第18話 歪められた封印陣と水と火の竜

(気持ち悪……)

 目くらましを再び越えて踏み入った先は、前回以上に場の霊力が乱れていた。水の力と火の力がそこかしこでぶつかり、せめぎ合っている。

 同時にあちこちが燻っていた。火山から時折とぶ溶岩の飛沫のせいだろうか、遺跡周辺の林の下草がチロチロと燃え始めている。

(湖沿いの土地じゃなきゃとっくに火に巻かれてたかも……)

 変に乱れた霊力と煙で、精神と体がやられる。吐きそうになりながら、フレイヤと二人、白い石の配置されていた場所までたどり着いた。


「確かこの部分……」

 真っ白な顔をしながら、フレイヤが震える指を動かして、持ってきた石を置く。

 だが、特に変化はなかった。

「どうしよう、ここじゃなかった……? 取り返しのつかないことだった? それともこれと火山が関係あるって言うのは私の勘違い? 何がダメなの……ああ、そうだ、こっち、蹴って割っちゃったんだった、そっちも戻して……」

 そうしてフレイヤは動きを止め、火山をうかがった。

 また大きな地鳴りがし、轟音が轟く。樹冠の合間から火の粉が降ってきた。

「……どうしよう、止まらない」

 周囲の森に漂う煙が色と焦げ臭さを増していく中、フレイヤは「なんで、どうして」と繰り返しながら、石をひっくり返したり、角度を変えたり、置き直したりする。


 また泣きそうになっていく彼女を横目に、イシュカは吐き気を堪えながら、石で作られた円を見つめた。

(水の霊力と火の霊力、対立する力をあわせ持つ石……。……あれ?)

「……」

 イシュカは目を見開いた。音を立てて地に這いつくばると、違和感を覚えた石を手にする。

 やっぱりだ、それに新しい。

「ちょっと、何してるのよっ、あなたまでこれを壊す気!?」

「これ、あと、これとこれ、こっちも、そっちもだ」

「は?」

「これは火、これは水、こっちも水、あっちは火」

「何を言ってるの……」

「他の石は両方の属性を持ってるんです、でもこっちのは火が水かのどっちかだけ。しかも風化していない、新しいんです」

「何を言っているの……?」

「何って、なんだろう、誰かが元の石を置き換えた……? そのせいで遺跡の霊力、封印が乱れた……全体としては混ざって火と水の気配になるから、気付けなかった……」

 この円陣が火山の幻獣を封じるものだとするなら、古い、両属性を帯びた石は、その働きを強化するための媒体なのだろう。新しい石を取り除いた今、封印陣の霊力はまっすぐ火山に向かっている。

 対立する水の霊力で、力ずくで封じるのではなく、火を交えることで抵抗を和らげ、緩やかに閉じ込める。場所がここなのも、ラグーンの界境から漂う水の力を利用するためだ。

 新しい石は、古い石のその働きを乱していた。

「どういうこと? 火山の界境向こうの幻獣を起こすため? なら、全部置き換えたらいいじゃない。大体そんなこと、誰が……」

「さあ。でも封印が解けた決定打は、フレイヤさまですね」

「っ」

「ほら、ただでさえ壊されかかってたのを完全に……」

「容赦! そうだけど、知らなかったのよ、これがそんなのだって!」

「ですよねー。ってことで、責任を感じるなら、こっちの新しい方の石を持ってトルノー教授のところに行ってください。誰がこんなことをしたのか、手掛かりになるかも」

「イシュカ・ヴィーダ? あなた、何する気……?」

「またフルネーム……じゃなくて、私、ここに残ります」

「っ、何言ってるのよ! 逃げるわよ!」

「だってなんとかできそうな気がする」

「まった適当なことを……あなたのそういうところが、っ」

 また大きな爆発音がした。上から樹冠の隙間を縫って、火の粉が降り注いだ。木々の葉のそこかしこがチリチリと燃え始めた。

 湖で火の幻獣の相手をしてくれている人魚から、急ぎなさい、と思念が流れてきた。いつも泰然としている彼女には珍しい焦りを感じる。

「大丈夫大丈夫、私、悪運強いの、知ってるでしょ? ほら、時間がないから行ってください」

 本当はものすごく怖いのを隠して、いつも通りであるように見えるよう、イシュカはへらへらと笑う。

 そして、遺跡から共に走りで出、渋るフレイヤを見送った。



(ケルベロスを出してくれたのは私へのサービスかな、やっぱり)

 フレイヤが呼び出した闇の精霊、三つの頭を持つ犬の姿を思い浮かべ、イシュカは小さく笑う。ただ乗るのなら、首なし騎士でもいいはずだ。

 感動の声を上げたイシュカに、

「やっぱり精霊馬鹿ね……」

と呆れつつ、彼女はイシュカがケルベロスに触ることを許してくれた。

 おかげで、震えが止まった。


(さて、と)

「人魚、ありがとう」

 ずっと水を使って噴石を防いでくれていた、貴婦人に向き合った。

「ごめんね、疲れたでしょう」

 水の女王である彼女の霊力が、極端に落ちていることを察して、イシュカは泣き笑う。彼女らしい。厳しいけれど、ものすごく優しいのだ。

 今も怒りながら、さっさと逃げなさい、と言っている。

「もう逃げられないよ。あれ、出てきた」

 山の頂がまた火を噴き上げた。そこに巨大な人型の影が見えた。赤黒く明滅し、イシュカと人魚を見下ろしている。それの口にあたる部分が、にぃっと赤く弧を描いた。さしずめ、炎の魔人というところか。

 赤い溶岩がこちらへと流れてきて、傍らの人魚がそれに大量の水を吹きかける。恐ろしいほどの音と水蒸気が立ち、水と炎がせめぎ合う。

 山がまた鳴動した。まるでこちらを嬲って面白がる笑い声のように響いた。

 傍らの人魚がますます気配を尖らせる。


「大丈夫、勝算がないわけじゃないの。最後に、湖の界境の上にまで連れて行って」

「……」

 人魚がその美しい目をイシュカに向ける。そしてしばらく見つめ合った。

 ふわりと身が浮いた。溶岩を吹き出し、黒煙を吐く火の山を警戒し、界境向こうに閉じこもっていた精霊たちが、人魚の求めに応じて、恐る恐る顔を出し、イシュカを持ち上げる。

 移動の間も、こちらを試すかのように噴石が飛んできた。


 汽水の湖の上、異界の気配が最も濃い場所で、妖精たちに支えられ、イシュカは水面に杖先を浸す。

(なんであんなに悪意まみれなんだろう)

 人間にも精霊にも悪意がある。だが、おかげで奴の注意は、アエラやフレイヤ、他の生徒から逸れて、こちらに集中している。

(ラグナルも逃げられたかな)

 ちょっとは役に立てたかも、と口元をほころばせて、イシュカは呪の詠唱を開始した。呼び出すのは水竜。次に火竜だ――こっちはやったことないけど。


 人魚の水の盾の後ろ、イシュカは精霊たちの力を借りて、水の上を滑るように召喚陣を描いていく。そして歌った。自分の言葉で、優しくも時に暴力的になる、水の支配者に呼びかける。

「……」

 閉じた目を開ければ、イシュカは意識の半分は湖の上で火山の幻獣に向けられ、もう半分は深い水底にあった。

 目の前に魚の群れが通り過ぎていく。

 薄暗さに目を見開きながら見上げれば、遥か彼方、青い筋の合間に揺らぐ光が見える。

 周りを見回せば、大岩の陰や藻の茂る場所などまったく光の届かない暗がりがある。そこから、強い霊力を持つものたちがこちらを見ている気配がする。

(あ)

 馴染みのある霊力を感じた。イシュカは呼びかけの呪を歌いながら、急いでそちらに向かった。

 砂地の底のそこかしこから、水が湧き出、タツノオトシゴが巻き付いた藻が踊る。小さな泡がゆらゆらと水面目指して上がっていく。

(――いた、水竜)

 必死に集めた月下美人の朝露を媒体に、一度だけ召喚に応じようとしてくれた、あの竜だ。半透明の鱗に覆われた体が、水面から頼りなく注ぐ光を反射し、所々時折幻想的に光っている。

(お願い、力を貸して)

 アクアマリンのような目にじっと見つめられる。どこからか歌が聞こえてきた。細波の乙女や人魚のものだ。他にもたくさんまざっている。なぜかシグルの声も聞こえた。

 水竜の口から水が流れてきて、イシュカの顔にあたった。髪が後ろに流れる。どうやら溜め息にあたるものらしい。

 駄目か、と絶望しかかった瞬間、イシュカの意識は水面に戻った。


「っ、来たれ、藍玉の鱗持つ、命の覇者――水竜……っ」

 足元の水底が光った。

 異変を感じ取ったのか、火山の幻獣の気配が変わった。火をまとい、こちらにすさまじい速度で、降りてくる。

 山の中腹以下にあった木々が炎を吹き上げる。

(まずいかも)

 体に熱気を感じて、硬直したイシュカの目の前で、ぐっと水面が盛り上がった。

 水竜の巨大な頭が水しぶきを上げて、水面に出る。そして、大木の幹ほどの径の水柱で炎の魔人を打ちのめした。

 苦悶の叫びと恐ろしいほどの蒸気と共に、魔人の進撃が止まった。赤く明滅していた体が、黒く変色している。

 その姿を見届けるかのように、人魚がふっと掻き消えた。


「ありがとう、水竜。人魚も。ごめんね、みんなはもうちょっとよろしく」

 その隙に、イシュカはもう一体の火竜の召喚を試みる。

 湖の上に浮かんだまま、今度は杖先を水面ではなく、火の山に向けた。

 あれほどの界境だ、イシュカの召喚に対しても有利に働くはずだ。


「この世のすべてを浄化せし劫火、紅炎の竜よ、朱に、金に、紅に輝く、美しきその鱗をこの地に顕現し、我に力を貸したまえ――」

 ラグナルが特別考査の時に見せてくれた、美しい精霊の姿を思い浮かべる。

 その瞬間、イシュカは燃え盛る炎の海の中にいた。揺らぐ炎は金と黒、朱と赤、濃淡を忙しなく変える。まぶしくはあったが、熱くはなかった。

 目が慣れてきた。燃え盛る木や岩、溶岩を湛えた泉、あちこちに色々な幻獣がいる。サラマンダーに火鼠、火蛇……ラグナルを通じて馴染みのあるものの姿も見えた。

(奥だ……)

 ずっと先にひと際強い霊力を感じて、イシュカはそちらに歩み寄る。そして、丁寧に名乗り、目的を、願い事を話す。

 だが、金に燃える瞳と赤黒く揺らぐ鱗を持つ竜は、拒絶の気配を崩さない。

 それは至極当然のことに思えた。幻獣への媒体、すなわち捧げものも持たない、初見の人間、その願いがまた無茶苦茶だ。


「っ」

 現実の世界で、大地が大きく震え、背後で重低音が響いた。空気が衝撃波となって、イシュカの元に届く。

 炎の世界に飛んでいた意識が引き戻された。

 支えてくれていた妖精たちが吹き飛ばされ、イシュカは派手な水音を立てて、湖に落ちる。

(まだ話がついてなかったのに……というか、みんな、ごめん、無事でいて……って、人のこと言ってる場合じゃなかった)

 全身を冷たい水に包まれ、もがく。が、ローブと握っている杖のせいもあって、水面が中々近づいて来ない。

 あぶくがイシュカを追い越して、上へ登っていくのを見て焦る。

 慌てて精霊たちがこっちに来ようとしてくれている。

 だが、霊力を伴った噴石がイシュカの周囲に着水し、阻まれた。

(てか、また狙ってる。どこまで性格悪いわけっ)


「っ」

 また大地が震え、その振動が水の中にまで伝わってきた。先ほどよりずっと強い圧力に、全身を圧迫され、イシュカは顔を歪める。その拍子に口から息がゴボリと吹き出た。

(しま、た……)

 肺から空気を失ったことで、浮力が減った。足搔いているのに、体が徐々に沈んでいく。

 苦しい。目がかすみ始めた。

(も、だめ、かも、)

 意識がぼやけていく。

 脳裏で、父と母が必死に何か言っている。いつも通りのほほんとしていた兄が振り返って顔をこわばらせた。

 シグルの鳴き声もする。これは必死な時の声だ。めちゃくちゃ心配している。

(これ、あれかな、死ぬ前に見るって言う…………アエラ、シャルマーとちゃんと逃げれたかなあ。フレイヤも……あと、ラグナル、は……)

 小さい頃のラグナルから、今日さっき別れた時に見たラグナルまで、次から次へと彼の姿が脳裏に浮かんでくる。どれもめちゃくちゃ可愛くて、カッコいい。

 ちょっと得した気分になって、笑いながらイシュカは暗い水底に沈んでいく。


「イシュカっっ!!」


「っ」

 今まさに想っていた人の声に、イシュカは閉じかけていた目を限界まで見開いた。

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