

「……っ、シグルぅ、無事でよかったー、」

 何もない空間からひょいっと顔を出し、ベッドに座るイシュカの膝の上にとまったシグルに抱きついた。ら、額をくちばしでビシビシつつかれた。

「痛いいいい」

 痛みのせいということにして、イシュカはぽろぽろと涙を流す。きっとシグルはそのために突いてくれている。

「いた、いたたた、ちょ、シグル、マジで痛いっ」

 いや、本気でウザがられているのかもしれない。



 イシュカが目を覚ましたと家事妖精たちが知らせてくれたらしい。母が柔らかく煮込んだ夏野菜のポタージュを運んできてくれた。

「だから死ぬようなことをするなとあらかじめ言っておいたのに……!」

「ええと、死んでない、よ?」

「結果論!」

 めちゃくちゃ怒っているけれど、顔は泣きそうで、イシュカはつられてまた泣きそうになる。

「しかも今度はラグナルまで一緒……二人して何やってるの!」

「何って……が、頑張りました?」

「頑張るなら、意識不明にならないように頑張りなさい!」

「せ、正論は人を追い詰めると思う」

「追い詰めてるのよ! でなきゃ懲りないでしょ!」

「追い詰めても懲りないと思うよー」

「――コィノ、あなたは黙ってなさい。あなたがやらかした色々も母は忘れてませんからね……?」

「……すみません」

 スープを一口飲んでは怒られ、二口飲んでは謝り、三口目でまた怒られ、四口目で言い訳し……正直飲んだ気がしなかった。


 最後まで泣きそうな顔で怒り狂っていた母を見送って、イシュカはげんなりとしながら、ヘッドレストにまた背を預けた。

「少し寝るかい?」

「ううん、私が島で気を失ってからのこと、知りたい」

「……じゃあ、それまでのこと――イシュカが島の遺跡に関わったこと、火山から出てきた幻獣と対峙して気を失ったというのは事実なんだね」

 頷いたイシュカに、兄は「そこからの話かあ。正直まだよくわかってなくて、国王陛下の勅命で、調査委員会が立ち上がっているくらいなんだ」と顔をしかめた。

「本当なら父さんから話してもらうほうがいいと思うんだけど、その調査委員会がやってる査問会に呼ばれて、かかりっきりだからな……」

「さもん……って、悪いことした人の取り調べ? え、私のせい? 私、悪者……?」

 嘘、あまり役に立たなかったというだけでは済まなかったのか、また何かやらかしたのか、と真っ青になったイシュカに、兄は「危ないところだったねえ」と能天気に微笑んだ。

「壊れかけた遺跡に、封印されているはずの界境から飛び出した危険な幻獣、気を失ったイシュカとラグナル。これは組み合わせ的に、やらかし屋のヴィーダ家の人間が遺跡に何かして、幻獣を解放しちゃって、ガードルード家の嫡男が止めたんじゃないかって」

「偏見! ひど!」

「いやあ、正直僕もそうかと」

「もっとひど! 元々は遺跡のことを言い出した兄ちゃんのせいじゃん!」

「ごめんごめん」

 へらへらと笑う兄に枕をぶつけたのは当然の権利だと主張したい。

 ちなみに妖精たちはちゃんと避けた。兄の反射神経は彼らに劣っているらしい。


 兄はずれた眼鏡を直し、「謝ってるのにぃ」と鼻をさすりながら、ベッド脇の椅子に座り直した。

「大丈夫、誤解はすぐに解けたよ。君たちが意識を失っている間に、まずトルノー教授が、僕が遺跡に異常がないか気にしていたこと、それを君から聞いて遺跡を確認しに行った際に、確かに封印陣の効力が弱っているように感じたと査問会で証言した。それから、テネブリス公爵令嬢が、イシュカが遺跡の異常を見破って封印陣を元に戻した、それでも壊れていたというのなら、それは自分のせいだと証言してね」

「フレイヤが? ……怒られた?」

「いや、調和石を一つ二つ壊したり持ち出したりしたぐらいで、封印の効力が劇的に落ちることはない、問題はあの悪意を持って置かれた火と水の石のほうだと、父さんが証言した。僕もそう思う」

 フレイヤ・テネブリスはものすごく偉そうで、色々面倒くさい人だ。何が一番かって、自分の闇の召喚獣たちのことを嫌いと言いながら、嫌っていることを嫌っていることだろう。

 でも、そこを含めて、そんなに悪い人じゃないかもと思うようになった。

 そんな彼女が咎められなかったと聞いて、イシュカはほっとする。


 それから兄をじっと見つめた。

「調和石って遺跡にあった古い石のことだよね? 兄ちゃん、あの遺跡はなに? 幻獣も……父さんも兄ちゃんも知っていたんでしょう」

「ヴィーダ家は遺跡と関わりが深いからね――一つ一つ、僕が知っていることを説明していくね」

 兄はその微妙に紫のかかった灰色の目をイシュカに向けた。

「あの幻獣は、ボガーレ王国以前の先住民インディジーネ人が、恐れ崇めていた精霊の一つだ。遺跡というか、あそこに置かれている封印陣というかは、元々は彼らが幻獣を精霊の世界から出さないために作ったものだと言い伝えられている」

「石は? 置き換えられていたものよりは古かったけど、何千年も前のものには感じなかった。あれは自然の石じゃない――融合術で作った物なんじゃない?」

「そこまでわかっちゃったかあ。ほんとは大人になるまで内緒なんだけど」

 兄が複雑な顔を見せた。

「あの石はお父さんの五代前、融合呪を扱える、僕らのご先祖さまが、インディジーネ族の技を真似て作ったものらしい」

「じゃあ、兄ちゃんや父さんが遺跡の儀式に参加しているのは……」

「新しく作ることはできなくても、あの呪で離れていこうとする二つの力を石につなぎ留めることはできるからね。儀式はそのためのものだよ」

 兄は頬をポリポリとかきながら、「色々やらかしている僕らヴィーダ家がそれでも途絶えていない理由は、これらしい」と苦笑を零す。

「ああいう遺跡は他にもいっぱいあるって。あんな魔人みたいな幻獣がたくさんいるってこと?」

「ああ。どれも恐ろしく強大だね。そして、みんな人も他の動物も、自分以外の精霊も好きじゃないみたいだ。そのせいで封じられたのか、封じられたせいでそうなったのかはわからないけれど」

「……先に言っといてよぅ。遺跡を見てこいとだけ言って寝ちゃって。あと少しで死ぬとこだったんだからね」

「ごめん、まさかあんなことになるとは思ってなかったんだよ。ほんと生きててくれてよかった」

「…………全部ラグナルのおかげ」

 何とかするとか言って、あそこに残ったくせに、融合して幻獣を界境向こうに押し込んだ後、イシュカはほっとして意識を失ってしまった。

 その後何かが起きて、ラグナルに助けてもらったのだろう。そうして、彼を意識不明に追い込んだ――。

 自分の迷惑っぷりと役立たずっぷりを再確認して唇を噛みしめれば、口内に血の味が広がった。


「ねえ、ラグナル、はどうしてる……?」

 イシュカの問いに兄は言葉を止め、片眉をひそめた。

「何度か見舞いを申し込んでいるんだけど、公爵のガードが固くてね」

「公爵? なんで? 具合が悪いの?」

「いや、元気は元気だそうだ。揉めてるんだよ、あの親子、また」

 そう言って、兄は今度は顔全体をしかめる。

「ラグナルが火竜を、イシュカが水竜を呼び出した。それでイシュカが気を失った後、その二竜を使って、炎の魔人を火口に押し込んだとラグナルは主張しているんだ」

 兄の言葉にイシュカは目を瞬かせる。

 事実と違う。イシュカが二竜を融合し、一体化したそれが魔人を火口に押し込んだ。イシュカが気を失ったのはその後――そう口を開きかけて、咄嗟に噤んだ。

「だが、公爵は彼の主張を疑っている。何か隠し事をしているんじゃないか、と。それで、僕たちならその手助けをしかねないということで、面会を断られ続けているんだ。ひどい話だよねえ」

「隠し、ごと……」

 その言葉にイシュカはごくりと音を立てて、つばを飲み込んだ。

 ラグナルはイシュカがあの時やったことを隠そうとしている――でも、何のために……?

「……」

 全身を緊張に固くし、イシュカは兄の様子を慎重にうかがった。


「サオネ島に派遣された第一次調査団から、封印陣がちゃんと働いていて、界境は閉じていると報告された。炎の魔人の気配もないと」

「……界境がまだ開いていない時は、私も魔人の気配は感じなかったよ」

 それは事実だ。だが、火口に押し戻した後はどうだっただろう? 界境が閉じつつあるのは感じたけれど、その時にはまだ魔人の気配はあった。

 話題が精霊になったからだろう、兄は話に集中していて、息を殺すイシュカに気づいていない。

「僕たちもそう言ったし、査問委員会もその方向で結論を出しつつあるんだけど、ガードルード公爵はなぜか納得していないようなんだ」

「なんで」

「わからない。あの家も古い家だから、何かしら思うところがあるのかもしれない。炎の幻獣使いの家系でもあるし、あの幻獣について何か知っているのかも。ラグナルは大変だろうね、家でも問い詰められているだろうし、昨日から査問会にも出ている。未成年だから普通は親が一緒に出るけれど、彼の親の公爵は調査委員会の長でもあるから」

「……」

 イシュカはついに顔を歪めた。

 昔、ラグナルと彼の父親の関係は、あまりいいものではなかったように思う。

 探査試験の間も何回か話した感じでは、昔と違って父親に怯えるというふうではなかったけれど、今も仲よしと言うわけではなさそうだ。

 その父親に逆らってまで、ラグナルはイシュカの何を、なぜ隠そうとしているのだろう……?


「そんな悲愴な顔をしなくても大丈夫だよ。昨日の査問会では父さんやトルノー教授がフォローに入ったそうだし、本人も堂々としていて、ふてぶてしいぐらいだったって」

「……うん。私もいずれ査問会に召喚を受ける?」

「可能性はあるね。でもとりあえずは体を元に戻しなさい。いきなり色々話したから疲れただろう、少し寝るといい」

 兄に頭を撫でられ、ベッドに横たわるよう促された。


 イシュカはもう一度目を閉じる。

 兄の足音が遠ざかり、扉の蝶番が軋んだ。扉が閉じる音がする。

「……」

 まぶたの裏に、あの時の色んな光景が目まぐるしく浮かんでは消えていく。

 シャルマーの腕の中でぐったりとするアエラの蒼い顔、彼女らを載せて林の中を遠ざかる水馬の後ろ姿、水の壁の内で火山を睨む人魚の鋭い目つき、封印陣を何とか元に戻そうと必死なフレイヤの横顔、イシュカを気にかけてくれる水竜のまなざし、火竜を呼ぶための召喚陣を描いてくれているラグナルの姿、よりによって水竜と融合か、とため息をつく火竜、魔人を押し戻そうと火の山に落ちていく紫の竜の閃光、気を失っていくイシュカを抱き留めてくれたラグナルの赤髪、そして――、

「イシュカを危険にさらしてまで守りたいものなんかない」

 そう口にした時の彼の赤い瞳。


 眠れる気はしなかったのに、じきに睡魔はやってきた。

「……ありがとう。けど、ラグナルのところに行ってあげてくれる……? 多分、すごく疲れてる……」

 心配そうにイシュカをのぞき込んでいるのは、傘を持った小人の妖精だ。

 優しい夢を見せてくれる彼に、ラグナルのせめてもの夜の平和を託し、イシュカは眠りの淵に落ちていった。

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