第17話 人魚と噴石とコンプレックス

(あれは火の精霊、対抗するなら水。私は相性がいいし、幸い目の前は湖だし、ここにも界境があるし、大丈夫)

 アエラたちが避難できるまで、時間を稼ぐ――。

 ラグーンの浅瀬に立って火山を睨み、イシュカは震えを収めようと、深呼吸する。ひどく煙臭い。小さな噴火を繰り返す度に吹き出す、溶岩の飛沫のせいで、山の周囲が燻り出している。

 両手で杖をぎゅっと握り締めた。古い杖だ。皆のように、宝石が埋め込まれているわけでも、ドワーフが作った芸術品のような凝った造りでもない。何代か前のご先祖さまがどこかで拾ってきた木らしい。

 よく馬鹿にされるけれど、イシュカはこれが好きだった。何千年も生きた、大木だ。その木が枯れる時に一緒に滅ぶことを望んだ樹魔の息遣いが残っている。


『イシュカ、人だけじゃない、人ならざるものにも敬意を払いなさい』

『自分の都合で、自分の都合のいい場所に来いと呼ばれたら、誰だって嫌だろう』

 庭で人魚を呼び出し、死にかけた後、イシュカは父と兄にそう言って怒られた。

 それで気づいた。二人は召喚陣を滅多に描かない。描く時はできるだけ界境の側に行って、だ。その方が失礼にならないからか、幻獣たちも力を貸してくれやすくなる、と彼らは言った。


「生きとし生けるもの、すべての母たる清澄に住まう麗しき貴婦人よ、我、イシュカ・ヴィーダが声に耳をかたむけたまえ」

 歌いながら、水しぶきを跳ね上げて身を躍らせる。水を切る杖先の軌跡が青く光り始めた。

 出会いからこれまでの交流を、イシュカの彼女への思いを、陣に、呪に込めていく。

「お願い、力を貸して――…………って、私、そればっかりだなあ」

 呪の最後の最後で、思わず肩を落とせば、噴石が飛んできた。慌てて避けるも、追撃が飛んできた。

「っ、ちょ、本気で性格悪い」

 湖岸沿いに走って逃げれば、例の遺跡のある岬が見えた。なんだか前見た時と雰囲気が違う気がして目を瞬かせれば、噴石が目の前に落ちた。

「いったたた……、しまった……っ」

 飛び散った小石に全身を打たれて、立ち止まった瞬間、まっすぐ赤黒く明滅する大きな塊が飛んでくるのが見えた。

(あ、これ、死んだかも)

 間に合わない――直感的にそう感じて、両腕を交差させて頭を守る。だが、衝撃はやってこなかった。

「…………人魚!」

 恐る恐る目を開ければ、湖から巨大な人影が伸びていた。その周囲に広がる、盾状の透明な水の壁が噴石を遮っている。じゅうじゅうと水煙を上げた後、その石は音を立てて、湖に落ちた。

 美しい半身半魚の女性は、その壁を維持したまま、首を巡らし、深海色の目をイシュカに向ける。

「ありが……冷たっ」

 顔に汽水をかけられた。召喚するなら召還するで、最後までちゃんとやれと言うことらしい。厳しい。が、優しい。


 涼やかな顔をしたまま、人魚は次々とんでくる噴石を水の幕で柔らかくとらえ、落としていった。

 その間も火山の震動は止まらず、噴煙が上がり続けている。辺りは夜のような暗さになりつつあった。宙を舞う火山灰が擦れ合って、雷が発生し、時折不気味に空が光る。

 火山の中ほどにいる幻獣はまだ出てこない。ひどく苛ついているようだ。

(というか、なんで出てこないんだろう。ひょっとして、出て“こられない”?)

 出てこられたら、多分もっとまずいことになる。だが、不気味だった。


「……フレイヤさま?」

 視界の端に動くものを捕らえて、なんとなくそちらに顔を向け、イシュカは目を丸くした。ボロボロの白っぽいドレスと黒髪の彼女だ。湖岸沿いの林から飛び出てきて、左手、湖に突き出た遺跡のある岬に駆けていく。

「そっちはダメですっ」

「っ、イシュカ・ヴィーダ……」

 こんな時でもフルネーム、と思ったのはさておき、イシュカは自分を見て目をみひらく彼女に走り寄り、腕を引っ張った。

「みんな北東の浜に集まって、脱出の準備をしています。フレイヤさまも早く」

「わたくしはこの先にすべきことがあるのです。人に言っていないで、あなたこそ逃げなさいっ、危ないでしょうっ」

 ひょっとして心配してくれているのだろうか、とイシュカは目を丸くする。

「私もすべきことがあって」

「……幻獣にまともに命令できない、あなたごときに?」

 が、高慢なことに変わりはなかった。ごときはひどい。

「命令できなくてもやれることはあ……る時はあります」

「……う、そ……人魚……? 本当に、本物……」

 むくれつつ湖の中で、水を操る人魚を指させば、フレイヤは茫然とした後、「……なんで」とぎゅっと眉根を寄せた。


「フレイヤさま?」

 イシュカの問いかけを無視し、フレイヤは唇を噛みしめ、そこを戦慄かせた。

「なんで……なんで、あなたは、あんな綺麗な幻獣を呼べるの……」

「はい?」

「そうやって、いつもへらへらしているくせに、まともに契約もできないくせに、なんでよ……っ」

「……」

 いきなり叫ばれて、呆気にとられた。

 フレイヤの黒い瞳から、ボロッと涙が零れ落ちる。

「なんで、なんで使えもしない召喚陣や召喚呪を覚えるのよっ、使うのにテストで負ける私が馬鹿みたいじゃないっ。こっちは必死なのに、あなたはいつも馬鹿みたいに楽しそうで、失敗しても全然平気そうで、ラグナルさまにも好かれてっ」

「……」

「使役ぐらい失敗しなさいよ……っ、使役まで成功されたら、わた、わたしなんか、存在価値、ないじゃない……」

 フレイヤは子供のように顔を歪め、泣き出した。

「なんでよ、なんで私の召喚獣は、あんな暗くて怖いのばっかりなの、みんなに嫌われるのばっかりなの……っ」

「え、デュラハンとか赤帽子? え、それこそなんで? 私、大好――」

「あなたが変なだけ!」

「ひど」

 せっかく褒めようとしたのに、とイシュカは顔を引きつらせる。


 その間も水と噴石の攻防は続き、地震も止まらない。暗く重い空は火口の中の溶岩の色を映して不気味に赤く染まる。


「私はあなたみたいに変じゃないのっ、なれないのっ。あの子たちが嫌いなのっ。好いて、あげられないの……、こ、怖いのに、人間嫌いなのに、それでも私の頼みを聞いてくれるのに……」

 そのままわんわんと声をあげて泣くフレイヤに、イシュカは情けなく眉を下げた。

 こんな時でも抜かりなく私を貶したぞ、この人、ともちょっと思ったが、それ以上に、フレイヤこそなんで私なんかを羨ましがるのか、と思った。

 イシュカは落ちこぼれで、うまく人の役に立てない。そのせいでイシュカと仲のいい精霊たちまで馬鹿にされる。大好きで憧れのラグナルの足を引っ張り、迷惑をかけてきた。今もかけている。

 幻獣使いとして頭角を既に現しつつあるラグナルだけじゃない。イシュカはフレイヤのことも羨ましい。アエラもシャルマーも、他の同級生たちもみんな。なのに……。


(……そっか、みんなそんなものなのかも)

 子どもみたいに、えぐえぐとしゃっくりを上げて泣き続けるフレイヤを見ていたら、ふとそう思った。

 アエラだって、精霊の干渉を受けない、ある意味無敵の人なのに、精霊と仲よくしてみたいと言っていた。

 地属性の幻獣使いとして大人の間でも有名になりつつあるシャルマーだって、風属性の精霊と契約して、空を飛んでみたいと話していたことがある。

 あれだけ幻獣使いの才能に恵まれたラグナルだって、パン屋になってもいいかもと話していた。

 みんな何かで苦しんでいて、他の人を見て、ついついないものねだりしたくなってしまうのだろう。


「……私、フレイヤさまの仰るとおり、できないことだらけなんです」

 そう思ったら、ちょっとだけ気分が軽くなって、自分の「できない」を口にすることができた。

「ペーパーテストを頑張っているのも、それぐらいじゃなきゃ、学校から追い出されるからだし、今ここに残ってるのも、アエラとかラグナルとか大事な人を逃がしたい、それだけ。だってずっと迷惑かけるばっかりだったから、少しぐらい役に立ちたくて、時間稼ぎぐらいって思って」

「……」

「って、今なんとかなってるのも、結局人魚とか精霊たちの好意にすがってるだけですけどね」

 そう言って自嘲と共に舌を出した後、イシュカはフレイヤの手を指さした。

「それ、ください。あの遺跡にあった石ですよね? 同じ霊力が漂ってます」

「……あなた、これが何か知ってるの?」

「はっきりとは。でも多分あの遺跡、幻獣いる界境の封印です。フレイヤさまもそう疑ってるんでしょ? 戻してきますから、フレイヤさまは早く皆のところに」

「わた、わたし、は……」

 フレイヤが唇を噛みしめ、俯いた。


「っ」

 鼓膜を直接攻撃するような爆音が轟いた。

「やば」

 火口から赤い溶岩が吹きあがったのを見て、イシュカはフレイヤのこぶしに手を伸ばす。悠長にやっている場合じゃない。熱気がここまで漂い始めた。

「ちょ、石、離して」

「いいえっ、私がやりますっ、あなた、これがどこにあったかわからないでしょ」

「わかんないけど、なんとかなる気がします」

「あなたのそういう適当なところが嫌いなのよ!」

「ああもう、嫌いでもなんでもいいですから、よこせ!」

「嫌です、信頼できません! と言うか、誰に向かって口をきいているの!」

「フレイヤさま以外いないでしょっ。じゃなくて、じゃあ、一緒に行きますから走って!」

「たかが子爵でヴィーダのくせに、命令しないでちょうだい!」

「この期に及んで身分とかっ」

 ぎゃあぎゃあ言いながら、フレイヤと走り出したイシュカを、人魚がちらりと見た。

 彼女が海藻のような半透明の眉を顰めたような気がするのは、多分気のせいじゃない。

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