第55話:『逃げる馬車』の上で。

『スパイさんの晩ごはん。』

第四章:戦争と晩餐。

第十三話:『逃げる馬車』の上で。


あらすじ:クソジジイの陰謀だった。

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私は朝もやの中、幌馬車の御者席に座って生野菜のたっぷり入ったラップサンドに舌鼓を打っていた。戦争で疲弊したフォージ王国に戻れば、新鮮な生野菜を使った料理など食べられない。


老将軍の跡を継ぐなんて、あまりにもバカバカしい話だ。


貴族となると立派な屋敷に住み、多くの家人に傅かれ豪華な食事を摂る。物語でしか華やかな生活を知らない普通の人間からすれば、この提案は夢のような話だろう。


しかし、老将軍は監視されつつ老後を送っている。英雄と名を馳せたのに庭さえ造れずに、雇っているのも老若ニ人のメイドだけ。老メイドの料理は極上だったが、彼女たちに見られながらの食事は肩が凝る。


何より、私は今まで殺し合いをしていた国の出身だ。


この国の貴族からしたら、私は老将軍が抜けて空いた貴族の席を奪ったよそ者。バスケット王国の貴族の心情を考えれば私を爪弾きにするのは目に見えている。


生まれを活かしてフォージ王国との橋渡しになると言うもの論外だ。負けたフォージ王国の人たちは貴族になった私を裏切り者としか見ないだろう。両陣営に厭われたまま両国の間で板挟みになれば、待っているのは悲惨な結末だ。


いくら老将軍が英雄と評価されても、それらを覆せるほどの力は無いだろう。そもそも、私が老将軍の後継だと言ったところで、貧弱な私の姿を見ただけで鼻で笑われるだけ。英雄の跡取りなど相当に出来が良くなければ務まらないだろう。


私はラップサンドの最後を口に放り込み、牛の乳を飲み干した。戦場となり荒れた土地では新鮮な牛の乳など望めない。少々残念ではあるが、味噌のないこの国にとどまる気はさらさら無い。最後の食事を終えた私は幌馬車の後方で作業しているはずのチキン先輩に声をかけた。


「まだかかりそうか?」


今、私は逃げる準備をしている。


老将軍から話を聞いた私がこの街に残る理由がない。


彼の提案を受ける気はないし、クソジジイが私を生贄に差し出したという話が本当ならば猶更だ。それに、老将軍の跡を継がなくても私の出自を老将軍に利用される可能性もある。クソジジイが悔しがる姿を見れるかもしれないが、私にだってプライドがある。


利用されるなんてまっぴらだ。


私はアパートに戻らず、一晩を新しい隠れ家に身を寄せて過ごした。王都から出る門に指名手配される可能性はあったが、勝手の知らぬ夜道を強行して進むのは危険だと判断した。


新しい隠れ家とは、ターキィの離反によって裏の裏の裏の裏路地にあった『千鳥足の牡牛亭』を手放すことになってしまったので、オックスが以前から用意していたものだ。


危険は残るがオックスはこの街に残るそうだ。まだここには多くの仲間がいて、彼らの活動を支えるねばならない。


チキン先輩も残るそうだ。先輩はターキィと面識がないし、この街での運び屋の仕事を楽しんでいる。黄な粉豆の少女たちと画策している新しい事業を手放したく無いそうだ。


なので、チキン先輩がせっせと馬車に積み込んでいるのはクエイルのぬか床だ。彼女も今回の戦争のために連れてこられたのですでにこの街に用は無い。先んじた仲間といっしょに帰ることもできたのだが、この街で作ったぬか床の整理のために出発を遅らせていた。


クエイルはぬか床をわが子のように可愛がっていたし、バスケット王国でしか手に入らない野菜で作ったぬか漬けもあった。隠れ家の引っ越しでその整理がされたので、彼女は幌馬車に詰めるだけのぬか床を持って私と帰ると決めたのだ。


私としても一人旅よりも二人の方が都合がいい。私が指名手配していた場合、クエイルと夫婦だということにしておけば欺きやすい。それに、旅の途中の乏しい食材でも美味い飯を作ってもらえるかもしれない。今食べたラップサンドも彼女の手作りなのだ。


「ソッスネ~。」


「何か問題が?」


「ソッスネ~。」


しばらくして帰ってきたチキン先輩の様子は明らかにがおかしかった。いつもの先輩なら、私が一言発するたびに三つは言葉を紡いでいる。それなのに今は誰かに脅されるかのように棒読みの同じ言葉を繰り返しているのだ。


私はすぐに幌馬車の背後の様子を確認しようと、ラップサンドを包んでいた布巾を放り投げる。御者席から飛び降りようとしたのだが、幌馬車の先から感じた人の気配に踏みとどまる。


「おまたせしました!」


通りの角を曲がって私の座る御者台を見上げたのはターニップだった。いつもは鳥の絵柄の黄色いエプロンに三角巾を身にまとう彼女が、今日はしゃれたカンカン帽と旅用のコートと新品のトランク。彼女には何も伝えてないし、何も教えていない。何しろ出発自体が突飛だったのだ。


「どうして、ここに?」


ターニップは旅装を纏っているが、普通の女性が旅に出るなどほとんどない。乗合馬車は狭いし宿は汚く雑魚寝だ。場合によっては野宿だってあり得るし、都合よくトイレなどあるわけでもない。


整備された街道と言えど人を襲う獣や野盗も出るし、滅多にはないが魔獣だって稀に出る。歩くにしても馬車を操るにしても体力が必要だし、力の弱い女性には旅路は困難を極める。


だから、クエイルは私が出るまで待っていた。私のような腕の細い男でも居ないよりはマシで、クエイルよりも少女であるターニップならさらに危険が増す。そして、今回の旅は普通の旅ではない。逃避行なのだ。


「えへへ、スプラウト様に招待されちゃいました。」


くるくる回ってマントを見せびらかすターニップに尋ねると、老将軍が彼女を私の故郷までの旅に同行しないかと誘ったらしい。


英雄として名を馳せた老将軍と一緒なら名前を聞いただけで野盗は震える。それに、貴族なので護衛が付き獣や野盗が襲ってきても返り討ちにできるだろうし、快適な宿に泊まり立派な馬車に乗れるかもしれない。


外の世界を見たがっているターニップが旅に出る又とない機会といえる。


話を聞くと、彼女はまだ私の本当の故郷を知らなさそうだ。彼女が考えている私の故郷はバスケット王国のボケナース子爵量の山の奥地。私が吐いた嘘のままだ。彼女の考えでは旅程の半分にも満たない。


頬を染めるターニップのカンカン帽は見たことがないし、王都の中ですら珍しがっていた彼女が旅装を持っていたとは思えない。かなり前から仕込んでいたのは明白だ。おそらく、私を驚かすためにと言って今日まで秘密にさせていたのではないだろうか。


「ホント、厄介な人に目を付けられたわね。」


いつの間に来たのか、クエイルが御者席に飛び乗っていた。そうなのだ、ここで老将軍自らが私の旅路を止めにかかってきていたのなら、私は彼を振り切って逃げることができたのだ。だが、老将軍はターニップを先に寄こした。


人質。


どういう意図か知らないが、老将軍は私の旅に付いてくるつもりなのだろう。その間、私が逃げないようにターニップを呼んだのだ。もちろん、彼女をほっといて逃げることもできるのだが、ずっと世話になってきたアパートの娘。彼女たち家族との挨拶だけが心の支えだったこともある。


「置いていけないわよねえ。」


「ああ。」


悪戯な瞳をしたクエイルが私の背中にしな垂れかかる。豊かな双丘が背中に当たるのだが彼女は気にすることなく私の頬ををつつく。


私にはターニップを見捨てられない。


私には彼女を傷つけることはできないし、今追い返したとしても怒ったターニップを老将軍が馬車に乗せてくるだけである。そして追いついた彼女は私の味方をしないだろう。仲間が減って敵が増える悪手で、老将軍に翻弄される予感しかしない。


「誰ですか?その人。」


「クエイルよ。よろしく、ターニップちゃん。」


「あ!この香水の匂い!」


クエイルの話をしたことがあるのを思い出したのか、ターニップの目が吊り上がる。いや、なぜ、ターニップが怒るのだ?困惑していると、別の少女に声をかけられた。


「お待たせしました。」


「この子誰ッスか?荷物を乗せろってナイフで脅されてたッス。怖かったッス。」


「老将軍の屋敷のメイドだ。」


最後に馬車に乗ってきたのは老将軍の屋敷で働いていた若いメイド。いつもと同じようにメイド服は着ているが、旅用の外套を羽織り、ターニップに見えないようにチキン先輩の脇腹にナイフを突きつけていた。


「ご機嫌麗しゅうございます、マートン様。旦那様は郊外でお待ちです。」


老将軍は王都でまた顔が知られるようになってしまったので郊外で私たちを待っているらしい。


「何を企んでいる?」


「表向きの目的は戦後処理のためですが、本当の要件はこの間の旦那様の提案をマートン様に受け入れてもらうことです。」


「断ったはずだ。」


「旦那様は諦めていませんし、私もマートン様にお仕えできたら嬉しいです。」


「断る。」


「愛人でもいいですよ。」


目を白黒させるターニップを尻目に若いメイドの目は笑っていた。きっと、旅の途中で老将軍と組んで私を彼の後継者にしようと企むだろう。しかし、決定権のない彼女に言っても始まらない。私はため息を吐くと、馬に鞭を入れた。


「マートン、気を付けるッスよ~!」


手を振ってくれるチキン先輩には悪いが、今は何に気を付ければいいのか解からない。御者席に座る私の隣にはターニップと若いメイド。二人で座ればいっぱいの狭い御者席で場所を取り合って座っているので、操作を誤りそうである。


いつの間にか朝もやは消え今日もからりと晴れた。


だが、私は馬車に険悪な三人の女性を乗せて、チキン先輩に別れを告げるしかできなかったのである。



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お読みいただきありがとうございます。


これにてマートンさんのスパイ活動は終了になります。マートンさんに色々な食べ物を食べさせて私は楽しんでいましたがいかがだったでしょうか。機会があれば老将軍とマートンさんの珍道中も書いてみたいな。

さて、次回作は『平和なお姫様と白髪の騎士』を予定しています。書き溜めも無い見切り発車なので、週二の更新は難しいかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。


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