合宿

熊出没注意

 俺と舞が付き合い始めたという噂は、それこそあっという間にクラス中どころか学年中に広まった。

 それは舞の『転校生でクラス委員長』というネームバリューのせいでもあったが、それよりもやはり――彼氏の俺が言うのもあれだが――その容姿によるところが大きかったように思う。


 そのことで何らかのデメリットが生じるのではないかという懸念は杞憂だったようで、これまでと特段に変わったこともなければ、いつの間にか俺自身も彼女と特別な関係になったことを余り意識しなくなっていた。

 よくよく考えれば、元より彼女とはクラス委員長として放課後の長い時間を二人で過ごしていたのだったし、俺も舞も人前でイチャついて喜ぶようなたちではなかったので、言ってしまえば肩書が一つ追加された程度のことなのかもしれない。


 そうこうしているうちに激動の一学期も終業式の日を迎え、翌日からは部活三昧の夏休みが始まろうとしていた。

 俺も彼女もテニス部に所属していたのだが、当然練習は男女別々に行われている。

 それでもコートが隣り合っていることもあり、休憩時間には大体彼女と喋って過ごしていたし、帰りも互いの部活動が終わるのを待って一緒に帰ることが多かった。

 それは、高校生カップルとしてあるべき清く正しい交際というべきか、恋人というよりは仲の良い友達のような関係性というべきか。

 そんな彼女との距離感を心地よく思っている反面、正直もうちょっとこう、少しくらいは恋人らしくありたいという気持ちは正直なところあった。


 夏休みも中盤に差し掛かると、本年度も恒例行事である『強化合宿』の時期となる。

 学校から少しだけ離れた場所にある町営のキャンプ場に二泊三日の泊まり込みで行われるそれは、テニスの練習以外にも部員同士の親睦を深めるという側面が強めのイベントだ。

 しかも、キャンプといってもテントを張ったり自炊したりということもなく、冷房完備のロッジで寝起きし、食事は敷地内にあるレストハウスで取るという、お子様向けのカレーも真っ青の激甘イベントなのだ。

 昔はその名の通りに心身の強化を目的としていたそうだが、これも時代の流れなのだろう。


 強化合宿当日の朝。

 大荷物を抱えて始発電車に乗り込み、ガラ空きの座席に眠そうに身体を預けている電車組の数人の部員に朝の挨拶をしながら車内を見回す。

 車両の先頭近くに舞の姿を見つけて近づいて行くと、あちらも俺の姿を認めたようで胸の前で小さく手を振ってくれる。

「イツキおはよう!」

「……おはよ」

 朝は弱い方ではないのだが、六時台の電車に乗るために五時前に起きた今日に関しては、このまま終点まで電車に揺られて寝てしまいたいくらいだった。

 一方、舞はといえば、元気いっぱい夢いっぱいといったご様子で、これから始まるイベントに胸を躍らせてるように見えた。

 おっさんのように「どっこいしょ」と声を出して彼女の横に腰掛けると、早速舞が楽しそうに話しかけてくる。

「昨日先生に聞いたんだけど、合宿のキャンプ場ってすごい山の中にあるってほんと?」

「本当だけど。でも、うちの学校ってそもそも田舎にあるじゃん? だから距離的には学校から三キロも離れていないんだけどね」

「え~! でもクマとか出るよね?」

「……出ないよ。猪は出るらしいけど」

「え~! イノシシ見てみたい!」

「……」


 完全に少女と化した舞の相手をしていると、あっという間に電車は学校の最寄駅に停車した。

 座席に身を投げ出しその躯を晒していたテニス部員たちは、まるで墓場から目覚めたばかりのソンビのような怠慢な動きでヨタヨタと電車から降りていく。

 似たような動きの俺と、朝からショーモデルのような凛々しいウォーキングを見せる彼女もそれに続いた。


 学校に到着してしばらくすると、五十人からの男女テニス部員が校舎の正面にある駐輪場に集結する。

 そこに副部長たる聖の姿は見当たらなかったが、どうせそのうちいつものように大慌てで駆け込んでくるのだろう。

 もっとも俺はそんなことよりも、そこから少しだけ離れた場所にいたを目撃にしたことによって、前言の撤回を余儀なくされていた。


「ごめん舞。さきのあれ嘘だった。やっぱいたわ、熊」

「えっ! どこ!?」

 俺が指差す方向に目を向けた彼女は「あ! ほんとだ!」と言うと、口に手を当てて笑い出した。

 そこには、ふくよかな身体を大きな荷物に持たれ掛け、今まさに冬眠から目覚めようとしている小池先生の姿があった。

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