第19話 紫の竜
いる、この上だ、噴石が降る中、炎属性の精霊、多分フェニクスに乗っている――。
(っ、ばかっ、ばかばかばかばかっ、なんで逃げてないのっ、死んじゃうじゃんっ……って、)
――死なさない。
イシュカは目尻を吊り上げると、指から離れかけていた杖をぎゅっと握り直す。
「ヴィーダの、血脈を辿りて、我のもとに、来たれ……っ」
肺に辛うじて残っていた空気が、呪と共にゴボゴボと音を立てて、水中に出た。
気泡はそのまま上に、イシュカは水底へとさらに沈んでいく。先の見えない暗い水底が明るく光った。すさまじい水量がイシュカへと押し寄せてきて、髪が巻き上がる。
次いで、体が湖面へと突き動かされた。
「かはっ」
水面を顔が出るなり、空気を一気に吸い込んだ。勢いが強すぎたのか、それとも既に肺に入っていた水のせいか、助けてくれた水竜の頭の上で咳き込む。
「シグ、」
同じ場所に、馴染みの黒い鳥が焦ったように舞い降りてきた。イシュカに頭を押し付けてくる。優しい感触にか、胸の痛みが次第に治まってきた。
「あ、りがと。すい、りゅも、お手数、おかけしまして」
ぜぃぜぃ言いながらなんとかお礼を言えば、水竜からは逆に謝罪が返ってきた。すぐに助けられなかったことを言っているらしい。なんていい子だろう。
「イシュカっ!」
「ラグ、ル」
呼ばれて顔を上げれば、咳込んで出た涙で歪んだ視界は、落水前とは大きく様変わりしていた。真っ暗闇だ。辺りには灰と小石が降り注ぎ、赤い火花が舞っている。赤と黒に染まる空に次々と稲光が走る。
地獄のようなその中を、燃える鳥に乗って、ラグナルがまっすぐ進んでくる。
「馬鹿イシュカっ」
「っ」
泣きそうな顔でフェニクスから飛び降りたラグナルに抱きしめられて、イシュカは唇を震わせる。
幼いイシュカが召喚そのもの、もしくはその後に失敗をして死にかけるたびに、彼がいつもこんな顔をして駆け寄ってきたことを思い出した。
「?」
体に降り注いでいた火山灰が途切れた。上を見上げれば、巨大化したフェニクスが、その翼でイシュカとラグナル、シグルと水竜の頭上を覆っていた。
「水竜は飛べるな? このまま上空に上がって逃げるぞ。無理ならシグルで……」
「ラグナル、待って。考えがあるの。聞いて」
抱擁はすぐに解けた。見上げれば、ラグナルは厳しい顔をして、「悪い、聞いている時間はない」とイシュカの願いを拒絶した。
「イシュカ、あれは太刀打ちできる相手じゃない。あそこ、山の頂に黒い塊があるだろ、溶岩と高温のガスだ。あの塊が成長し切ったら爆発させて、それに乗って山を下って全部燃やし尽くす気だ。この島を覆いつくすぐらいのことができる。それぐらいの熱量だ」
「じゃあ、みんな死んじゃうじゃん。なおさら逃げられないよ」
ラグナルが指さした先には、彼の言う通り、恐ろしいほどの霊力、そして悪意がある。あれが一気に下ってきたら、湖のイシュカたちは確実に死ぬだろう。
それだけじゃない。ラグナルの言うとおりなら、アエラを含めた東岸に集まりつつある学園の生徒や先生たちも、この島の生き物も皆滅ぶ。そして、精霊たちの場所も。
こぶしをぎゅっと握りしめて、「ラグナル、水竜と火竜を融合する」と幼馴染を見上げた。
「っ、この期に及んで何言っているっ、失敗したら、確実に死ぬんだぞっ。無謀すぎるっ」
「このままでもどの道殺されるってば。あの幻獣、私たちを見てる。性格悪そうだし、上空に上がろうが、このまま逃げようが、狙い撃ちしてくる。大丈夫だから力を貸して」
「嫌だ」
「ラグナル、このままじゃ」
「――イシュカを危険にさらしてまで守りたいものなんてない」
「……」
赤い目にまっすぐ見つめられて、息を止めた。
大好きな目だ。昔はずっと見ていた。当たり前だと思っていた。
そして、三年半前、この目を正面から見られなくなって、気付いた――。
「私にはあるの、私を危険にさらしても守りたいもの」
「……」
悲しそうに顔を歪めた彼に、「ラグナル」と笑ってみせれば、赤い目がまん丸になった。
「だから……、っ、ラグナルっ」
「っ」
威嚇するかのように轟音が大気を揺るがし、水竜が揺らいだ。その拍子にラグナルが落下する。
「……よかった」
頭上にいたフェニクスが即彼を救いに行ってくれて、イシュカは胸をなでおろした。
「……れっ、……る…け、……くっ」
「何言ってるかっ聞こえないっ」
だが、落ちてくる噴石と、大気中に舞い上がった灰の摩擦による雷で、互いに近づくことも、声も届かせることもできない。
「ラグナルっ、火竜を召喚してっ、ちゃんと融合するからっ、絶対死なせないからっっ」
「…つも……な……ぼ……こ、ばっか……」
絶望しかかったその時だった。
顔を辛そうに歪めたラグナルは、ぐっと唇を引き結ぶと、フェニクスの上で立ち上がり、杖を掲げた。
「っ」
彼が空中に向けて描く光の紋様が自分の意図通りだったことに、また泣きそうになる。
イシュカも杖を握り直し、足元の水竜に語りかけた。
「負担をかけてしまうけど、お願いします」
水そのものからできたような、淡い水色を帯びた透明の鱗がざざっと波打った。
向こうが透けて見える、蝙蝠に似た大きな翼が水音を立てて空に広がり、湖に浮かんでいた巨体が空へと上昇する。
周囲でジュッ、ジュッと音がしているのは、水竜の周りに漂う水の幕に、燃える噴石が当たっているからだろう。
「……」
フェニクスの上では、ラグナルが火竜の召喚陣を完成させた。そこから小さく炎が吹き出し、渦となり、見る間に大きくなる。ラグナルの赤髪を四方に乱した。
水竜のものによく似た、一対の鉤づめと燃え盛る翼が渦の中心から現れた。
折りたたまれた翼が開き、金に輝く瞳が見えた。顔中にある厳つい突起のところどころが赤黒く光っている。
火竜はそこから一気に翼を広げ、上空に舞い上がった。身に降り注ぐ軽石を赤い溶岩の雨に変え、黒い空に向かって咆哮を轟かせる。
対抗するかのように、火山の幻獣が吼えた。巨大な噴石を飛ばしてきたが、火竜の羽ばたきで失速し、湖に落ちる。
(まためっちゃくちゃ心配させてる……)
フェニクスの上にいるラグナルとまた視線が絡んだ。
召喚後の人魚に水柱に閉じ込められた時、ドワーフに生き埋めにさせられそうになった時、十二本足の蜘蛛型の幻獣の糸に絡まってぐるぐる巻きにされた時――いつもあんな顔をしていた。
「大丈夫大丈夫、まかせて!」
不安でいっぱいなのを押し隠して笑って、イシュカは水竜の上から声の限りに叫んだ。
(よし、やってやる!)
イシュカはシグルの上に移ると、空に浮かぶ両竜の間へと移動した。
大きく息を吸い込んで、両腕で立てた杖を握る。杖に額を寄せ、父から教えられた言葉を口にする。
足元のシグルが励ますように、鳴き声を上げた。
(我を媒体とし、融合せよ――)
「『ウテレメウトゥメデュウマドフューゼ』」
その瞬間、焦点が三つになった。
一つは自分のものだ。目の前に杖があり、火山の頂の黒い塊を見ている。
次は水竜のものだ。右横にイシュカとシグル、視界の右端に赤い火竜の翼が入ってる。その脇にいるフェニクスとラグナルも。
最後が火竜のだ。同じく自分たちと水竜を視界の左に入れつつ、敵意に満ちた目で火の山の幻獣を睨んでいる。
やがて幻獣二体の意識がイシュカに向いた。両者から「やれやれ、よりによって、」とでも言いたげな気配を感じる。
すさまじい霊力がイシュカを挟んで向かい合い、緩やかに結合していく。
(っ、ちょ、ほんとに悪質)
大きな爆発音とともに、また噴石がまっすぐイシュカに向かってきた。
焦れば、ほとんど重なっていた二体の竜の体がぶれた。
真っ青になるイシュカの前に、ラグナルが出た。
「サラマンダーっ」
空に一筋の赤い線が走り、そこから燃え盛る蜥蜴三体が宙に躍り出る。ラグナルの長い赤髪が巻き上がり、炎を映して朱に輝いた。
新たな召喚獣たちが三方向から炎を吹き付け、噴石をどろどろに溶かして落としてくれた。
(同時召喚、しかも呪もなく三体……)
サラマンダーは高位の幻獣だ。ガードルード家十八番の火属性とはいえ、相変わらず嫌味なくらい優秀でカッコいい。彼はやはりイシュカ憧れの召喚士だ。
こんな状況だというのに、それで少し笑うことができた。
できる、という気がしてくる。
再び目を閉じて祈る。
火山の上の黒い塊の上に、例の幻獣の姿が見えた。頭部に角を持つ、人型をしている。相変わらず巨大で、強大な霊力を持ち、赤黒く明滅している。けど、融合後の竜たちなら太刀打ちできない相手じゃない。
(あの幻獣を火口の奥に押し戻して)
願った瞬間、二つの竜が完全重なった。恐ろしいほどの霊力がそれから吹き出、イシュカは飛ばされまいとシグルにしがみつく。
紫と赤、青の揺れる輝きに覆われた竜が、咆哮と共に火山の頂の上にいる魔人に向かって飛び立った。
投げ付けられる噴石を回転しながら交わし、水と火の竜は人型の幻獣に突っ込んでいく。
魔人の腕から出た炎に、青く光る竜の口から出た水が激突し、辺りが濃い蒸気に覆われる。
竜が幻獣に届いた。直後に竜は赤く変化し、その顎で幻獣の喉元に噛みつく。恐ろしい叫び声が響いた。
魔人は、今度は紫に変色した竜に引きずられる形で、背後の火口へと落ちていく。
(まずい)
このまま溶岩の中に落ちれば、火竜はともかく水竜はいずれ力尽きる。イシュカは蒼褪めつつ、融合を解く。
「っ」
火口の奥底から、おそろしい叫びが聞こえた。
(うそ、あの子かも……)
たった二回しか会ってない水竜だ。まともに挨拶もしていないし、相性の悪い火竜との合成なんて、無茶苦茶なお願いもした。なのに、呼びかけに答えてくれた。
助けが遅れたと謝ってくれた、おそろしく優しい水竜の姿を思い浮かべて、イシュカは半泣きになる。
「シグルっ、お願い、火口に行って」
「――やめろっ、行ったって役に立たない」
「だって、私のせいで……」
「霊力、読めるだろ」
フェニクスに乗るラグナルに行く手をふさがれて、情けない声をもらせば、その顔が呆れ顔に変わった。
「あ」
ラグナルとフェニクスの背後、火口からまっすぐ青い竜が飛び出してきた。そのまま上空に登っていき、黒い空にただよう雲に消えていく。
「か、火竜、あの子は?」
「あいつなら、あの幻獣を道連れに溶岩から向こうの世界に帰った。一対一なら霊力的に無理だっただろうけど、寸前まで水竜が一緒だったからな」
気づけば、火山を中心に起きていた地鳴りが治まり、噴石も止まっている。
イシュカは半ば放心しながら遺跡に目をやった。
置き換えられていた石を取りのぞいた時のまま、あの気色の悪い乱れはすっかり消えていて、霊力がまっすぐに火山下の界境に向いている。
そのせいだろうか、界境が少しずつ閉じつつあるようだった。
(よかった……)
緊張が途切れ、同時にふっと意識が遠のいた。
(あ、これ、霊障だ……)
無茶な召喚や融合をしたせいだろう。
何か月寝込むんだろう、餓死は嫌、と思いつつも瞼が下がってくるのに、耐えられない。
体が崩れ、シグルの背から湖へと真っ逆さまに落ちていく。
(間違えた、溺死コース……)
「っ、イシュカっ」
ラグナルの叫び声が聞こえた。
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