三 浮世

 またか。それが一番の感想であった。

 訪れては欲しくなかった二度目の景色に出迎えられて、れいによって一歩と動けぬ状況で、強風が木々を揺らす。涼しい。まだ涼しさをお天道様に要求するには些か早い季節であるが、近頃の地球温暖化の風説を鑑みれば、十年後にはこの季節にエアコンが見られることになるかもしれない。この夢とおぼしき、わば我が空想に在る世界にいて、季節がどのように巡り漂うのかは私も与り知らぬことであって、現実では梅が春一番の強風に吹き飛ばされ、京の北野から太宰府まで飛梅が飛行した、という伝説すら信じてしまいそうになる状況を目の当たりにしたとて、今いるこの世界が梅の季節であるとは限らぬのだ。とはいえ、前よりも強く風が吹き荒んでいるようで、それ相応の抵抗をこの一身に受けてなお、身体はびくともしない。

 ごお、ひゅう、どどう。森林の中を、まるで迷路を解き進めるかのように、風が進む。そのみちが、落ち葉によって彩られる。あゝ、やはり自然と云うものはいいね。嵐のもと海原うなばらのように荒んだ心が、だんだんと、穏やかな陽を浴びて、鎮まってゆく。そのうち胡座あぐらをかいて坐るのが恥に思えてきて、正座をして、眼をつむって、瞑想し始めたくなる。

 しかし生憎と、この空間に於いてそれは許されないらしい。ずっと立っていても不思議と疲れぬこと以外は、夢とは思えなかったが、それでも確かに、私はこゝに拘束されていた。そうして、もう何分の時が過ぎたかは知らぬが、れいのオカルティックな少女が現れた。

 散々にこき下ろしておきながら云うことでもないが、彼女の容姿は、可愛い。それこそ、あんな恐怖の状態に於いて、不気味な存在の筈の彼女に、一目惚れる程だから、並の人ではない。唯少し、オカルト染みていて気味が悪い。さらに気味の悪いことに、読心できると云う彼女の言い草に嘘偽りはないのである。現に私は一言も発していないが、ほら、このように。

「なかなか失礼なお人のようだ。そもそも、こゝは君の世界。ならばボクは君の分身でなければいけないだろう? この世界ではね、君とボク、唯二人の話し声以外、声は響かないんだよ」彼女は半目でこちらを窺いながら、まるで自らの本心を隠すように、口角を上げた。唯二人の声、なんて云ってやがるけれど、私は声を出せない。自然の音以外に私の鼓膜を震わせるのは、彼女の声だけであろう。

 しかし彼女は、「ボクがその気になれば、君に声を与えることも、まあ可能ではあるがね」なに、何故それを早く言わんのだ。私が少々むっとしたのを察してか、「いかんせん、面倒でね」と補足する。なるほど私とは同族の、とても怠慢な人らしい。

「君ほどじゃないが、まあボクは君の分身のような存在だからね」と。彼女は、顔にかすかな笑みを浮かべる。

「あゝしかし、少々困り事ができる。君に声を与えるとなると、動けはしないが現実に一歩近づく訳だ。どうだね。すでに現実とこの世の区別が曖昧になっているようだが——」

 彼女はくびをかしげる。私は心の中で、構わない、と答えた。もう未練などはない。そうだろう? 私は問うた。唾棄するに足る人生を送続おくりつづけて早二十程、もう私はうんざりしていた。このまま続けたとて、せいぜい酒に溺死して入水自殺だ。太宰先生を偲んで玉川上水がかろうか、なんて考えるようになるだろう。

「はあ」

これは私の息の音である。思えば、呼吸すらままならず、という状態であったかもしれない。しかし、遂に声を手に入れた。彼女に、精一杯の溜息ためいきを吐いてやった。酒気はとっくに抜けておろう。彼女は、「成功したかな」と安堵の表情を浮かべる。しかし、脚は未だに動かぬ。私が「折角なのだから、脚も動けるようにしてはくれなかったのか」と問うも、「あゝそれはだね、まァボクにも事情があるのだ」とはぐらかされ、なんとも腹を煮込まれているかのような不快に駆られる気持になった。

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明晰夢の少女 刈谷つむぐ @kali0710

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