第41話:閑話前編:ターニップの『暗躍』

『スパイさんの晩ごはん。』

第三章:ツーク・ツワンクの老人たち。

閑話前編:ターニップの『暗躍』


あらすじ:『一番安いランチ』後のターニップターニップ視点。

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表を外れた裏の道。そこに地元の人しか知らない古い喫茶店がある。壊れかけた天井扇がカタカタと回り、テーブルに暗い影を落とす。店主は給仕を終えると日当たり良い店先でコクリコクリとうたた寝を始め、店の中には誰もいない。私は寂れた店の奥の薄暗い席で、静かにカップを傾けた。


「にっが~い!」


濃く淹れた珈琲はどうやら私の舌には合わないみたいだ。近所のおばさんたちは美味しそうに飲んでいるのに。


「気取って砂糖とミルクを抜くからッス。ほら。」


向かいの席に座っていた、配達屋のチキンが私のカップに砂糖とミルクをドボドボと足す。でも、ちょっと多いんじゃないかな。いくら私でも砂糖を五個も入れるほど子供舌じゃ無いと思うの。


「それより、早く報告してくれないかしら?」


この店は老女が趣味でやっていて近所の奥さん達がたまり場にしている店。普段は人がいる時間が決まっているから、こういった密談をするにはもってこだ。


「スパイゴッコは似合わないッス。」


「いいじゃない。こういうのは雰囲気よ!」


チキンはスパイゴッコと言うけれど、戦争が始まってから娯楽が減ってるんだから、ちょっとミステリアスな雰囲気を付けてもいいじゃない。それに、彼の報告は小さな雑貨屋の小娘にとって重要なことだ。


「まあいいッスけど。えーっと、シャロットは『旅のウサギ屋』の看板娘で、歳はターニップと同じッス。けど、父親がどうしょうもなく商売っ気のない人だったみたいだったッスね。パン作りの腕は一流だったッスけど、ずっと貧乏な暮らしをしていたみたいッス。」


チキンの報告。それは、この間出会ったシャロットについてだ。せっかく私が色々と計画してマートンさんと二人きりで食事をできる機会を作ったのに、いけしゃあしゃあと私たちの間に割り込んできた泥棒猫。


彼の腕まで抱いちゃって!


私より大きな胸をしているから、せっかく私が勇気を出して押し付けた胸が霞んでしまったのよ。おかげでマートンさんも色香に惑わされて、私の断ってほしいという切ない視線に気づいてくれなかったし。


「あの泥棒猫!」


「って、ターニップも彼女じゃないッスよね?」


きっと、追加できたレンティルちゃんたちが来たのも彼女の策略に違いない。この間、レンティルちゃんもマートンさんに気があるような感じだったし、彼と高級店で食事ができると思えば簡単に呼び出せる。


だって、おかしいじゃない。店の人を使ってわざわざ呼びに行かせるなんて。いくらマートンさんが高給取りだとしても、ふらりと立ち寄った高級店で六人分もの代金払えるわけがない。


泥棒猫は彼が慌てているところで、支払いをして恩を売るつもりだったのよ。


三人を呼んで私の予算も超過させて。


「私の彼なのに!」


私も彼が払えなかった時に、そっと渡せるようにお財布には十分なお金を入れていたのよ。ちゃんとバジルさんに『ツーク・ツワンク』の料理の値段をリサーチしておいたんだよね。


「相手にされてないんじゃないッスか?」


「そんなことをないもん!」


夜に待っているとマートンさんはちゃんと話を聞いてくれて、相談に乗ってくれる。どんなに疲れていても。チキンと違って見返りも要求してこないし、これって愛が無いとできないわよね?


「そろそろ続けていいッスか?」


「コホン。お願い。」


「んじゃ、続けるッス。」


メモ帳をぺらぺらとめくるチキンは、配達屋として王都のあちこちに出向く。だから、この街に詳しくて知り合いも沢山いいるから色々な噂を手に入れることができる。と、思って頼んだけれど、ここまで深く掘り下げて調べてくれているとは思わなかった。


シャロットは王都の生まれではないらしい。


お父さんのオニオンさんは地方の田舎でパン屋をやっていて、経営に失敗して家族を連れて夜逃げ。シャロットはこの王都に逃げてきてから、黄な粉豆を売り歩くレンティルちゃんたちのようにパンを籠に入れて売り歩いた。


どこの町でもそうだけど、毎日食べるパンは需要が高い。だけど、需要が高いからこそ大抵の家庭が行きつけのパン屋を持っていて、そこに割り込んでいくことは難しい。田舎から出てきた新参の小娘が入っていくのは難しいのよ。


そこで彼女が目を付けたのは兵士さん。


兵士さんというと、ふつうは売り歩きの娘を相手にしない人達だ。仕事中に買い食いをしてお腹を壊したり、トラブルを起こしたりしては世間体が悪いし、そもそも買い食い自体が褒められたものじゃない。


規律で買い食いを禁止されている代わりに、専用の食堂があって好きなだけ食べられる。


けど、長引く戦争で兵士さんの質が下がっていた。


たくさんの兵士さんが戦争に行ってしまったし、それをまとめる指揮官さんや隊長さんも減った。それでも人手は足りなくて若い人を多く雇い入れるんだけど、少ない上官さんや隊長さんで兵士さんを育てなきゃならないの。


少ない人数ではいくら頑張っても目が届かない場所が出てくる。兵士さんの質が下がって、訓練をサボる人が出てきた。


彼女はそこを狙った。


兵士さんは兵舎の食堂でお腹いっぱい食べられるけれど、途中で抜け出した人は食堂に戻れないし、街に出てお店に入ることもできない。


揃いの鎧を着ているから目立つのよね。


シャロットがどうやってサボりの兵士さんと知り合ってパンを売るようになったのかは判らないけれど、若い彼らはお腹が減っていた。


戦争が起こっているので、命を張らなきゃならない兵士さんの給料はいい。地方からきている人も多いから、馴染みの店も持っていない。シャロットはパンのほかにも飲み物や甘味も用意して、人を使って屋台を引くまでに成長した。


まあ、その後見つかってしまったんだけどね。美味しいパンに惹かれてサボる人が増えれば指揮官さんも黙っていない。


でも、見つかった相手が良かった。


時の英雄、ブラッソウ・スプライト将軍。


サボりの兵士さんたちが美味い美味いというパンに、英雄は興味を持った。そして、英雄に気に入られたシャロットは彼の屋敷の隣に店を構えることが許され、今では魔道具の石臼を預かるほどに成長した。


貴族にもお客さんができたし、マートンさんが50本のバケットを運んでいたのが宣伝になって、今でも右肩上がりの成長を続けているらしい。うちの雑貨屋なんて、マートンさんが住んでいてもほとんど売り上げが伸びないのに。


才媛って本当にいるんだな。


私がいくら努力したって、シャロットほど雑貨屋を成長させることはできない。お爺ちゃんが残してくれたアパートで細々と靴下を編んでいる程度じゃ太刀打ちできない。ぎっくり腰しか特徴のない父さんに商才があるとも思えないし。


報告の終わったチキンはクリームソーダからストーローを引き抜いて口にくわえる。カランとっ氷が鳴り緑色の液体の底からシュワシュワと泡が上った。


「で、どうするッスか?こんなの調べてもどうにもならないッスよ。」


本当はシャロットの弱点に成りそうな失敗談でも聞ければと頼んだんだけど、出てくるのは彼女の優秀な業績や感動するような話ばかり。夜逃げをしてきたのは弱点になるかと思っていたけれど、店を構えるに当たってちゃんと過去を清算してあるのだとか。本当に抜かりがない。


「せめて、マートンさんが休みのたびに『ツーク・ツワンク』に行くのを止められないかしら。」


私が頭を抱えている問題はもう一つある。あの日、スプラウト将軍に店の二階に連れていかれてから、あの店に入り浸たるようになったのよ。マートンさんはご飯を食べに行っているだけだというけれど、チキンの話だとあの店の二階では賭け事をしているらしい。


たまにマートンさんと将棋を指している父さんの話だと、彼はかなり強いみたいだし、負けている様子もないけ。けど、勝負事はいつかは負けるかもしれないし、たとえ勝ち続けていたとしても、誰かの恨みを買ってしまう。


上背はそこそこあるけど、ひょろっとしたマートンさんは喧嘩が強いとは思えない。早く何とかしないと、血に塗れた彼の姿を見る日が来るかもしれない。


二度と声が聴けなくなるなんて考えたくもない。


あの日、マートンさんを『ツーク・ツワンク』に連れて行ったのは失敗だった。あの日以外に行ける可能性は無かったし、ものすごくおいしいという評判に釣られてしまった。『ツーク・ツワンク』に行けばシャロットの働いている『旅のウサギ屋』に寄ることも多くなる。


「あの店には貴族の老人たちが集まってるッス。」


チキンは咥えたストローを器用にくるくると回す。王宮で働くマートンさんには、貴族との繋がりを求めてあの店に行く必要があるらしい。確かに、父さんと将棋を指すときは嫌々といった感じなので、賭博のためにと言われるよりも、人脈作りのためと言われたほうがしっくりくる。


どちらにしても、私の恋は何も進まないけど。


「何かいいアイディアはないかしら?」


チキンは色々な人を知っているし、マートンさんの先輩なんだ。だから、いろいろなアドバイスをしてもらったけど、今までいい結果が出たことはない。だけど、今は藁にもすがりたい思い。


「もっと色仕掛けを多くするッス。」


頼りない参謀の答えに、私はため息をついて店を出る用意をする。うたた寝をしているお婆ちゃんを起こすのは悪いから、私は空になったカップとグラスを洗い始めた。


「きゃぁぁぁぁぁああぁああ!」


私が暗い気持ちのままカップを片付けた時、表から絹を切り裂くような悲鳴が聞こえた。



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次回:ターニップの『奮闘』

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